蒲田耕二の発言

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『リゴレット』

2022-03-24 | 音楽

写真のおっさんはホームレスでも変質者でもジャンキーのなれの果てでもなく、オペラの主人公の道化である。扮するエットレ・バスティアニーニはイケメン・バリトンとして有名だった歌手。ここでは思い切ったメイクだ。

これ、ステレオ・レコードが実用化された最初期、1960年録音の旧東芝EMI盤です(STEREOのロゴも古式ゆかしいね)。あのころの日本プレスのレコードは音が硬く、聴きづらいのが多くて閉口したものだが、このレコードは不思議なぐらい耳当たりがいい。ホールトーンなど微細な音がよく聞こえ、リアルな空気感がみなぎる。

なんで当時の日本盤が聴きづらかったかというと、海外のレコード会社からマスターのコピーテープを輸入して日本国内でカッティングとプレスをしていたからだ。誤解なきように断っておくが、日本のカッティング技術が低かったわけではない。マスターに忠実、という意味ではむしろ海外よりも高水準だったかも知れない。

しかし、日本の技術者は音楽を聴かない。音しか聴かず、なんとかメーターだのなんとかスコープだの、物理的測定器とにらめっこばかりしている。計器をにらみながら、もっぱらマスターに入っている音の音盤への忠実なトランスファーを心がける。

オーディオがブームだった1980年代のあるとき、さるオーディオ・メーカーの社長が、たまには生(なま)音を聴いてこいと自社のエンジニアにN響の演奏会か何かの切符を渡したそうだ。で、ナマのオーケストラを聴いてきたエンジニアが翌朝、会社で、社長、生音ってハイファイなんですね、と言ったとか。なんか、作り話っぽいけどね。

マスターに入っている音は、必ずしも常に最上の美音というわけではない。特に60年代までの録音は、録音機器がまだ発展途上だっためもあって歪みやノイズが多かった。当時、世界最高の音質と言われたイギリスの2大レコード会社(Decca、EMI)の技師はそこのところをよく心得ていて、職人技のカッティングで耳障りな音を抑え、心地よい響きを創り出していた。

一方、日本の技師の心得では、自分の主観や好みで音をいじるなど飛んでもない。聴きやすくするなんて、原音に対する冒涜だ。なので、常にマスター命、だったわけです。

この『リゴレット』は日本カッティングではなく、例外的にイギリス・カッティングのメタル原盤を取り寄せてプレスしたのではなかろうか。ややエコー過剰だが、雰囲気豊かな音質がイギリス盤の音調を思わせる。オリジナル・マスターはイタリアのリコルディだが、東芝EMIには契約先の英HMV経由でライセンスが下りた。

リコルディを吸収したイタリアBMGが、前世紀最後の年にこれをCD化したのが上掲の2。LPバージョンとよく似た好ましい音質だ。声は幾分細身だけどね。現在流行のノイズ・フィルタリング乱用や音量の底上げリマスタリングといったバカな小細工を採用していないからだろう。

この全曲を今月のレコード芸術が採り上げているのだが、演奏自体は褒めているものの、「音が悪い」「失敗録音」などと書いている。バカ言ってんじゃねーよ。

評者が試聴に用いたのは、LPでもBMG盤でもなくイタリアのウラニア盤CD。海賊盤メーカー紛いのマイナー・レーベルである。かつてカラスのライブCDで、オレはこのレーベルに散々煮え湯を飲まされた。こんな粗悪盤を基に批評を書かれちゃ、オリジナルの録音技師もたまったもんじゃあるまい。

この『リゴレット』、演奏自体は飛びきり優秀というわけではない。演奏の出来よりも、バスティアニーニ、レナータ・スコット、アルフレード・クラウスといった往年の名歌手の輝かしい声の饗宴を楽しむ録音である。

そんな録音がなんで海賊盤CDになったりするかというと、初期盤LPも正規盤CDも入手難だからだろう。Discogsを覗いてみたら、質の悪いアメリカ・プレスのマーキュリー盤に2万超の値付けがされていた。ま、海賊盤メーカーとしてはおいしいネタだろうな。

ちなみに、70年代になるとイギリス盤と日本盤の音質差は急激に縮まった。イギリスのレコード会社が経営環境の悪化で腕のいいベテラン技師を次々リストラしたのに対し、日本の技術がこのころ爛熟と言っていいぐらい成熟したからである。録音機器の向上でマスターのクオリティが改善されたことも、日本式のマスター命カッティングに幸いした。

さらに、ドルビー・ノイズ・リダクション(詳細はウィキで)の導入も大きい。あのシステムは、コピーで失われやすい微小信号を強めて録音する。おかげで、オリジナル・マスターとコピー・マスターの音質差が極小になった。70年代のレコードを聴くと、原盤オーナー社のイギリス盤よりも日本盤の方が高音質、なんて逆転現象が稀ではない。
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