妖怪大魔王・コバ法王日記

オートバイを分解して磨き、正確に組み立て独自理論でラインを探り、ストップウォッチと頭脳で感性を磨き、日々の想い語ります

『昔 乗っていた車両』三菱 コルト・ギャラン 16L

2019-07-17 02:59:38 | 昔乗っていた車両、体験記

妖怪(GRA代表:小林)、過去の車歴・経歴書『 昔 乗っていた車両 』( コバ法王の日記 より転載 )の連載を開始しました。
   
第一回目、オートバイは “ 大嫌い ” だったので、初めての車両は自動車です。

             
大学生の頃、創造に溢れた作品だったようです。

 
 
『 昔 乗っていた車両 』・三菱 COLT  GALANT
http://gra-npo.org/policy/yokai_column/vehicle_used_to_ride/1_GALANT.html

  







  
 


Z750GP 妖怪号、 革パンツ忘れて、大会遠征記

2017-07-07 23:15:12 | 昔乗っていた車両、体験記
( 昔々、Z750GP に乗っていた頃のお話です ・・ )

革パンツは、オートバイでスポーツライディングをする時、膝など下半身をしっかりと支える時にとても効果があるだけではなく、万が一の転倒時には身体を守ってくれる大切な装備です。

が、それを忘れて大会に遠征してしまった時の映像です。



Gパンのままでは滑るので、滑り止め用にタンクにテープを貼って、「 コースの縁石は痛いだろうな~ 」 と、丁寧に走ったのが良かったのかも知れません。

昔乗っていた車両 ( ブロス 編 )

2016-06-23 22:35:48 | 昔乗っていた車両、体験記
学生時代、世の中の「オートバイは不良の乗り物」的な見方に影響されていた事もあって、もっぱらの関心の中心は車で、オートバイはその1/10 も無かった程だった。

けれど、1969年発売の国産初の 750㏄空冷4気筒車:CB750には強烈な印象は受けていたので、26歳になって初めて買ったオートバイが4気筒車だったのは当然の事だし、単気筒や2気筒車は買うべきオートバイではない!とさえ思ってさえいた。

しかし、4気筒車(Z750GP)でジムカーナ競技に熱中していた頃、そんな考えを大きく変えた出会いがあったのです。


【 2台合わせたオートバイが!? 】

その頃、一緒に練習をしていた数少ない仲間は二人、150㎝ほどの小柄な女性と210㎝超と背の高い男性でした。

彼らのオートバイは、女性はオンロード車・スパーダ(250㏄)で、男性のは当時最大級のオフロード車、アフリカツイン(750㏄)と、共にホンダの水冷V型2気筒エンジン車だったのですが、試乗させてもらうと、この2台共にとても乗りやすかったのです。

当時、僕が乗っていたZ750GPは、ジムカーナ競技で実績を残していた車両のマイナーチェンジ版とは云え、基本設計は古い車両でした。

それに比べると、ホンダスパーダは非力な250㏄とは云え軽快なバンクと旋回性、車体の剛性感に感心させられ、一方のアフリカツインでは足付き性こそ最悪だったものの、そのエンジンのトラクションとグリップ感(路面を掴んで力強く前に進む感覚)に感激さえ覚えていたものです。

「どちらのオートバイに乗っても、 Z750GPよりも楽しくて仕方無い 」
「2台を合わせたオートバイが作れないか?」



スパーダの小柄で軽快な車体にトラクション感に優れたアフリカツインのV型2気筒エンジンを載せられないか?と考えていたら、それを実現させた様な車両があったのです。

それは、ホンダ ブロス、水冷V型2気筒エンジンのオートバイでした。




【 全くの不人気車 】

当時はレーサーレプリカ全盛時代で、国内の各オートバイメーカーからは次から次へと魅力的な新型車が発売されていた中で、ブロスは2輪雑誌の広告で時々見るだけで、路上では殆ど見かけない程に不人気車でした。

