関口涼子なる翻訳家がSYNODOSに寄せた記事によれば、シャルリー・エブドが最新号の表紙に載せた "Tout est pardonné" の意味を日本人は誤解しているそうだ。
いわく、"Tout est permis" じゃないんだから「すべて許される」ではなく「すべて赦された」。つまり「どんな表現も許される。ムハンマドを侮辱してもかまわん」という主張ではなく、「いろいろあったが、全部チャラにしてやるよ」ってメッセージなんだそうだ。
この記事については、「許す」も「赦す」もあるか、日本語はすべて「ゆるす」なんだよ、と噛みついているサイトがあったが、レトリックの問題はひとまず措いといて--
関口さんはフランス在住だから、フランス語の細かいニュアンスをオレら日本人よりも正確に理解しているのだろう。しかし記事全体の文脈は、冷静な客観性を保ちつつも、やっぱり現在のフランスを覆う "Je suis Charlie" ムードに感化されているように読める。
最新号の表紙画を描いたマンガ家は、間違いなく「表現の自由に制限はない」と主張していた。記者会見の様子を、オレはこの目で見、この耳で聞いた。
コメディアンのディユドネが事件後、「おれはシャルリー・クリバリの気分」とフェイスブックに書き込んで拘束されたことを、関口さんはどう考えているのだろう。本名を Dieudonné M'bala M'bala というこの男は、名前から知られるとおりアフリカ系の移民2世だ。左翼から反ユダヤ主義に転向し、極右の国民戦線に近づいたりイランから資金援助を受けたりしているというから、随分とヘンな男である。
シャルリー・エブドも創刊当時は、左翼に支持されるサブカル誌だった。それが近年は発行部数のジリ貧で、多分に営業政策からムハンマドを風刺の対象にしていたらしい。
失業率が高止まりするフランスでは、ただでさえ小さなパイを侵食する移民への反感が強い。特に失業率の高い若年層の敵意が強く、イスラム文化の悪口を書くと雑誌がよく売れるという(わざわざ言うまでもないが、フランス国内の移民は基本的に旧植民地の北アフリカ、中東の出身者であり、したがって大半がイスラム教徒だ)。
日本の週刊誌が韓国の悪口を商売のネタにしているのと同じだね。さしずめフランス版在特会みたいな連中が多いのだろう。
こうした敵意に囲まれてフランス社会に生きる移民の若者が、ポジティブな未来を展望することが出来るだろうか。フランスに限らずドイツでも日本でも、移民、外国人労働者は社会的に不利な立場に置かれがちだ。不当に搾取されがちだ。異郷で人並み以上の暮らしを手に入れようとしたら、タレントかスポーツ選手かヤクザになるしかない。
芸の才能にも身体能力にも恵まれず、悪人にもなりきれない若者が自暴自棄に陥っても不思議はないだろう。シャルリー・エブドへのテロも、絶望した移民の若者がムハンマド冒涜の復讐を口実にうっぷん晴らしをしたのと違うか。
ディユドネの奇妙な思想的揺らぎにも、移民の鬱屈が見て取れる。移民の置かれた状況を考えれば、彼が「オレはシャルリーであり、クリバリでもある気分だ」と書いた意味が分かる気がする。表現の自由も大事、移民の怒りももっとも、と言いたかったのではないか。
"Je suis Charlie" のプラカードとともに行われた11日の大デモは、前代未聞の低支持率にあえぐオランド大統領の起死回生意図が見え見えだった。デモの中にいたサルコジは、身体の小さいのを利用してチョコマカ動き、最前列にしゃしゃり出てきてネットで嘲笑された。
シャルリーのマンガ家は、「自分らの友人だと急に言い出す奴らにはヘドが出る」と言ったという。サルコジが浅ましいオポチュニストであることは、自身移民2世でありながら大統領在任中、移民敵視を扇動したことからも分かる。事件の遠因を作った男と言ってもいいだろう。
国家的ムーブメントの実態とは、大体こんなものだ。だから本当の知性を持つ人間は、かつてブラッサンスが歌ったように「革命記念日なんかオレは知らん」と国家の催しに背を向ける。
