女装子愛好クラブ

女装小説、女装ビデオ、女装動画、女装記事などを紹介していきます。

背広という囚人服を脱ぎ捨てて、一時でもドレッシィな格好でデパートめぐりができるのは、僥倖といわざるを得ません

2021年06月18日 | 私的東京女装史
パソコンのデータを整理していましたら、パソコン通信EONさんのログが出てきました。
1996年6月と記録されています。

EONは登録申請をすると、主宰の神名龍子さんからレスがあり、そこで登録した女装子さんが女装歴や思いを書かれます。
ログを読んでいたら、新入会されたY子さんの文章がいいんですね。
誠に恐縮ですが、引用させていただきます。

Y子さんのは大柄な方で15-17号の洋服を着られています。
独身時代は自室で室内女装でしたが、しかし結婚して一時封印。
東京に転勤になり、エリザベスにも通い出し、新宿の女装部屋も使い出しました。

同居人がおります関係上、着替える場所があってもそうおいそれと着替えるわけには行きませんし、すね毛を剃るわけにも行きませんので夏といっても冬用のタイツをはかざるを得ません。
特に今年は急に暑くなってきましたので、一回外出する度にアウターもインナーもクリーニングに直行です。
それでも、背広という囚人服を脱ぎ捨てて、一時でもドレッシィな格好でデパートめぐりができるのは、僥倖といわざるを得ません。
身体上のハンディを化粧や洋服等で補いながら、できる限り続けられればと思っております。


>背広という囚人服を脱ぎ捨てて、一時でもドレッシィな格好でデパートめぐりができる
この言葉に実感がこもっていますね。
1996年は真夏でもスーツにネクタイ。男は汗だらけになって通勤します。まさに囚人服。
しかし、女装すればブラとショーツに軽やかなプリントワンピ―スを来て、涼し気に街を歩けます。新宿伊勢丹にも入れます。
Y子はこれが本当に本当にうれしかったのでしょうね。

このころから25年たちました。
Y子さんの女装ライフはどのようなものだったでしょうか。
                                 
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浴衣を脱ぐと、彼女の身体には

2021年06月15日 | 私的東京女装史
カテゴリーは私的東京女装史ですが、今回は名古屋です。
バブル真盛りの1989年。
ある大都市に同性愛が集まるサウナ風呂がありました。
ここにはよく出張できますので、どんなところだんべぇと夜にでかけてみました。

基本は男性同士が愛する場所です。
ただ、女装子さんもOKです。

個室の集まるフロアを歩いていると、年増の女装子さんが目で合図します。
こちらも目で合図して、彼女の個室にすうーと入ります。

こうなると行うことはただ一つ。
浴衣の上からその女装子さんのおからだを愛撫しはじめました。
彼女も興奮していたのでしょう。
浴衣をパッと脱ぎました。
すると、彼女の乳首を頂点にして身体の前面に立派な入れ墨が入っているのです。

それは妖しげな花びらを持つ牡丹だったでしょうか。
いまであれば、社会経験を積んでおりますで、さほど驚きはしない。
しかし、当時は女装子愛好の初心者。
心の中で「あっ」と叫び、一目散に部屋から飛び出してしまいました。

去り際に女装子さんの顔をみると、寂しそうな残念そうなをしています。
その時の女装子さんの顔を今でもしっかりと覚えています。
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男には肌を触らせない女装子さんも

2021年06月14日 | 私的東京女装史
一昨日の承前です。

男に肌を触られて、オンナの性感帯が芽を出す女装子さんがいます。
反対に、オンナの洋服を着て、キチンとメイクアップをしてオンナになった自分が好きという女装子さんもいます。

私は後者の方とお付き合いしましたが、例えば乳首ですが、指で愛撫するのはOKでしたが、舌でぺろぺろはNGでした。
お洋服の上からでもすごーーく感じる女装子さんでした。
啼き声もチョーsexy

でも、肌を触らせない。
これも彼女なりの想いがあるわけですから、それは尊重いたしました。

女装子さんとの逢は偉大な「ごっこ遊び」
主役の女装子さんが思い通りに演出すればよいのです。


追伸 
写真は昔々の女装誌『くいーん』の表紙です。
日曜日に押し入れを整理していたら、いっぱい懐かしいバックナンバーが出てきました。

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昭和の日、雨模様です

2021年04月29日 | 私的東京女装史
おはようございます。

こちらは雨模様です。
まあ、コロナ感染拡大中なので「皆が家でおとなしくしていることを望む」という昭和天皇のお声が聞こえてくるようです。

昭和54年、日暮里駅近くの問屋街にエリザベスが開店しました。
それまで女装はアンダーグランドの趣味趣向でありましたが、これにより徐々に表に出てきたように思います。
昭和54年といえば1979年。いまから42年前。