車体のデザインも色もぱっとせず、たったの2気筒のエンジンのオートバイは、中高年向きのツーリングバイク程度にしか思えず、それまでは全く興味の対象外だったのです。

「 でも、検討する価値はあるかも? 」

1991年の年末、主要な全国レベルの大会で総合優勝まで何度も付き添ってくれたZ750GPとの別れを決め、そのブロスを実車の試乗も観る事もせず、懇意にしていたカワサキ販売店に新車発注したのでした。


【 実際に乗った感想は 】

新車で納入されてから最初の 1000㎞は慣らし期間に決め、平日の夜は近所を、休日は遠距離を走った印象は 「 中高年用ツーリングバイク 」そのものでした。

特に、信号の無い海岸線沿いの緩やかなワインディングロードを、回転数を抑えて走った時の感覚は 「気持ちイイ!」ものでした。
しかし、購入動機はツーリングではない。距離が 1000㎞ に近づいた頃、深夜走り慣れていた六甲山のワインディングへと連れ出し、ブロスのコーナリング能力や特性を確かめてみる事に。

登り始めて幾つかコーナーを過ぎ、車体と体調の感触を確かめ、他の通行車両の状態も把握して、さあ! 次の左のブラインドコーナーの立ち上がりでアクセルを大き目に開けてみると 、ブロスは予想に反してセンターラインは無いかの様なラインを描いてくれたのでした。

困った ・ ・ ・ !
下りではそこそこ安定はしているけど、フロント荷重が抜ける上りでは嫌な癖が出てしまう!

そうして、慣らしが終わると同時に車両の特性を大幅に変更するセットアップ作業が始まったのです。




【 時代に恵まれて 】

ジムカーナ競技での戦績で言えば、Z750GPの時にはほぼ全国トップの成績でしたが、ブロスに替えてからは負ける気がしない程に圧倒的なタイム差を残し続けていたのです。

その要因は、充分なトルクとトラクション感の優れたエンジン特性、バンク角の大きな車体など、車両として優れた特性があった事は間違いありませんが、それ以外に時代に恵まれていたとも言える要因もあったのです。

一つは、交換した前後のサスペンション、特にフロントサスペンションのスプリングが大変に良い製品だったのです。
メーカーはオランダのホワイトパワー社(現在は WP)ですが、80年代末、同社が最も活気があった時期で、大変に優れたエンジニアが ブロス用に作り上げたスプリングは、現代では全く見かける事が出来ない程に太い線径(スプリング鋼材)でダンピングが効いた緻密な特性を持っていたのです。
そのお蔭で、通常ではセットが出し難いフロントサスペンションのセットアップが短期間で完了したのです。



二つ目は、タイヤの変革時期だった事です。

中年ツーリング用として販売された当初は バイアスタイヤ(旧来の形式のタイヤ)で発売されたブロスでしたが、販売不振を挽回する為のマイナーチェンジ後の購入した同車は、普及が始まっていた ラジアルタイヤ仕様の設定に変更されていたのです。

そのため、スポーツ走行用タイヤとして一気に開発競争が始まったラジアルタイヤの先端モデルを装着し続ける事が出来たのが、当初は 圧倒的な成績を残し続け、その結果、ジムカーナと言えばブロス!? と、全国でブロスが一気に競技車として増殖していった程です。



しかし、そのタイヤが要因となって、ブロスの輝きが失われていったのです。

それは、サーキット用として熾烈な開発競争が繰り広げられた スポーツ走行用ラジアルタイヤですが、レーサーレプリカ車に最適設計がなされる様になったタイヤは、中年ツーリング車には特性がフィットせず、競技の場ではポテンシャルを発揮できなくなったのです。



そういうタイヤの状況もあって、本番車と練習・スペア車の合わせて2台、8年間使い続けたブロスをやめ、新しい車両へと変更したのでした。




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昔乗っていた車両 (Z750GP 編)

