蒲田耕二の発言

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音は世に連れ

2013-07-09 | 音楽
DSDレコーダーを手に入れてからLPのダビングに熱中していたが、あまりの暑さに一休み。いくらオペラ好きでも、この時期に聴くのは胃潰瘍のハラにステーキを詰め込むに等しい。

LPはいい、CDは音が悪いと散々書き散らしてきたが、LPもいいことばっかじゃないですね。欠点の一つは、品質にムラがあること。コンピューター任せのCDは格別いい音もしない代わりに極端な粗悪盤もないが、LPは製造に携わる技師、というより職人の経験とカンが大きくモノを言う。いいものは気が遠くなるほどいいが、悪いのは徹底的に悪い。手抜き、または未熟な技術で作られたLPの音は悪夢だ。

たとえば、1964年に発売された『カルメン』全曲の米Angel盤がいまオレの手許にあるが、3枚6面のうち第2、3面は製盤不良で音が歪みきっていて使い物にならない。アメリカはLPの発明国だから、50年代にはけっこう質のいいレコードを作っていたんだけどねえ。60年代に入ると、この国は途端にモノ作りの質が落ちた。

LPのもう一つの欠点は、よく知られているようにサーフェス・ノイズが多いことだ。

ノイズにも色々あって、ユーザーが不注意でつけたキズが原因のヤツを別にすると、まずはホコリが付着して発生するパチパチ・ノイズ。これは木工ボンドを水で溶いて盤面に塗れば取れる、と言われているが、万一失敗したらエラいことになるから実行していない。LPって、買い換えがきかないもんね。

ノイズの2種類目は、不純物の多い低品質の塩化ビニール素材に起因するジャリジャリ・ノイズ。50年代の日本盤や60年代のアメリカ盤には、これが実に多い。トタン屋根に雨が降りしきるみたいに絶え間なくノイズが続くので、音楽に集中できない。のみならず、針が磨り減るんじゃないかと気が気じゃない。当節、交換針を手に入れるのも一苦労だからさあ。

3番目は、スタンパーのキズが引き起こすノイズ。数は少ないが、ガツンガツンとすさまじい大音響を出す。

LPをセンベイ式にプレスするスタンパーとその母型のマザーは金属メッキで製造するが、メッキは必ずしもムラなく完璧には行かない。ところどころに小さな窪みや出っ張りが残り、これが大音響ノイズの元凶になる。

出来上がったばかりのマザーを試聴してノイズ源のキズを一つ一つ極細のノミその他で均すのだという話を、昔オレ自身がレコード制作に携わっていたころ、ビクターの工場で聞いた。試聴するのは、聴覚の鋭敏な十代の少女に限るそうだ。

1970年代後半からCD登場前夜までの日本製LPは高品質で定評があったが、こういう丁寧な手仕事が行われていたからなんでしょうね。そういや、あのころパリへ行くと、FNACなんかでフランソワーズ・アルディやジュリエット・グレコの日本盤を売っとったワ。日本語のタスキをつけたまま。

一方、日本のクラシック・ファンが信仰に近いほど崇めていたイギリス・プレスは、いま聴いてみるとEMIなんか酷いもんだね。モノラル録音を疑似ステレオという気持ちの悪いフォーマットに改悪したレコードが多いし、そのうえガツンガツン、耳をつんざく大音響ノイズが異常に多い。マザーの検品など、全然やってなかったんじゃないか。

EMIのライバルだったDecca盤はすごい高音質だから、これはイギリス盤の、というよりEMIの欠点だろう。この会社はレコード会社でありながら、昔から音質には無頓着だった。大物ディレクターのウォルター・レッグが、いくら要求しても性能のいいマイクを会社が買ってくれないので、やむなくポケットマネーで買ったと回想録に書いている。EMIはCDでも、復刻盤に関するかぎり、どんなレーベルよりも音が悪い。

ところが同じ系列でも、フランス盤は意外に品質がいい。フランスの工業製品なんかバカにしていたから、これにはちょっと驚いてしまった。

EMIじゃないが、バルバラが50年代末に録音した25センチLPが2枚、手許にある。どうせノイズだらけの酷い音だろと思いつつ針を下ろしてみたら、これがなんとノイズ皆無。25センチなのに録音レベルが高く、内周部のフォルティッシモでも歪み極小、彫りの深いヴォーカルがくっきり眼前に浮かび出る。声の響きがCDのように冷たく乾かず、透明感と潤いにみちて空間を流れる。

これぐらい澄んで豊麗な音を出すLPは、ほかに80年前後の日本プレスぐらいしか思い浮かばない。EMIもそのころの日本盤だと、文句なしの高品質である。

しかしフランス盤は、70年代に入ると品質が低下する。上記バルバラの25センチは、その後 2 in 1の30センチに切り直されたのだが(それも手許にある)、オリジナルの透明感と奥行きはどこへやら、ノイズこそないもののCDみたいにペチャッと平べったい音に変質してしまった。

フランスは第2次大戦直後から70年代初めまで、堅調な景気を続けた。これを「黄金の30年間」と呼ぶそうだ。第1次石油ショックを境に、それが崩れて失業率が急上昇する。特に若い世代の失業率が10%を超え、彼らに場所を譲るため高給取りの老職人が職場から追われるようになった。そういう状況を当時、ジルベール・ベコーが「退職 La retraite」で歌っていた。ビートは軽快だが後味の物悲しいスウィング・ナンバーだ。

フランス盤の品質低下は、高技術の職人が次々現場から去ったことを意味している。代わって右肩上がりの高度成長路線をひた走っていた日本のレコードは、ぐんぐん品質が向上した。歌はやっぱり「世に連れ」なんですね。この場合、歌というより音だけど。

それで思い出したが、あのころフランスは盛んに日本のことを罵ったり嘲ったりしていたもんだ。日本人はウサギ小屋に住んで働くしか能のないワーカホリックだとか。

作家のJ.-P. トゥッサンが自作を映画化した『ムッシュー』を観たら、短躯で出っ歯で近眼で(欧米人の描く典型的日本人像)紙に書いたセールストークを一方的に読み上げる日本人セールスマンが出てきた。

あれは、フランス人の嫉妬だったんでしょうなあ。自国が衰退期に入った焦り。いま日本人が、中国と韓国を悪しざまに言ってるのと似てるね。
コメント
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