昭和は遠くになりにけり、ですか。

『戦後日本女装・同性愛研究 (中央大学社会科学研究所研究叢書)』

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谷ナオミの『縄化粧』

2021年04月08日 | 私的東京女装史
今回も女装ではなくて、谷ナオミさんの話です。

学生時代の級友、友江の家を訪ねた加奈子は、友江が絵描きの主人に“犬”として調教される姿を見た。
驚いた加奈子だが、自分も心の底に“犬”のように扱われたい願望があることに気づいて、主人の英一郎を誘って友江を訪ねた。
最初は躊躇した英一郎も加奈子をいたぶることに喜びを覚えるのだった。
そして、その日から、二組の夫婦の秘密の儀式の日々が始まった。
出所:映画.com


この映画の冒頭は団地のキッチンで静かに朝食をとる英一郎とややつまらなそうにそんな夫の姿を見る加奈子(谷ナオミ)。
そして親友の友江が犬として調教される姿を見て衝撃を受ける。
家に帰った加奈子は自分も犬になって英一郎を誘うが、英一郎は驚くばかり。
しかし、加奈子の努力が実り、ついには2匹の牝犬が2人の飼い主に調教されるようになる。
エンドシーンは団地のキッチンで精力的にむしゃむしゃと食べ進む英一郎の姿であった。

2匹の牝犬が2人の飼い主に調教されるシーンは刺激的です。
ただこの映画、夫婦のマンネリにはSMプレイも効果がありますよ、という健全な?メッセージを持っていました。
と今になって思うのです、当事者となってしまった自分は....。


団鬼六『調教』




『夕顔夫人』



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谷ナオミさんのこと

2021年04月07日 | 私的東京女装史
まあ、カテゴリーは私設東京女装史となっていますが、女装のことは今回は書いておりません。

初めて谷ナオミさんの映画をを見たのは『檻の中の妖精』
1978年ごろ、場所は池袋の文芸地下だったでしょうか。
文芸地下は邦画専門館。
いろんな映画を分け隔てなくやっていました。
そこで団鬼六原作、日活ロマンポルノのSM映画を見ちゃったんです。

西欧諸国に戦雲渦く頃、静かな日本を揺がす憲兵達の足音。鬼の憲兵・西崎中尉の分隊であった。
この隊の田岡上等兵は、反戦分子の下島の探索をやり、その愛人・浪路の拷問を歓びの表情の中で行っていた村山男爵を知る。
彼はSM嗜好者で西崎中尉とも深いつながりを持っていた。
やがて下島は逮捕され訊問で富豪の菊島夫人の名がもれ、西崎中尉の目は異様に光った。
菊島夫人はただちに逮捕され村山男爵の館へ。
男爵の館の地下室には拷問道具と鉄製の檻があった。
西崎、村山、そして田岡上等兵と村山の情婦・加代の好奇な眼が集中する中、夫人は着物を脱がされ緊縄され、自由を奪われ、最後の腰巻きまでもが西崎の命令により取られてしまった。
一同はその夫人の姿に生唾をのみ、うっとりながめているのであった。
その時、地下室に歌舞伎役者の仙之助が連行されてきた。
仙之助の後援会長である夫人が、仙之助と下島が友人であるところから夫人と下島の関係がデッチ上げられたのであった。
男爵と中尉の責めは毎日続いた。
それは、訊問というより一つのプレイのようでもあった。
しかし、男爵たちの行為を司令部が察知し、中尉は仙之助と夫人の暗殺を計ろうとした。田岡上等兵はいつのまにか夫人への気持がつのり、夫人を殺そうとした中尉を逆に殺してしまう。
そこへ、慌てて駆けつけた男爵も殺してしまい、田岡と夫人は二人で逃亡。
山奥の農家に隠れる。そこで田岡は今までつのっていたせつなさをすべてはきだし、夫人もそれにこたえた。
翌朝、二人は特務憲兵に発見され、「死んでお詫びしろ」と射殺されてしまった。
出所:映画.com


こんな映画をみちゃったんです。19歳の少年が...。
特に幽閉された菊島夫人と仙之助への責めは刺激的でしたね。
嗚呼、SMというのはなんと官能的なんであろうか。
それが今みたいにパソコン画面ではございません。
文芸地下の大スクリーンです。
これが沼にはまりましたね。
当時はレンタルビデオなんてもんはない。
谷ナオミさんが見たければ、『ぴあ』片手に都内の映画館を探して歩くしかない。
おかげさまで、都内の場末のポルノ映画館は結構行きました。
大学生だから時間はある。
授業をさぼって平日の午後、薄暗いトイレのにおいが漂ってくるガラガラの映画館でみる谷ナオミさんのはち切れんばかりの乳房。
今もしっかりと焼き付いています。
私のおすすめは『檻の中の妖精』と『縄化粧』です。
ここのブログではリンクは貼れませんが、興味が湧いた若い方はDMMなどで借りてみてください。


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不道徳の度合いが高いほど興奮する

2021年03月25日 | 私的東京女装史
1989年頃だと思います。

『くいーん』誌の求友欄に「Mの女装者を求める」とメッセージを載せました。
待つこと1か月、編集部経由で達筆な封書が転送されてきました。
「売笑婦のお〇まとして私を買ってください」と書いてあります。
花代は100円。

