女装子愛好クラブ

女装小説、女装ビデオ、女装動画、女装記事などを紹介していきます。

ハイヒールは魔力を持つかも....

2023年07月07日 | 私的東京女装史
承前です。

かなり前のことです。
総武線某駅ちかくにある女装サロン。
ここはオーナーさんの人柄がよいので、いろいろな女装子さんが集まってきていました。
完全女装だけではなく、下着女装・首下女装の方もwelcomeです。

このときは完全女装子さん、首下女装子さん、下着女装子さんとが集り、男性側の私と楽しくお話をしていました。
首下女装子さんは、小柄な方で、ワインレッドのブラウスと紺のタイトスカートがお似合いでした。
彼女は私のブログをご愛読していただいており「もう少し若ければデートを申し込んでいましたよ」とおっしゃいます。

愛読者にはサービスをすることをモットーにしております。
御姿がOLさんを意識していると拝察いたしましたので、「いえいえ、ご謙遜。お美しいですよ。では少し、小生をお楽しみください」と申し上げ、「埼京〇漢プレイ」にお誘いしました。
「ええ、いいんですか?」とはにかみます。
それも可愛い。

サロンの隅の暗いところに手を取ってご案内して、彼女に壁に向かって立っていただきます。
そう、電車のドアに押し付けられている設定ですね。
私は後ろから大きな体を密着します。
そしてお尻のあたりにまずは手の甲を当てて、反応をみます。
「アン...」
タイトスカートのヒップが揺れます。
こうなると世界に入りますね。
手の甲を裏返して掌を当てます。
それだけでピクン。

すると完全女装子さんが近寄ってきて、首下女装子さんに小さな声でアドバイス。
「OLさんならハイヒールを履かないと.....。その方がスタイルよくってよ」
ご自分のハイヒールを貸してくれました。
黒のエナメルハイヒールを履くと彼女のヒップはすっと上がり、何とも言えないセクシーなシルエットになったのです。
このハイヒールで首下女装子さんの身体に火が付きました。
仕事人のテクが延々と続き、とろとろになった彼女はもうどうにも立っていられなくなり、奥のソファーで恋人プレイを楽しまれました。
彼女をここまでしたのも、ハイヒールの魔力かもしれません。

9.5cmハイヒール



11cmハイヒール



15cmハイヒール



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品川のホテルパシフィックは良いホテルでした。品川グースもね。

2023年02月04日 | 私的東京女装史
トヨタ自動車が東京本社を品川に移すという記事をよみました。
場所は品川グースの「跡地」。
「跡地」とはなんだぁ?
ホテルパシフィックがあり、その後には京急EXホテル品川になったはずじゃないのか。
でも、2021年春に閉館になっていたのですね。
コロナで私も外勤をしなくなっていたので、気づきませんでした。

ホテルパシフィックは良いホテルでした。
駅から近いし、ラウンジが落ち着いているということで、本当に打合せに使わせていただきました。

その後は品川グースになり、このホテルの客室を使う形でビジネスホテルになりましたね。
ここも足場のいいことから、女装子さんとのデートをさせていただきました。
1階のカジュアルレストランで女装子さんとお食事したとき、スタッフの心づかいも印象に残っています。

ただ、そのあと、予約していた「ホテルお任せプラン」でチェックインしたときは、アサインされたルームが喫煙フロアでありまして、廊下がとてもヤニ臭かつたことも思い出してしまいました。

あの丘にトヨタが立つのか。
ちょっぴり、寂しい気がします。
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『甘い囁き』 野沢那智&金井克子

2023年01月31日 | 私的東京女装史
在宅勤務です。
ラジオを聞いて仕事しています。
午前中はNHKFMです。
お昼はTBSのジェーン・スー。
午後はTBSのたまむすび。
そしてTBSの荻上チキを少し聞いて、インターネットラジオのイージーリスニング局に変えます。
2-3日前、このネットラジオを聞いていたら、懐かしい曲が流れました。
ダリダとアランドロンの『甘い囁き』です。
「あれぇ、この曲聞いたことあるぞ」
そう、金曜パックでずーーと聞いていた曲『甘い囁き』by野沢那智&金井克子

