ウソ
2010-12-19 | 映画
『ニュー・シネマ・パラダイス』という映画がある。映画ファンなら、タイトルを聞いただけでニコニコ相好を崩すほど愛された名画である。映写技師が映写機の光を鏡で二つに分けて、映画館のスクリーンと街の広場に映画を投射するクライマックス・シーンが名高い。
あの名場面が、オレはどうしても納得がいかない。光を鏡で反射させれば小学生でも知ってるように、映像は左右逆の鏡像になる。しかし広場の建物の壁には、スクリーン上と同じ正像が映し出される。
さらに、スクリーンと広場の建物では距離が違う。にもかかわらず、どちらもピントが合っている。光源を二つに分ければ光量は半分になるはずだが、明るさにも変わりはない。
つまり、あの名場面は現実にはありえないのである。
映画はフィクションだ。だから、どんなウソをついてもいい? いや、ウソだからこそ、全力を挙げて本当らしく見せなければならない。簡単に見破れるようなウソでは、観客は楽しめない。
最近も同じケースに遭遇してしまった。オーソン・ウェルズの幻の名作とか言われる『黒い罠』という映画。
ウェルズ扮する足の悪い悪徳刑事がライバルを陥れるため、殺人を犯して罪をライバルの妻に着せようとする。ところが、殺人現場に愛用のステッキを置き忘れてしまう。
こんなヘマは、現実にはありえない。近視眼者がメガネをどこかに置き忘れるのと同じぐらい、ありえない。
身体に障害を持つ者は、その障害を補う補助具を失うとたちまち不便をかこつ。だから、置き忘れに気づかないことなどありえないのである。
幻の名作か何か知らないが、この見え透いたウソがプロットの重要な転機になっているので、オレは以後すっかり白けてしまった。
しかし、見え透いたウソじゃ、映画も政治には負けるよなあ。いくら政治が劇場化したとは言え、去年9月までの改革の夢自体が真っ赤なウソだったとは。一億総白けも無理ないよ。
あの名場面が、オレはどうしても納得がいかない。光を鏡で反射させれば小学生でも知ってるように、映像は左右逆の鏡像になる。しかし広場の建物の壁には、スクリーン上と同じ正像が映し出される。
さらに、スクリーンと広場の建物では距離が違う。にもかかわらず、どちらもピントが合っている。光源を二つに分ければ光量は半分になるはずだが、明るさにも変わりはない。
つまり、あの名場面は現実にはありえないのである。
映画はフィクションだ。だから、どんなウソをついてもいい? いや、ウソだからこそ、全力を挙げて本当らしく見せなければならない。簡単に見破れるようなウソでは、観客は楽しめない。
最近も同じケースに遭遇してしまった。オーソン・ウェルズの幻の名作とか言われる『黒い罠』という映画。
ウェルズ扮する足の悪い悪徳刑事がライバルを陥れるため、殺人を犯して罪をライバルの妻に着せようとする。ところが、殺人現場に愛用のステッキを置き忘れてしまう。
こんなヘマは、現実にはありえない。近視眼者がメガネをどこかに置き忘れるのと同じぐらい、ありえない。
身体に障害を持つ者は、その障害を補う補助具を失うとたちまち不便をかこつ。だから、置き忘れに気づかないことなどありえないのである。
幻の名作か何か知らないが、この見え透いたウソがプロットの重要な転機になっているので、オレは以後すっかり白けてしまった。
しかし、見え透いたウソじゃ、映画も政治には負けるよなあ。いくら政治が劇場化したとは言え、去年9月までの改革の夢自体が真っ赤なウソだったとは。一億総白けも無理ないよ。