何回かやりとりしたのちに、新大久保のラブホ街の喫茶店で待ち合わせました。

店に入ってきたところを見ると一目でわかります。
彼女が席に着き、うつむきます。
私は彼女に100円玉を投げつれます。

「あ、ありがとうございます」

昼間はスーツを着てネクタイをして、さぞや偉いんでしょう。
でも、今は100円で買われた最下層のお〇まの売笑婦。

後は新大久保の安くて汚い連れ込み宿に連れ込まれて、男の快楽の道具になるだけ...。

彼女の不道徳感はいかばかりだったでしょうか。
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新宿歌舞伎町のSMバー『典子』(4)

2021年02月26日 | 私的東京女装史
SMバー『典子』はSMマニアと女装愛好家が集るバーと書いてきました。
私が『典子』を訪れた動機も女装子さんがいると聞いたからです。
しかし、このお店の主流はSMであり女装子はいませんでした。

何回目かの訪問のときにカウンターに美人女装子さんが入っていました。
艶やかでブラウスから覗くバストが魅力的でした。
ママが彼女を可愛がっていました。
まあ他愛もない話をした程度です。彼女とはその後に2.3回お会いしたでしょうか。
そして彼女は新宿3丁目に女装子が集まるバー『嬢』を開店させたそうです。

このあたりのことは『戦後日本女装・同性愛研究 (中央大学社会科学研究所研究叢書) 』矢島 正見 (著)に詳しく書かれています。私は新宿女装界の周縁にいた程度なので、詳しくお知りなりたい方はこの本をお読みになってください。

1989年頃を最後に私は『典子』から足が遠ざかりました。
これは何か諍いや不快なことがあったからではありません。
私生活な大きな変化があったからです。

今回、このブログを書いているとバブル期の新宿歌舞伎町の喧騒を思い出してきました。
金曜の深夜2時、人も車も絶えることのない風林会館前の交差点が懐かしい。
あの頃の新宿は楽しかった。
あの頃の東京は楽しかった。
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新宿歌舞伎町のSMバー『典子』(3)

2021年02月25日 | 私的東京女装史
SMバー『典子』はSMマニアと女装愛好家が集るバーです。

2000年頃に『S&Mスナイパー』という雑誌がありました。
この雑誌、私が愛読していた『SM奇譚』のテイストを継承していたので、愛読していました。
この『S&Mスナイパー』に長身でスタイルのよい美人そしてとんでもないM女が「接待SM」と称して都内各所でS愛好人士に責められるという企画がありました。
「へえ、こんなこがねえ、Mなんだ」とこの企画ものを楽しく愛読していました。
(もし雑誌名が間違っていたら御免なさい)

そしてある晩、『典子』に行くとその彼女(残念なことに名前は失念してしまいました)がいてホステスとして甲斐甲斐しくサービスしています。
写真でみるより美しい。
昼間は普通の美人OLが夜はSMバーで働きかつ責められる。
目の前にいる彼女を見て、そんな妄想をしただけで私の脳細胞は興奮してきます。

20年前のことなのであいまいなんですが、その夜、彼女は縛られて責められてヒイヒイと悲鳴を上げて喜んでいた記憶があります。
逆に言うと、熟達のM女を喜悦の声を上げさせる熟達のSM人士がごく普通に『典子』に集っていたということですね。
雑誌の企画が目の前で繰り広げられたことに私は驚きそして感激しました。
新宿歌舞伎町・風林会館前、ディープな世界でした。

『典子』のことは『戦後日本女装・同性愛研究 (中央大学社会科学研究所研究叢書) 』矢島 正見 (著)にも少し書かれていたと思います。
絶版で中古本も1万円を超えますが、大きな公共図書館では蔵書にあるはずです。
興味のある方はお読みになってください。
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新宿歌舞伎町のSMバー『典子』(2)

2021年02月23日 | 私的東京女装史
SMバー『典子』はSMマニアと女装愛好家が集るバーです。
昨日書いたように、店内では不定期に突発的にプレイが行われます。
そして、それを撮った写真がアルバムになって記録されていました。

何回か通ってママに顔を覚えられたこと、「あんた、警察官?」と尋ねられました。
私は驚いて「違いますよ、普通の会社員ですよ」
「そう? 目つきが鋭いから、てっきり警察官かとおもった」
「すみません」
そのころ30歳でしたでしょうか。
世の中が面白くなくていつも不機嫌な顔をしていたように思います。

ママがぼそっと言います。
「うちは警察官も多いのよ」
「ハードなSMプレイをやる男がいたのよ。そいつが警察官」
「アルバムにも載せていたの、そいつのプレイ」
「そしたらね、ある日やってきて『俺、〇〇部に異動になった』というのよ」
「そいつが言うのよ、これからは面が割れるとまずいと」
「私は即座にアルバムから剥がしてあげたのよ」
あるで麻生幾氏の小説のような話を聞くことができました。
職業も身分も思想傾向も関係なく、愛好人士が集まれるサードプレイスでもあったのですね、バー『典子』は。

『新宿・歌舞伎町 人はなぜ< 夜の街 >を求めるのか』 (幻冬舎新書)



麻生幾『ZERO』





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