私は50年来のTBSラジオリスナーです。
金曜パックの野沢那智さんがアランドロンとなり、金井克子さんとこの曲をカバーしていました。
1970年代中頃でしたでしようか。
金曜パックでは、もちろんリクエストは毎週1位。
毎週のようにこの『甘い囁き』を聞いていました。

金曜日(木曜深夜)です。
家の者は寝ています。
テレビは映りません。
田んぼだらけの家の周りはシーンとしている午前2時。
そこに野沢那智さまの甘い囁きと金井克子さまの大人の女の唄。。
16歳の童貞少年はドキドキするばかりでございました。

あれから40年。
野沢さまも白石さまも天国ですか.......。

甘い囁き 野沢那智 金井克子
コメント (2)
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町山智浩 アメリカ流れ者 黒澤明の名作をリメイク 映画『生きる LIVING』

2023年01月30日 | 私的東京女装史
1月24日(火)のTBSラジオ「たまむすび」、町山智浩さんは「生きる」を紹介しました。
いや、カズオ・イシグロがリメークした「LIVING」の紹介です。

でもそのほとんどは黒澤版の「生きる」の紹介です。
町山さんの解説は上手い。
40年前に名画座でみた「生きる」を本当に細部まで思い出しました。

とここまで書いていて、見た映画館も思い出しました。
上板東映です。
季節は12月、『ぴあ』を握りしめながら、東上線に乗ったのです。

そして、途中から入ったので、場面は志村喬のお葬式の場面からです。
嗚呼、私はこの名作を後半のクライマックスから見てしまったのです。

こんなことまで思い出させてくれた町山さんに感謝感謝でございます。
大学生の頃ですから40年前にみた

2023-01-24(火) たまむすび 町山智浩 アメリカ流れ者 黒澤明の名作をリメイク 映画『生きる LIVING』



『生きる』は4Kのリマスター版が出ていますね。
上板東映でみた『生きる』はさすがは名画座、画面に雨がパラパラパラと降っていました。


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JR埼京線の車内で不自然に女装子を囲み…

2022年09月24日 | 私的東京女装史
コロナ禍前、19時以降の埼京線下り通勤快速1号車1番ドア運転席後ろはすごいことになっていました。
前回ご紹介した女性に対する痴漢の他、男性同士のハッテン、女装子とそれを囲む男達。

私は池袋から乗るのですが、美人女装子さんがいた場合、目を血走らせた男性たちが4-5人で彼女を囲みます。
そして彼女のミニスカートをまくり上げて、性器を触ったりする痴漢行為に及ぶのです。
「女装子だから声は上げねえだろう」という安心感?から行為はエスカレートしていったようです。
そのわきでは男性同士が扱きあう。

上野駅前のオー*ラ地下最後列立見席か、最強線か、というくらいのコンバットゾーンでした。



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バブルの時代~東京の女装シーンも劇的な変化がありました

2022年05月08日 | 私的東京女装史
今日で大型連休も最終日ですね。
私は遠出もせず、家でちんまりしておりました。
そのなかで面白かったのは「NHKスペシャル: 東京ブラックホールIII 」です。
山田孝之がバブルの時代にタイムスリップするのです。