そして「すべては許される」と訳して日本人のあいだに誤解を広めたのは、朝日バッシングの急先鋒、読売だった。
いわく、"Tout est permis" じゃないんだから「すべて許される」ではなく「すべて赦された」。つまり「どんな表現も許される。ムハンマドを侮辱してもかまわん」という主張ではなく、「いろいろあったが、全部チャラにしてやるよ」ってメッセージなんだそうだ。
この記事については、「許す」も「赦す」もあるか、日本語はすべて「ゆるす」なんだよ、と噛みついているサイトがあったが、レトリックの問題はひとまず措いといて--
関口さんはフランス在住だから、フランス語の細かいニュアンスをオレら日本人よりも正確に理解しているのだろう。しかし記事全体の文脈は、冷静な客観性を保ちつつも、やっぱり現在のフランスを覆う "Je suis Charlie" ムードに感化されているように読める。
最新号の表紙画を描いたマンガ家は、間違いなく「表現の自由に制限はない」と主張していた。記者会見の様子を、オレはこの目で見、この耳で聞いた。
コメディアンのディユドネが事件後、「おれはシャルリー・クリバリの気分」とフェイスブックに書き込んで拘束されたことを、関口さんはどう考えているのだろう。本名を Dieudonné M'bala M'bala というこの男は、名前から知られるとおりアフリカ系の移民2世だ。左翼から反ユダヤ主義に転向し、極右の国民戦線に近づいたりイランから資金援助を受けたりしているというから、随分とヘンな男である。
シャルリー・エブドも創刊当時は、左翼に支持されるサブカル誌だった。それが近年は発行部数のジリ貧で、多分に営業政策からムハンマドを風刺の対象にしていたらしい。
失業率が高止まりするフランスでは、ただでさえ小さなパイを侵食する移民への反感が強い。特に失業率の高い若年層の敵意が強く、イスラム文化の悪口を書くと雑誌がよく売れるという(わざわざ言うまでもないが、フランス国内の移民は基本的に旧植民地の北アフリカ、中東の出身者であり、したがって大半がイスラム教徒だ)。
日本の週刊誌が韓国の悪口を商売のネタにしているのと同じだね。さしずめフランス版在特会みたいな連中が多いのだろう。
こうした敵意に囲まれてフランス社会に生きる移民の若者が、ポジティブな未来を展望することが出来るだろうか。フランスに限らずドイツでも日本でも、移民、外国人労働者は社会的に不利な立場に置かれがちだ。不当に搾取されがちだ。異郷で人並み以上の暮らしを手に入れようとしたら、タレントかスポーツ選手かヤクザになるしかない。
芸の才能にも身体能力にも恵まれず、悪人にもなりきれない若者が自暴自棄に陥っても不思議はないだろう。シャルリー・エブドへのテロも、絶望した移民の若者がムハンマド冒涜の復讐を口実にうっぷん晴らしをしたのと違うか。
ディユドネの奇妙な思想的揺らぎにも、移民の鬱屈が見て取れる。移民の置かれた状況を考えれば、彼が「オレはシャルリーであり、クリバリでもある気分だ」と書いた意味が分かる気がする。表現の自由も大事、移民の怒りももっとも、と言いたかったのではないか。
"Je suis Charlie" のプラカードとともに行われた11日の大デモは、前代未聞の低支持率にあえぐオランド大統領の起死回生意図が見え見えだった。デモの中にいたサルコジは、身体の小さいのを利用してチョコマカ動き、最前列にしゃしゃり出てきてネットで嘲笑された。
シャルリーのマンガ家は、「自分らの友人だと急に言い出す奴らにはヘドが出る」と言ったという。サルコジが浅ましいオポチュニストであることは、自身移民2世でありながら大統領在任中、移民敵視を扇動したことからも分かる。事件の遠因を作った男と言ってもいいだろう。
国家的ムーブメントの実態とは、大体こんなものだ。だから本当の知性を持つ人間は、かつてブラッサンスが歌ったように「革命記念日なんかオレは知らん」と国家の催しに背を向ける。
そして「すべては許される」と訳して日本人のあいだに誤解を広めたのは、朝日バッシングの急先鋒、読売だった。