2014-08-07 23:03:47 | 昔乗っていた車両、体験記
最初に買ったオートバイが1年落ち400cc空冷の中古車で、次にやって来たのが同じ400ccでも水冷の新車、そして次に買ったのが750ccで水冷の新車、しかも1気筒あたり5バルブなどと当時世界最先進の設計を誇ったオートバイでした。

で、その次に買ったオートバイといえば、そんな流れに逆行する選択となったのです。


【 苦悩するXJ400 】


最初に買ったオートバイ・XJ400は、ジムカーナという競技の世界を僕に教えてくれたけど、その世界ではとてもマイナーな車両でしたし、徐々に限界を伝えてくるようになったのです。

当時、ジムカーナ世界で絶対的存在のオートバイはカワサキのZ750FX2(略称:FX2)という車両で、トップカテゴリーの「エキスパート」クラスの参加車両の殆どを占め、“ジムカーナするならFX2”と
広く信奉され、とっくに生産終了された同車を多くの愛好者達が中古車を指名買いしていた程でした。

それは、当時のジムカーナ競技をリードしていたのが カワサキ(重工業)で、全国各地の販売店を通じて地区選の開催と年に一度の全国大会を開催していた事と大きく関係していたのでした。

そんな事情を一切知らずにジムカーナを初めてしまった僕は、ヤマハ車で勝利を重ねる様になり、初めて全国大会に参加する事になって、「全国大会への参加はカワサキ車に限る」の条件を知り、仕方なく友人から借りたオートバイで全国大会に参加したけど、クラス(400cc以下)優勝には届かなかったのです。

心機一転、次の年からジムカーナ本場だった関東地区戦への遠征を始め、愛車・XJ400でクラス優勝を重ねていったのですが、その翌年からトップカテゴリー“エキスパートクラス”へと特別昇格となってしまったのです。

エキスパートクラスとは本来、450cc以上の車両限定で、過去に総合成績の良かった人達があの750cc車・FX2で走っているクラスへと入れられてしまったから、相撲で言えば幕下力士が一足とびに大関に昇進させられた様なものでした。

「もう総合優勝を目指すしかない!」と、特別昇進してしまった年は精一杯に頑張ったつもりだったけど、総合優勝にはあと一歩届かない。

XJ400に愛着はあるけど、750ccと400ccという力の差の他に、長年の酷使と十分でない整備のために車体各部のコンディションも十分ではないので無理もない。(腕前は棚に上げて♪)

その上、全国大会にはXJ400で参加出来ないので総合優勝も難しい、と苦悩(?)の結果、「カワサキのオートバイを買おう!」と決意するのでした。


【 それは、緑色のオートバイ 】

買うとしたら カワサキの750cc車両。
でも、他の人が乗っているオートバイには乗りたくないから、FX2はパス!。
それに、恰好の良い目立つオートバイに乗りたい。

限られた選択肢の中から選んだのが、たまたま知り合いが乗っていたZ750GPというオートバイでした。


それは、当時主流になりつつあった水冷エンジンや4バルブでもなく、とっくに生産終了していた旧型でしたが、あのFXⅡよりは新しく恰好は良かったのです。

フレームと車体寸法・重量は実績のあるFX2とほぼ共通で、エンジンは当時の量産オートバイとしては世界初となる燃料噴射機構が採用された最新仕様(?)
その上、車体デザインは丸っこいFX2とは違い、全体が角張ったデザインで、何よりもその知り合いのオートバイは特別仕様の“緑色”だったのです。


「ローソンカラー」とも呼ばれるそれは、車体全体が緑色(ライムグリーン)でタンクに青と白のストライプが入ったもので、地味なオートバイが多かった当時はとても目立つ色だったのです。
(ローソンカラーは、某コンビニの事ではなく、カワサキ車で活躍した有名なレーサーの名前に由来)

