最も古い木鷽の絵は
『天満宮御一代記・絵本菅原実記』や
『百人一首一夕話』(尾崎雅嘉著 天保4(1833)年成立)
の中に見ることができます。
『宇曽替之守之図』と記された木鷽の図は三面展開で細かく記されています。
「樫の如き木以て造る」
「此のうそかへは万治年中のものしして、或家に秘してありたるを、書史のうつす
ものなり」と注釈が入っています。
万治年間は1658~1661年の間で、今から350年前の江戸時代初期のころ。
(四代将軍、徳川家綱の時代)
この木鷽の絵は注釈から万治年中に作られたものと考えられていますが、
絵を紹介している文献が江戸時代後期(幕末寸前)に書かれたもので、
年代を確定する資料としてはやや信憑性に欠けると思われます。
全体が長細く、鳥らしい姿が特徴的です。
小さく鋭い眼や赤黒二色のシンプルな彩色で、現在の木鷽とは似ても似つかない姿
をしています。
『天満宮御一代記・絵本菅原実記』や
『百人一首一夕話』(尾崎雅嘉著 天保4(1833)年成立)
の中に見ることができます。
『宇曽替之守之図』と記された木鷽の図は三面展開で細かく記されています。
「樫の如き木以て造る」
「此のうそかへは万治年中のものしして、或家に秘してありたるを、書史のうつす
ものなり」と注釈が入っています。
万治年間は1658~1661年の間で、今から350年前の江戸時代初期のころ。
(四代将軍、徳川家綱の時代)
この木鷽の絵は注釈から万治年中に作られたものと考えられていますが、
絵を紹介している文献が江戸時代後期(幕末寸前)に書かれたもので、
年代を確定する資料としてはやや信憑性に欠けると思われます。
全体が長細く、鳥らしい姿が特徴的です。
小さく鋭い眼や赤黒二色のシンプルな彩色で、現在の木鷽とは似ても似つかない姿
をしています。