「東京ブラックホールIII」では、日本経済のバブルが最も膨らみ、一挙に奈落の底に落ちた1989年から1990年にタイムスリップ、俳優・山田孝之演じる21世紀の若者が狂乱の時代を追体験する。
今でこそ、日本の迷走の原点と位置づけられるバブルだが、その時代、日本経済が世界の頂点に立っていたことは間違いない。経済成長率は先進国で最も高く、輸出も順調で経営者たちは日本的経営に自信を深め、もはやアメリカなど恐れるに足りずという空気だった。人々の所得も上がり続け、高級車、高級レストラン、リゾートにも手が届くようになった。未来への期待感が膨らみ、国民全体が多幸感に浸っていた。
しかし、89年12月、38915円という史上最高値をつけた日経平均株価は、年が明けると急落に転じ、10月には2万円を割る。数倍に上昇を続けた東京圏の土地価格も急落していく。東京に出現したブラックホールは、世界中の富を飲み込み、日本に束の間の繁栄をもたらし、瞬く間に泡と消えたのだった。
歴史上、日本が最も確固たる自信を持ち、陶酔感の中にあった時代を追体験していくことで、閉塞感のなかにある今の私たちの希望の手がかりを探していく。同youtubeの解説から引用


この番組を5月1日に観ましたが、いやあ面白かったですね。
当事者だった自分の記憶が次々に甦ってきます。
ディスコで踊るソバージュのお姉さまたちに改めてゾクゾクしました。
彼女たちもいまは還暦でございます。
番組のメッセージは『あきらめることに慣れすぎていないか』です。
うん、いいぞぉ...。

さて、この時代は女装世界でもターニングポイントでした。
三橋順子さんは「トランスジェンダー・カルチャーの昭和史」で以下のように書いていらっしゃいます。

一九七九(昭和五四)年、日本初の本格的な商業女装クラブ「エリザベス会館」が東京神田にオープンする。商業女装クラブとは、簡単に言えば男性客がお金を払って女装させてもらう場所である。規模の小さなものは以前からあったが、「エリザベス会館」はビル全部が女装関係の設備で、女装用品のショップ、専門のメイキャッパーや美容師が常駐するメイク室、女装姿でくつろげる談話室、プロ仕様の機材を揃えた撮影スタジオを完備した大規模なものだった。

(図9)は一九八〇年代の「エリザベス会館」の広告だが、「エリザベス」という文字の下に「趣味とストレス解消の店」と書いてあることに注目してほしい。一九八〇年代は、日本経済が「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の掛け声ととともにバブル経済への上り坂を駆けのぼっていった時期である。その時代を担った「二四時間働けますか」(ドリンク剤「リゲイン」のCMソング)というコピーに象徴される猛烈サラリーマンのストレス解消のための女装趣味という路線をはっきり打ち出し、それがマスコミに取り上げられ知名度を上げていった。

実際、私のエリザベス時代の先輩には、ミニワンピースの女装姿で、当初期の肩掛け式の大きな携帯電話を使って部下にてきぱき指示を出している一流企業のエリート・ビジネスマンがいた。
「エリザベス会館」のシステムの特色は、外出の制限と非女装の男性客を排除したことである。それによって安全な女装環境が提供され、気軽に楽しめる趣味・娯楽としての女装という形態が確立された。また、非女装の男性を排除したことで、アマチュア女装者は、それまで表裏一体の関係にあった男性との性愛関係から切り離されたことも大きな変化だった。

一九八〇(昭和五五)年、「エリザベス会館」の母体である「アント商事」から最初の女装専門誌「くい~ん」が創刊される(図10)。
女装専門の雑誌媒体によって全国に散在していた女装趣味の人たちがつながり、女装趣味の普及に大きな役割を果たした。一九八三年に『くい~ん』主催の「全日本女装写真コンテスト」が始まると、全国の女装者が女装技術を磨き、グランプリや入賞を目指して女装写真の出来栄えを競うようになる。それはまさに「競技」であり、こうした女装者のミスコンを私は「競技女装」と名づけた。
出所 「トランスジェンダー・カルチャーの昭和史」 三橋順子著
   『昭和文化のダイナミクス』ミネルヴァ書房 2016年所収 
    図9、図10は引用者が同書からの転載を行っていません。


