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20年ぐらい前までのゴダールは、確かに類のない個性的表現がおもしろかったし、とりわけ難解でもなかったのだが、近ごろは霊感の減退をコケ威しでごまかす傾向が露骨。分からん方が悪いと言わんばかりの作劇術は、傲慢なガンコ老人そのものである。
苦労して生み出す創作を簡単に消費されてたまるかと、ワザと読みづらくするのは大江健三郎や故・中上健次の小説作法だが、映画であれをやられちゃたまんないよ。映画は簡単に読み返しできないんだからさ。
ゴダールの分かりづらさが1作ごとに過激にエスカレートするのは、確かな計算あってというより、辛いものばかり食べてるとドンドン辛さのきついものが欲しくなるのと同じ生理現象じゃないかね。
逆に、分かりやすすぎて困るのがウディ・アレンの『マッチポイント』。BSフジが超キレイな画質で放送してくれたのだが、内容はどんなアホでも一目で分かる『罪と罰』の換骨奪胎である。大体、セリフでドストエフスキーに言及してるんだから、間違えるなよと初めから教えてくれてるようなもんだ。
その、なんでいま?感大のストーリーを2時間超にわたって丁寧きわまりなく描いてるから、こっちはアクビをかみ殺すのに大わらわ。ウディはこんな風にベルイマンの物マネを時々やるが、おもしろかったためしは過去一度もない。
途中、「彼のセーターはカシミアか」「いつもビクーニャよ」なんて対話が出てくる。こういう使い古しの記号で階級差をメタファーする発想ってのが、すでにトシ寄りだね。
結論。トシは取りたくない。