こうして、新しくやって来たZ750GPと競技の世界を歩む事になり、彼はそれまで知らなかった事をたくさん教えてくれたのでした。


【 オートバイは教えてくれるモノ 】

Z750GPは、ライディング技術(スキル)を磨くための練習の際に、色々な事を話しかけてくれるオートバイでした。

XJ400も多くの練習に付き合ってくれたのですが、今ほどに整備をしていなかったせいか、大きな事故を経験しているせいか、どちらかと言えば無口でストイックな性格に変わっていたのを実感しました。

「それ以外のオートバイ、FZ750とかに乗って感じなかった?」

いや、オートバイとの付き合いも人間と一緒なのです。
破綻(転倒)するかどうかの限界域でトコトン付き合うからこそ、本当に信頼できる奴かどうかが判るものなのです。
そういう意味で、Z750GPは整備の大切さ、セッティングの大切さ、そしてタイヤの使い方まで、とても多くの練習を通じて色々な事を教えてくれたのです。

買って間もない頃には、電子燃料制御ユニットが外部からの電波ノイズによる誤動作対策が必要になり、一年経つ頃にエンジンの“不整脈”発生で一念発起でエンジン内部(クランク、コンロッドからピストン、バルブガイドまで)のオーバーホールで自宅で行ない、フロントフォークの残ストローク設定による操縦性変更を会得させてくれたのもZ750GPでした。

そして、何よりもタイヤの構造や配合変更によって操縦特性に大きな違いが出る事を学ばせてくれたのも、タイヤを積極的に滑らせて走る方法を覚えさせてくれたのもZ750GPでした。
お蔭で、きちんと練習すると、新品タイヤでも 200 km程度しかもたない事も覚えました。


【 蜜月時代の終わり 】

そんな風に、Z750GPとの付き合いのお蔭もあって、関東地区で開催される主要なジムカーナ大会で総合優勝を達成する程になったのですが、そんな蜜月時代は 2年程で終焉を迎え、縁があって広島の知人の元へと嫁いでいったのです。

次にやって来たヤツは、水冷エンジンのオートバイだったけど、それまでジムカーナ競技で殆ど実績の無い車両でした。
と言うより、実際に一般路上でさえ見かけた事も無く、あまりにもの不人気の為に新車販売されていたがとっくに生産終了になっていた程のオートバイ。

では、試乗さえせず、どうしてそのオートバイを買ったのか?
答えは次回のお楽しみに ♪


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昔乗っていた車両 (FZ750編)

2014-06-19 22:30:41 | 昔乗っていた車両、体験記
ヤマハXJ400で交通事故に遭遇して、それをきっかけに“事故成金”的な経緯で、新車の ヤマハXJ400Z-Eが手元に来てからというもの、大きな事故に連続して遭遇し、知人が別の事故で亡くなってしまうなど、すっかり嫌気が差していた事を前回書きました。

そんな境地から次に進んだ方向はと言うと ・・・・。


【 オートバイやめる! か、やめないか? 】

事故続き、それも決して小さな事故ではないのが続いたので、本当にこの時は悩みました。
日頃は神も仏も信仰していないのに、この時ばかりは“お祓い”か“墓参り”に行くべきかまで考えていたほどに参っていました。

そんな悩みの時期を一か月ほど過ごし、辿り着いた二択の結論は ・・・

「 オートバイをやめる 」か
「 大型バイクにする 」かの二択でした。

何故? 大型バイク? って思った(ツッコんだ)人は正常な反応です。

「400㏄であれば限界近くで走る事は難しくはないけど、大型バイクであれば限界的な走行をしなくなるに違いない。だから事故もしなくなるのでは?」と考えたのがその理由ですが、今考えてみると少し変ですね(笑)

で、結局、二択の中で選んだのは、「大型バイクにする」でした。
時は 1980年代半ば、オートバイブームが盛り上がり、それは750ccクラスの車両にも飛び火した頃です。それまでのオーソドックスなツーリング志向の車両とは別に、レースに直結していく技術を盛り込んだ車両が各メーカーから相次いで発表された頃でした。

では、ホンダ、ヤマハ、スズキ、カワサキ の中でどれを選んだのか?