猛烈サラリーマンのストレス解消のための女装趣味というコンセプト、そしてバブル景気で男性諸氏の懐が温かくなったことがエリザベス会館そして『くぃーん』が発展していったのですね。
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箱根駅伝を走る大学の学生さんと

2022年01月10日 | 私的東京女装史
正月2.3日は箱根駅伝を見て、過ごしました。
往路は抜きつ抜かれつのデッドヒートで見ていて面白かったですね。

上位を走る大学の名前を見て、昔のデートを思い出しました。

その大学に通う学生さんからメールをいただいたのです。
パンティストッキングフェチのようで、下着女装して抱かれたいということです。
社会人の女装子さんであればビジネスホテルを予約して先に入室していただくところですが、学生さんに先に部屋代を出してもらうわけにはいきません。
新宿のWホテル前で待ち合わせをすることにしました。
「まあ、こないかもしれないなぁ」とダメ元で目印の新聞をもって立っておりました。
定刻から少し遅れて、彼がやってきました。
「こんにちわ」
「.............」
緊張で声が出ないようです。
細身の子かなと思っていましたが、しっかりとした身体つき。
フロントでルームキーを受け取り、高層階のダブルルームへ。

北陸地方の高校を出て、その大学の理工学部の3年生。
合唱団にいるそうです。
もちろん年齢は20代。
(ここだけはしっかりと確認しました)

セクシーなランジェリーセットを渡して、「シャワーを浴びておいで。そして、これを着て出てきなさい」と指示する私。
コクリとうなづく彼。

女性の下着をまとった彼は全身が性感帯になりました。
彼の素敵な声がルームに広がります。
快感が理性を破壊するまで攻めてあげると、彼は自然に含んでくれました。

「父親より年上の人とホテルでこんなことしているなんて、すごく不思議な気持ちです...」
鏡に映った唇をすぼめる自分の姿を見ながら、ポツリとつぶやいた言葉がいまでも記憶に残っています。

あの夜から10年以上が経っています。
彼はまじめなエンジニアになっているでしょうか。
良き夫、良き父親となっているでしょうか。


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女装子さんとのデートをプランするときはトイレにも配慮する

2021年09月25日 | 私的東京女装史
承前です。
女装子さんとのデートをプランするとき、やはりトイレの問題を考えた方がいいようです。
カジュアルなレストラン、雰囲気の良い居酒屋、バーなどがデートの場所でしょう。
美味しい料理とお酒を飲んだ後にメーキングラブ....。

ただ、このときも多目的トイレのあるお店を選びたいところです。
しかし、単体のお店ではトイレは男性用・女性用しかありません。
ですので、男性がデートプランを考える時、大きなレストラン街のあるテナントビルを優先してみてもいいですね。
まあ、男性用のトイレにはいって「あら、ごめんなさい、間違えちゃった」と出てくるという肝っ玉姐さん系の対応もありますが...。

★こんな本もご参考に


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1990年の韓国・ソウル

2021年08月18日 | 私的東京女装史
韓国のバスの思い出を書いていたら、思い出しました、その時の韓国旅行を。
1990年でした。
「働きすぎはよくない」ということで、政府から社員にまとまった休みを取らせなさい、という指導がはいったのでしょうか、社長から「今年は1週間まとめて休みを取ること、これは命令だ」とお達しがでました。
急に休めと言われてもねえ、困った。どうしよう。
そうだ、韓国に行こう。
まあ、気安い独身者ですし、まあ海外旅行のコツはつかんでいる。

ということで、まずはビザを取りに港区赤羽橋の韓国大使館へ。
(当時はビザが必要だったんですね)
飛行機はJALが取れました。

成田からは順調なフライトで金浦空港に到着。
小さな空港で、とことことホテルインフォメーションに行き、明洞近くのビジネスホテルを予約しました。
「さてと、市内に行く空港バスは」とチケット売り場に行くと、そこにいたおじさんに日本語で「おにいさん、ひとりであるか? いい娘世話するよ、きれいな娘だよ、どう?」と声をかけられました。
『ええ、ここは空港だぜ、こんなところで客引きされるのか...』と驚く私。
しかしまあ、丁寧にお断りいたしました。
韓国歌謡がガンガンにかかっているバスに乗り、意味の解らないハングル文字の看板を眺めながら、市内へたどり着き、ホテルにチェックイン。

