(2018.9.6 勝常寺薬師堂:河沼郡湯川村 大きな画像)
9月6日未明に起きた北海道の大地震。テレビから流れる映像に東日本大震災がダブります。「平成30年7月豪雨」から、つい先日の台風21号、それに追い打ちをかけるような今度の地震。今年の災難もさることながら、東日本大震災から九州熊本の大地震、そして今回の北海道と、怪しい雰囲気が日本列島を北から南まで包みます。
そこで、きょうは“ワイフ君”と湯川村の勝常寺にお参りして、日本の安寧を願って行くことにいたしましょう。勝常寺に駐車場はないということで、近くの村営駐車場から歩いてきたのです。
“勝常寺”は、会津方面に出かけてくる度に道路の案内板で見かけたり、カーナビの情報に見所として紹介されていたりするので、いつか行ってみたいところとして心に留めてあったのです。
国宝の仏像3体をはじめとして『平安初期の仏像が一寺院に12躯も保存されえているのは珍しい・・・』と案内にあります。
微妙なゆがみを見せている仁王門は、立派な大それたものではありませんが味があります。
奉納された大ワラジがあります。
腰蓑の仁王様は他のところにもあるらしいですが、わたしは初めてお目にかかりました。下はよく見ませんでしたが、まさか雪ぐつではないでしょうね。会津は雪深いから裸の仁王様が寒くないようにということでしょうか。
来る途中、三森峠を越えたところでナビの情報を再度確認したら、「拝観には予約が必要」だとありました。携帯で電話を入れようとしたのですが“圏外”で繋がりません。とりあえずダメモトで現地に行って、拝観が出来ればラッキーだと思ってやってきたのです。
ところが本当にラッキーで、薬師堂に近づくと扉が開いていて履き物が数足、中から話し声が聞こえました。お話を聞くと先客が2組おられて、その方々のどちらかが予約なさっていたとのことでした。
わたしたちは、予約の方々といっしょに“霊宝殿”へ移動しました。ここには薬師堂に安置されている薬師如来を除くあらかたの像が収めてありました。国宝の日光(にっこう)・月光(がっこう)の両菩薩をはじめとして、どれもじつに魅力的な見応えのある像でした。先客の方々はここで拝観終了。
わたしたちは残った薬師堂の拝観に向かいます。光の届かない薬師堂の中は少々うす暗く、その中にずらりと並んだ十二神将像(十二支に割り当てられている)や、この寺を開基したとされる徳一上人(とくいつじょうにん)の像もありました。十二神将像後方の扉が開けられ小さな明かりが灯ると、そこに鎮座しておられる薬師如来像はとてもいいお顔をなされていて思わず手を合わせました。
日本の安寧を願った帰りは、長年素通りしていた「會津藩校 日新館」に立ち寄ることにしました。
入り口に鎮座する“永楽大康獅子(えいらくたいこうじし)”は、世の中の安泰を願う獅子とのことですから、今回のドライブにはまさにピッタリの出会いです。
青白石(上質の大理石)で出来ているというこの獅子。狛犬のように阿吽(あうん)かと思えば両方お口を開けているんですね。
1986年(昭和61年)9月落成といいますから、もう32年にもなるんですね。それでようやく、“ワイフ君”もわたしも今回初めての見学なんです。
“戟門(げきもん)”というそうです。日新館がこれほど立派に再現されている施設だということにいたく感心いたしました。すごいです。
ほほー、JRのポスターで吉永小百合さんもPRに一役買っていたんですね。
一通り見学していきます・・・
大学もあったんですね。
『ならぬことは ならぬものです』でおなじみの“什の掟(じゅうのおきて)”。“ワイフ君”は七つしか無いと・・・。
大学の隣は“大成殿”。
“大成殿”の内部です。ここには日新館教育の基本となった孔子が祀ってありました。
『万世師表(万世の模範)』の額がかかげられている孔子廟。(※清朝の康煕帝が孔子廟に「万世師表」の額を贈った)
会津藩の魂のより所であった学び舎を、戊辰戦争の選局悪化に自らの手で焼かなければならなかった無念を思うとき、福島県人のわたしとしてはやはりやるせない気持ちが漂うのでした・・・。
勝常寺にしても日新館にしても、こんなに素晴らしいところだとは認識していませんでした。会津は深いところだとあらためて思った“日本の安寧を願う”今回のドライブでした。
9月6日未明に起きた北海道の大地震。テレビから流れる映像に東日本大震災がダブります。「平成30年7月豪雨」から、つい先日の台風21号、それに追い打ちをかけるような今度の地震。今年の災難もさることながら、東日本大震災から九州熊本の大地震、そして今回の北海道と、怪しい雰囲気が日本列島を北から南まで包みます。
そこで、きょうは“ワイフ君”と湯川村の勝常寺にお参りして、日本の安寧を願って行くことにいたしましょう。勝常寺に駐車場はないということで、近くの村営駐車場から歩いてきたのです。