【 エンジンは好き、でも、外観は嫌い 】

1985年、ホンダからは 先進的な水冷 V型4気筒エンジンにアルミツインスパーのフレームで登場した VFR750(RC24)、スズキからは これも独自の空油冷 並列4気筒と圧倒的軽量とレーサーレプリカ構成が特徴の GSX-R 750(GR71F)、そして ヤマハからは 画期的な 5バルブ前傾45°水冷並列4気筒エンジンを積んだ FZ750(1FM)などが相次いで登場して、各車共に独自の個性を主張していた夢の様な時でした。

いかにもレーサーなGSX-Rは早々に候補から外れ、VFR750 か FZ750 かで暫く悩みましたが、最後にはエンジンレイアウトと車体スタイリングが垢抜けている FZ750に決定したのでした。



しかし、全てを気に入ってた訳ではなく、車体のカラーリングは 3車の中で最低とさえ思っていたので、自走させずに納車された FZ750は即日分解される事になったのです。


【 深夜のツーリング専用車? 】

タンクからシートカウル、ホイールにフロントフォークなど、殆どの外装を外しての塗装作業の日々が続きました。

それと同時に、二灯式ヘッドライトに 120/90W・ハイワッテージH4バルブ(黄色)を入れ、リレーを新設してバッテリーから直接に電気を供給させ、しかも 二灯同時点灯方式からモード切替で一灯点灯を選択できる回路を新設タッチパネル式スイッチで構成するなど、走らせる前から初めての試み満載だったのです。

こうして、一度も走らせずに出来上がった自分だけの FZ750は、お気に入りの一台になったのです。

運転免許は、購入計画の開始と同時に限定解除の試験を受け、マイFZ750完成までに入手済み。
でも、完成した姿が嬉しくてうれしくて、走らせる事なく毎晩近所で撮影(当然ですが、ネガフィルムカメラで)した画像を紹介します。




【 完成度の高い高速クルーザー、時代の波を追いかけて・・ 】

FZ750は、それまでの ヤマハ XJ400シリーズと較べるまでもなく、圧倒的に操縦安定性の高い車両でした。
六甲山の様な中速域での比較だけでなく、高速道路では格段の優れた安定性の高さを体験させてくれたのです。

当時のレース技術からのフィードバックにより、フロントは 16インチタイヤ、リアは18インチタイヤと、新しいタイヤ径の組合せが採用されていたにも関わらず、操縦安定性に一切の破綻は感じられなかった事に感心させられました。

1980年代は、オートバイブームが一気に高まった時期ですが、同時にタイヤの世界でも大きな変革が始まった時期です。 それが、フロントタイヤの16インチ化やラジアルタイヤの実用化でした。

最初は二輪ロードレース界で始まり、瞬く間に市販車の世界でも16インチのフロントタイヤ、そしてラジアルタイヤの採用と、まるで熱病のように増えていったのです。
その技術進歩の流れに合わせて開発されたFZ750は、フロント16インチの癖を感じさせない、安定性と操縦性がよく練り上げられた優れたオートバイだった事は間違いありません。

そんな時代の寵児として誕生したFZ750との“付き合い”は、夜の六甲山ツーリングを始めとして多くの想い出を残してくれたのですが、時代の波の勢いには太刀打ちできませんでした。

それは、1980年代末、ラジアルタイヤが市販車でも多く採用されるにつれて、タイヤの幅とホイール幅が一気に広がっていったのです。
ラジアルタイヤ以前の、バイアスタイヤに合わせて設計されたFZ750では、新しいタイヤ変革の波に乗る事が出来ず、次第に色褪せてしまったのです。

では! FZ750に続いて購入した車両は? ラジアルタイヤ?
いやいや、意外な選択があったのです。( 詳しくは、次回に♪ )


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