やったあ! 幻のレコードを手に入れたぞ~。カラスの『カルメン』全曲。
もちろん、録音自体は珍しいものではない。CDで容易に聴けるし(ひどい音だが)、mp3版もダウンロードできる。だが、今度手に入れたのは、1964年の録音直後にイギリスで発売された特別仕様のLPなんだよね。
クッション入りのレザー張りボックスに金箔で "The Callas Carmen" の文字。中には渋い配色のブックレット3冊。音楽もレコードも今よりずっと貴重品扱いされていた時代のオーラを発散しまくっている。
この録音、実はLP時代に3回買った。最初に買ったアメリカ盤は品質粗悪で論外。次に買った日本盤は、品質はまともだったが(といっても、ヴォーカル帯域に強調感のある硬い音)デザインがひどい。黒のボックスにカラスの冴えないモノクロ写真をベッタリ貼りつけてある。なんとも武骨な、風采の上がらないデザインである。『カルメン』というオペラの華やかな祝祭気分がまるで伝わってこない。持っていて全然うれしくない。
3度目に買ったイギリス盤は飛び抜けて音がよかったが、そのときすでにデラックス仕様の初期プレスは廃盤で、平凡な紙箱入りに替わっていた。表紙にでかでかカラスの似顔絵を描いてあり、それがなんとも下手クソな絵で見るたびにゲッソリした。
そんならなんで、ハナから初期プレスのイギリス盤を買わなかったのかって? 1964年といや、日本がまだ貧しかった時代だよ。普通の日本人がイギリス製LPを輸入するなんて不可能だった。
信じられる? 60年代末まで、渡航するにも日本円のドル交換には限度があったんだよ。だから闇ドルなんて言葉があった。バカンスで海外旅行など、誰もしなかった。できなかった。
レコードの輸入が自由化され、イギリス盤が日本で手に入るようになったのは60年代もぎりぎり終わりに近づいてからで、64年当時のコレクターは日本プレスかアメリカ・プレスで我慢するしかなかったのだ。イギリス盤は入ってこないのに、どういうわけかアメリカからの輸入盤はレコード店に置いてあった。今も昔も日本はアメリカの圧力に弱いんだね。
それにしても日本製LPって、なんでああジャケットに魅力がないのかね。日本には、奈良平安の昔から絵画や建築、工芸の繊細で洗練された伝統がある。だのにLPもCDも、レコードの美的価値はさっぱりだ。
日本盤にも、たとえばキングが60年代初めに発売したショルティ指揮『ニーベルングの指輪』全曲のような豪華盤があるにはあったが、概してデザインが貧弱、色が汚い。物理的品質がいくらよくても(日本盤ぐらいノイズの少ないLPは、ほかにフランス盤ぐらいしかない)オークションで人気がないのは、デザイン・センスがあまりにお粗末だからではなかろうか。日本製スマホは、デザイン力でアップル、サムスンに勝てないからシェアが低いんだそうだけどね。
美術工芸は「美」そのものが生命だ。だがレコードは音楽がキモだ。工業製品は性能がキモだ。デザインにカネを掛けるのはムダだゼイタクだ、って考え方かね。これって合理的というより、日本が貧しかったころのケチ根性の名残と違うか。ケチと倹約は違う。
あ、脱線しました。
『カルメン』に話を戻すと、これは別にカラスの最高の名演でも『カルメン』の最高の名盤でもない。録音当時、カラスはすでにかなり喉の衰えを来していて、それをゴマかすためか、むやみに大げさな表情で歌っている。プレートルの指揮も、ハッタリ臭が強い。先頃亡くなったアッバードが70年代に録音した全曲盤に比べると、随分とセンスの古くさい演奏である。
そんなものを三つも四つも買い込んで、どうすんの。バカか――と、普通は思うでしょうね。ごもっとも。でもね、ある意味バカじゃないとコレクターはやってられないんだよ。
もちろん、録音自体は珍しいものではない。CDで容易に聴けるし(ひどい音だが)、mp3版もダウンロードできる。だが、今度手に入れたのは、1964年の録音直後にイギリスで発売された特別仕様のLPなんだよね。
クッション入りのレザー張りボックスに金箔で "The Callas Carmen" の文字。中には渋い配色のブックレット3冊。音楽もレコードも今よりずっと貴重品扱いされていた時代のオーラを発散しまくっている。
この録音、実はLP時代に3回買った。最初に買ったアメリカ盤は品質粗悪で論外。次に買った日本盤は、品質はまともだったが(といっても、ヴォーカル帯域に強調感のある硬い音)デザインがひどい。黒のボックスにカラスの冴えないモノクロ写真をベッタリ貼りつけてある。なんとも武骨な、風采の上がらないデザインである。『カルメン』というオペラの華やかな祝祭気分がまるで伝わってこない。持っていて全然うれしくない。
3度目に買ったイギリス盤は飛び抜けて音がよかったが、そのときすでにデラックス仕様の初期プレスは廃盤で、平凡な紙箱入りに替わっていた。表紙にでかでかカラスの似顔絵を描いてあり、それがなんとも下手クソな絵で見るたびにゲッソリした。
そんならなんで、ハナから初期プレスのイギリス盤を買わなかったのかって? 1964年といや、日本がまだ貧しかった時代だよ。普通の日本人がイギリス製LPを輸入するなんて不可能だった。
信じられる? 60年代末まで、渡航するにも日本円のドル交換には限度があったんだよ。だから闇ドルなんて言葉があった。バカンスで海外旅行など、誰もしなかった。できなかった。
レコードの輸入が自由化され、イギリス盤が日本で手に入るようになったのは60年代もぎりぎり終わりに近づいてからで、64年当時のコレクターは日本プレスかアメリカ・プレスで我慢するしかなかったのだ。イギリス盤は入ってこないのに、どういうわけかアメリカからの輸入盤はレコード店に置いてあった。今も昔も日本はアメリカの圧力に弱いんだね。
それにしても日本製LPって、なんでああジャケットに魅力がないのかね。日本には、奈良平安の昔から絵画や建築、工芸の繊細で洗練された伝統がある。だのにLPもCDも、レコードの美的価値はさっぱりだ。
日本盤にも、たとえばキングが60年代初めに発売したショルティ指揮『ニーベルングの指輪』全曲のような豪華盤があるにはあったが、概してデザインが貧弱、色が汚い。物理的品質がいくらよくても(日本盤ぐらいノイズの少ないLPは、ほかにフランス盤ぐらいしかない)オークションで人気がないのは、デザイン・センスがあまりにお粗末だからではなかろうか。日本製スマホは、デザイン力でアップル、サムスンに勝てないからシェアが低いんだそうだけどね。
美術工芸は「美」そのものが生命だ。だがレコードは音楽がキモだ。工業製品は性能がキモだ。デザインにカネを掛けるのはムダだゼイタクだ、って考え方かね。これって合理的というより、日本が貧しかったころのケチ根性の名残と違うか。ケチと倹約は違う。
あ、脱線しました。
『カルメン』に話を戻すと、これは別にカラスの最高の名演でも『カルメン』の最高の名盤でもない。録音当時、カラスはすでにかなり喉の衰えを来していて、それをゴマかすためか、むやみに大げさな表情で歌っている。プレートルの指揮も、ハッタリ臭が強い。先頃亡くなったアッバードが70年代に録音した全曲盤に比べると、随分とセンスの古くさい演奏である。
そんなものを三つも四つも買い込んで、どうすんの。バカか――と、普通は思うでしょうね。ごもっとも。でもね、ある意味バカじゃないとコレクターはやってられないんだよ。