年季の入ったビジネスホテルです。
鍵をもらって荷物をほどくと間もなく、ドアがノックされます。
「誰?」
ドアを開けると若いボーイがずけずけと部屋に入って、にやにやしながら、日本語でこういいます。
「おにいさん、ひとりあるか? いい娘世話するよ、きれいな娘だよ、どう?」
「けっこうあるよ、大丈夫、大丈夫...」と押し返しました。

一息ついて、カルビ焼きを食べようと明洞の街を歩いていると、向こうからニコニコしたおじさんが近寄ってきます。
『あれ、韓国に知り合いはいなんだがな?』と不審に思っていると、きれいな日本語でこう言います。
「おにいさん、ひとりあるか? いい娘世話するよ、きれいな娘だよ、どう?」

1990年、一人当たりのGDPは韓国が6,610$に対して、日本が25,359$。
約4倍の開きがありました。
そのときの主要産業はインバウンド観光+αだったのでしょうか。

しかし2018年、一人当たりのGDPは韓国が42,135$に対して、日本が41,501$と逆転されてしまいました。
コロナ禍が終わったら、もういちどソウルに行ってみたいと思っています。
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小山田圭吾氏の事案から思い出したこと

2021年07月23日 | 私的東京女装史
カテゴリーを私的東京女装史としています。
あまり愉快ではないことを思い出してしまったのですが、これも私的歴史かなと考えて、ここに入れます。

いまから20年前くらいのことでしょうか。
P倶楽部の掲示板に女装子さんがある投稿をしました。
概略は以下の通りです。
「女装してJRのP駅を歩いてた。近くに特別支援学校がある。そこに通う知的障がいを持つ男の子を空き地の陰に連れ込んで気持ちよくしてあげた。彼も喜んでいた」

なにか自慢げのような書きぶりでしたが、これを読んだ私は強い不快感と違和感を持ちました。
女装してのさまざまな快楽事は成人した女装子さんと女装愛好男子の双方が了解して行う遊びであるべきというのが私の考え。これは20年前もいまも変わりません。
未成年で知的障がいを持つ子に対して、いくら「彼も喜んでいた」とはいえ女装者が自らの快楽を第一に考えるような行為は許されるべきものではありません。
そして沈黙はこの行為を認めることになると考え、ハンドルネームを明記して、同じ掲示板に反対意見を投稿しました。すると、「私も違和感を持ちました」とある女装子さんも同意の書き込みをしてくれました。これはうれしかったですね。

しかし反論も多かったですね。
3倍くらいあったかな。
ネット上で論争することは大嫌いなので、最初の書き込みだけで以降は沈黙しましたが、P倶楽部の掲示板には賛否を含めていろいろな意見が長期間にわたり飛び交いました。
そしてついには、主宰のYさんが「このことについてはここまでにしよう」とピリオドを打って終わりになりました。

反論を読んでいて気付いたことは、「その男の子も気持ちよくなったからいいんじゃないか」ということを免罪符にして、自分の立場を正当化して障がい者を見ている人がほとんどだということ。

自分の子供が障がい者だとして、女装した男性から性的いたずらを受けたことを知ったら親としてどのようなショックを受けるか。その女装した男性に対して親としてどのような感情を持つか。こうしたことに思いを持つことは大切だと私は思います。

女装は壮大な「ごっこ遊び」。
良識を持つ紳士と淑女(まあ男性ですが)がお互いの合意で楽しんでこそ、非日常の快楽を得られるものです。




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