明後日はイベント開催だから、
寒いと言って、籠っていられない。
恐る恐る、乗ってみると、久し振り!
オートバイの動きと感覚の間にズレがある。
でも、少し クルリ と 回ってみる、
少しずつ間隔は(全然 完璧ではないが) 戻ってきた。
簡単な事しかしていないのに、
「 オートバイって楽しいし、健康に効く 」
明日も、眠い目をこすりながら、
幸せを感じようか。
今朝は、気分と身体が ・・・
引き締まる、ような、縮こまる感じ。
慌てて、
ストーブ と 羽毛布団 出しました。
あさって、日曜日は イベント開催日。
朝 5時半、ずいぶん涼しいだろうなぁ。
人にとって、何らかの “評価” は “生きがい” に必要か同等のものなのだろう。
“評価” は、生まれた直後から 親の「かわいいねぇ~」で始まり、やがて親戚や近所の知り合いからに変わり、次は学校での評価へと基準が置き換えられる。
小、中、高の期間の間、学校での “評価” は 社会での “評価” に置き換えられる事も教え込まれる。教え込まれたって、評価(成績)トップが居れば、必ずビリも居る。まるで、ビリには社会で生きていく資格が無いと教え込まれてきた。
無事に、ビリにもならず就職した者にも “評価” が付き纏う。 “評価” が高ければ報酬(給与)も高いから、その世界(会社)の評価を得るために、数十年、評価を得て守る毎日を過ごす事になる。
うまく循環できた者には、まるでゲーム感覚、それだけに集中すれば生活水準や社会的な名誉(評価)さえ高まるシステムだから、それだけに没頭できる。
でも、誰も深く考えていないけど、“評価” が得られない人生がある事や、誰でも “評価” されないシステムの毎日へ追いやられてしまうのだ。
人は簡単に、他者を良い(Good)か悪い(Bad)のレッテルを貼りつけたがり、必ず成績ビリの人を出してしまうシステムの欠点を補う必要性さえ考えようとしない。
だから、生まれた時から親からも 正当に評価されず、学校や会社でも同様に評価されずに生きている人の事を “見て見ぬフリ” をしてしまうんだ。
だから、会社を辞めて急に “評価” が得られなくなると狼狽えて、事故や病気で会社という評価システムからリタイアせざるを得なくなった人に憐れむフリが出来るのだろう。
評価が日本に限った事ではない。
実際、SNS 等で “いいね” とか “フォロワー数” などの “評価” を生きがいにしている人や、評価の高さを基に生計を立てている人が正解に多く存在している。
が、実際のハナシ、“評価” は 真の “生きがい” になり得るだろうか? と考えてしまう。
“ 評価 ” と言っても、生まれた時から他人が作った不公平なシステム、自身の努力等に一切関係無く、他者の先入観や社会的システムの中で生まれたものに過ぎない。
それを、貴重で短い人生において、不公平で不正さえ入る他者の “評価” システム の中に “生きがい” を見つける事自体、僕には 哀しい事に思えてしまう。
そういう “評価” システムの流れの中に身を置きつつ、流れからこぼれ落ちていく人達に対して、どいうい想いや考え、行動へと繋げていったのか? という事にこそ “評価” を与えられるべきだし、与えるのは他者ではなく、先ずは 自分自身で “評価” を与える事が、真の “生きがい” に繋がるのだろう、と思っている。
1994年に開催した『 ジムカーナ 特別練習会 』の、紹介用動画を作ってみました。
きっと、『 特別練習会 』の雰囲気の一端が伝わると思います。
『 特別練習会 』は、1993年から始まった企画で、多くの人に人気のあったイベントで、毎回異なる走行練習用コースを走り込む練習会で、自身のレベルに合ったグループを選んで走り込む事で、ライディング操作を確実に習得できるのが特徴です。
それにしても、動画の編集、そして ブログや SNS サイト別に投稿形式があるのは面倒。
それよりも、画像品質を高める為にも、編集ソフトを新しく、 します !!
< 当日の 詳細な資料は、下記サイトで >
【 イベント記録 】ページ (1994年4月3日)
今日、八百屋さんに寄って、サツマイモを買いたかったけど、良いのが無かったので、初めてコレを買った。
里芋の一種で、セレベスと呼ぶらしい。 さぁ、どんな調理が出来るのか? どんな料理になるのやら?
明日も、元気に目覚められるか?