休日は風を切って

休日は自転車に乗って風を切って、そんな生活をずっと続けていけたらと思っています・・・

帰省ラッシュはどうですか・・・(岩井の清水に行ってみました)

2012年08月13日 | 名所旧跡・神社仏閣

(2012.8.12 am:10:21 東北自動車道安達太良SA手前、渋滞する下り車線)

8月12日、天気予報から遠出をする気もなく、まったりとした日曜日を過ごしていました。家族もまた、それぞれにまったりとした日曜日を過ごしているようでした。



ただオリンピックを見ていても退屈なので、ナイトラン仕様のママチャリを駆って東北自動車道の帰省ラッシュはどれほどのものなのか、ダイエットも兼ねて“カラダトレーナー”を着けて見に出かけたんです。


(安達太良SA手前300m)

さすがに下り車線は混んでいます。安達太良SA手前ではブレーキをかけて最徐行状態です。しかしながら、原発事故からの影響なのかいつもよりは少ないのかもしれませんね。



さて、ここからどうしたものかと思いました。これから先のことを考えないで来てしまったのです。



ただ戻るのもつまらないので、ここから近い“岩井の清水”に行ってみることにしました。清水には何度も行っていますが、きょうはこの古い道を行くことにしました。



道路はちゃんと舗装されていますが、道はだんだん狭くなって、車は走らないみたいです。せいぜいバイクと自転車ぐらいですね。



岩井の清水付近には中学校のとき仲の良かった友達“EH君”の家がありました。そのころはきっとこの道を通って遊びに行ったのでしょうか・・・?



この景色は覚えています。



ですが、ここまで来るとどうも印象にないんです。





この石仏も・・・覚えていません。



石仏と道を挟んだ反対側には緑と赤の鮮やかな色彩。この正体は・・・



次に現れた風景、ここは覚えているぞ・・・。



ああ、この石垣には見覚えが・・・、友達の家はたしかこの辺だったような気がします。



岩井の清水に到着です。



源義家(八幡太郎)が矢尻でねえ・・・(すっかり忘れていました)。『安積の岩井』と曽根好忠についてはこちらのページにとても詳しく掲載されていましたのでご覧下さい。






命尽きた蝉・・・。あなたは夏の風物詩ですもの、ここで一生懸命鳴いてくれたんでしょうね。ご苦労さん。



ここへは小学校の時遠足でも来たことがあるんです。目的地は蛇ノ鼻公園(現在の蛇ノ鼻遊楽園)でその途中で寄ったんだと思います。



清水の周りは池を配した公園風にに整備されています。



清水はこの大きな木の根本にあります。





赤いカップが置いてありましたが、ここが清水の湧き出るところです。昔はこんこんと湧き出ていたような気がするんですが、いまは・・・。



この道をこのまま行けば岩根に抜けるんですが、“熊注意”の看板があったのでやめにしました。



岩井の清水からはめったに通らない道をあちこち経由して、ナイトランのコースへ出ました。



明るいナイトランのコースではノウゼンカズラが盛りです。これは花が細長くラッパみたいですから“アメリカノウゼンカズラ”だと思います。



傍らにあった従来のノウゼンカズラです。いつも思うのですが、このノウゼンカズラを見るとジリジリとした真夏の強烈な日差しをイメージしてしまいます。

ああ、だんだん暑くなってきました。帰ろう、ナイトラン第2コースをアサヒビールへ向かって走り出しました・・・。



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4 コメント

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今日も暑がったない (ケンヂ)
2012-08-16 21:44:34
13日夜から今日昼間まで郡山におりました。
炎天下はイヤだけど,晴ればかりで自転車を積まなかったことを後悔しました。
呑んで寝て食ってばかりで,70代半ばに差しかかりそうです。

岩井の清水?
う~ん。涼しくなったら探索したい!
如意輪観音が涼しげです。物憂げに頰杖をついているところがいいんだなぁ。
kojiさん,ナイスポイントですね。
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“ケンヂさん” (koji)
2012-08-17 02:06:10
“ケンヂさん”は郡山のご実家で英気を養われていたんですね。きょうも、いや今となっては昨日ですが、暑かったようですね。わたしは今週ずっと勤めでしたから、外の暑さも気にならないところにいたんです。それでも帰るとき外に出てみると、日中の暑さが容易に想像できました。
ところで“岩井の清水”は平安時代の中期には歌に詠まれていたというほど有名だったんですね。わたしは遠足で訪れたとき以外はあんまり興味ももたずにいたんです。ただ、今の状況は雨が降ったら直接地面を流れた雨水が流れ込みそうで、残念ですがこのときも飲んでみようとは思いませんでした。
石仏は“ケンヂさん”の興味の対象でしたね。わたしはいつもゲゲゲの鬼太郎などに出てくる水木しげるの絵を想像してしまうんです。
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水量 (玉井人ひろた)
2012-08-18 22:35:06
そこに行くには車なら広い道を行った方がいいですね。
本宮給食センターに向かっていけばすぐそばにありますから、分かりやすいですね

ところで、フォトを見るとずいぶん水量が有るので驚きました。
以前はほぼ乾いた状態でした。

溢れるように沸いていた水の水量が減った原因は古い人間ならよく知っているかもしれません。
これは面と向かっては言えないことですが、kojiさんのお友達の家もたぶんそうでしょうが、清水に隣接した2~3件の家で、そこの地下水を使用し始めたことが原因と、わたしは昔高齢者に聞かされました。

あと、説明文をゆっくり見たことが無かったですがそこに出て来る「小沼幸彦」という人物は、上杉家の家臣で国学者でもあった小沼氏の子孫だと思われます。

その小沼氏は、伊達正宗にお金を出させ現在の本宮町の原型を作った人物です。いわば本宮の創造者ですね
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“玉井人ひろたさん” (koji)
2012-08-19 05:15:41
おっしゃるように、今は乾いた状態ではなく清水は少しだけ溢れて外へ流れ出ていましたが、写真のような状態ですから、あんまり飲まない方がいいのかもしれません。
『上杉家重臣直江兼続によってこの地を与えられた小沼貞長が伊達政宗本宮通過の際、新しい町の建設の話をしたら、政宗は賛同し永楽銭200貫を与えたという。これをもとに1608年に南町を造った・・・』また『小沼幸彦は、本宮町南町を開いた小沼貞長の10代の子孫・・・』とありますから、“玉井人ひろたさん”の教えてくださったとおりです。ありがとうございました。
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