■ おばちゃん! これ、いくら?
僕が幼かった頃の楽しみは、子供向けのお菓子やおもちゃが置いてある、駄菓子屋さんでの買い物だった。
ほとんどの品には値段が書いてないから、お金を握りしめたまま、店主のおばちゃんに尋ねるしかなかったが、それも楽しみの一つだったかも知れない。
そんな風に、子供たちは尋ねる度に値段を覚えた品を増やし、おばちゃんに怒られず楽しく過ごすルールを覚えて、そんな大人の社会での生き方を楽しく覚えていたのは間違いない。
では、今の子供たちにとって、駄菓子屋に代わる場所は何処なのだろう?
■ ピッ、ピッ の時代
時は過ぎて、駄菓子屋さんに通うような歳ではなくなり、店も見当たらず、あの “おばちゃん” 的な存在を懐かしく感じている。
多くの販売店では、殆どの商品には値札が表示してあるから、「 これ、いくら? 」と聞くまでもなくなり、対応マニュアルがあるから、あの “おばちゃん” の様な対応はできなだろう。それだけではない、多くの飲み物は自動販売機で購入して、切符や食券を買うのも、ガソリンスタンドや病院での支払いも「ピッ、ピッ」、全て セルフレジの時代に変わってしまっている。
こんな「 ピッ、ピッ」の時代、子供達はどんな風に大人の社会での生き方を学ぶ、いや、大人との会話を楽しむ機会があるのだろうか?と、心配になる。
■ コンビニの対面セルフレジ
僕は、以前から、コンビニで買い物をするのが好きだった。 コンパクトなエリアに、食品から本、雑貨まで、常に最新の売れ筋の商品が並んでいるし、流行や商品リサーチも簡単だからだ。
だから、コンビニは良く通っていたし、行きつけの店では、オーナーやアルバイトの店員とも言葉を交わすのも楽しみにしていた。そして、レジで会計をする時には、レジ担当の人が コードリーダーで読み取り易い様に、必ず、商品1点ずつ JAN コードが記載された面を上側にして、 “小さな会話” をするのも楽しみにしていた。
でも、最近、そんな “小さな会話” が楽しめない様になった。 それは、対面式セルフレジ が導入されてからだった。
対面式セルフレジとは、商品の JANコード読み取りや個数の入力はレジ担当者が行ない、支払い方法の選択と支払いは客側が機械で行なう方式のレジで、スーパーなどで 5年以上前から採用されている方式だ。
だから、スーパーでの利用には慣れていて戸惑いは無いけど、コンビニのそれには違和感を覚えてしまった。 最初は、行きつけのコンビニだから余計に変化を残念に感じたからかと思ったが、少し違う気がする。
それは、人との距離感の違いの様に思う。
■ 人との距離感
同じように対面式セルフレジを採用している多くの店と比較すると、レジ担当者の年代と店の大きさの違いに原因がある様に思う。
スーパーなどレジ担当者の多くは年代層が高く、そして店員の人数が多いから対応サービス指導の人も常駐しているのだろう、清算はセルフレジであっても、「ピッ、ピッ」の間も心配りされた扱いを受けている気持ちになる。
しかし、多くがアルバイト学生で店員数も少なく、マニュアルだけが指導役のコンビニの対面式セルフレジでは、それを感じられない。その上、JANコード面を上にして商品を台に置いても、「ピッ」を済ませても、裏返しに置かれた商品を戻すわけでもなく、客側へ置き直すわけでもなく、ただじっと立っているだけだから哀しくなるのだ。
恐らく、支払方法の多様化や清算ミスの予防の他に、チケットや金券発売、宅配便の取扱いなどの様々なサービス対応の難しさ、そしてアルバイト従業員の安定的確保が困難なコンビニならではの事情もあり、セルフレジの導入は必然だったのだろう。
しかし、このままだと、コンビニの行く末も心配になるし、コンビニを利用する多くの子供達の事がそれ以上に気になってしまう。
幼い頃に駄菓子屋に通い、学生時代は校門横にあった小さなお店に入り浸り、切符を駅窓口で買って、改札口で駅員の人に検札してもらうなど、数多くの大人との接点が以前はあったが、今は全て機械相手に「ピッ」で済んでしまい、他者と接する機会も少なく育ってしまっている。 親や教師以外の大人と接する機会が少ないと、大人の社会との接点も少なく、いじめに遭っても孤立し易く、詐欺や甘言を適切に判断できずに惑わされる機会が増えてしまうのではと危惧している。
実際、駅に緊急停車した電車の車掌が、車内で殺傷事件が発生していたにも関わらず、対応マニュアル通りに降車ドアを開けなかったのも多少は関係があると思う。
いや、それ以上に、街角で急病や事故で倒れてしまった人を見ても、救急処置や緊急連絡をするでもなく、遠巻きにスマホで動画撮影するだけの人々の存在も関係がある様にも思っている。