“勝常寺”は、会津方面に出かけてくる度に道路の案内板で見かけたり、カーナビの情報に見所として紹介されていたりするので、いつか行ってみたいところとして心に留めてあったのです。
国宝の仏像3体をはじめとして『平安初期の仏像が一寺院に12躯も保存されえているのは珍しい・・・』と案内にあります。
微妙なゆがみを見せている仁王門は、立派な大それたものではありませんが味があります。
奉納された大ワラジがあります。
腰蓑の仁王様は他のところにもあるらしいですが、わたしは初めてお目にかかりました。下はよく見ませんでしたが、まさか雪ぐつではないでしょうね。会津は雪深いから裸の仁王様が寒くないようにということでしょうか。
来る途中、三森峠を越えたところでナビの情報を再度確認したら、「拝観には予約が必要」だとありました。携帯で電話を入れようとしたのですが“圏外”で繋がりません。とりあえずダメモトで現地に行って、拝観が出来ればラッキーだと思ってやってきたのです。
ところが本当にラッキーで、薬師堂に近づくと扉が開いていて履き物が数足、中から話し声が聞こえました。お話を聞くと先客が2組おられて、その方々のどちらかが予約なさっていたとのことでした。
わたしたちは、予約の方々といっしょに“霊宝殿”へ移動しました。ここには薬師堂に安置されている薬師如来を除くあらかたの像が収めてありました。国宝の日光(にっこう)・月光(がっこう)の両菩薩をはじめとして、どれもじつに魅力的な見応えのある像でした。先客の方々はここで拝観終了。
わたしたちは残った薬師堂の拝観に向かいます。光の届かない薬師堂の中は少々うす暗く、その中にずらりと並んだ十二神将像(十二支に割り当てられている)や、この寺を開基したとされる徳一上人(とくいつじょうにん)の像もありました。十二神将像後方の扉が開けられ小さな明かりが灯ると、そこに鎮座しておられる薬師如来像はとてもいいお顔をなされていて思わず手を合わせました。
日本の安寧を願った帰りは、長年素通りしていた「會津藩校 日新館」に立ち寄ることにしました。
入り口に鎮座する“永楽大康獅子(えいらくたいこうじし)”は、世の中の安泰を願う獅子とのことですから、今回のドライブにはまさにピッタリの出会いです。
青白石(上質の大理石)で出来ているというこの獅子。狛犬のように阿吽(あうん)かと思えば両方お口を開けているんですね。
1986年(昭和61年)9月落成といいますから、もう32年にもなるんですね。それでようやく、“ワイフ君”もわたしも今回初めての見学なんです。
“戟門(げきもん)”というそうです。日新館がこれほど立派に再現されている施設だということにいたく感心いたしました。すごいです。
ほほー、JRのポスターで吉永小百合さんもPRに一役買っていたんですね。
一通り見学していきます・・・
大学もあったんですね。
『ならぬことは ならぬものです』でおなじみの“什の掟(じゅうのおきて)”。“ワイフ君”は七つしか無いと・・・。
大学の隣は“大成殿”。
“大成殿”の内部です。ここには日新館教育の基本となった孔子が祀ってありました。
『万世師表(万世の模範)』の額がかかげられている孔子廟。(※清朝の康煕帝が孔子廟に「万世師表」の額を贈った)
会津藩の魂のより所であった学び舎を、戊辰戦争の選局悪化に自らの手で焼かなければならなかった無念を思うとき、福島県人のわたしとしてはやはりやるせない気持ちが漂うのでした・・・。
勝常寺にしても日新館にしても、こんなに素晴らしいところだとは認識していませんでした。会津は深いところだとあらためて思った“日本の安寧を願う”今回のドライブでした。
一緒にお参りさせていただきました。
北海道の地震、酷い被害がですが私の住む北見は停電だけで助かりました。
今朝夜中から電気も来てテレビを見て驚いてます
今年の日本は如何してこんなに災害が続くのでしょうね
でもお参りして貰ったから、これから落ち着いてくれるでしょうね
“あきさん”のところは停電だけとのこと安心しましたが、家に中に被害はありませんでしたか。
日本中なんだか変ですよね。神様にも仏様にも世の平安を願わずにはいられません。
お参りのお願いをどうか聞いていただけますように・・・。
koji さんが日新館が初めてとは驚きました。私は2度ほど行きました。什の掟は大好きで鶴ヶ城で買って来た手ぬぐいをデスク脇に貼っています。什は「什器」と同じ意味ですね。^^;
それにしても,今年はまさに災害の年ですね。もうあとはたくさんという気分です。南無!
立木観音を拝観したときも驚きでしたが、ここ勝常寺でもまた同じような感銘を受けました。ぜひ訪ねてみてください。
日新館を甘く見ていました。いやはや大したものですね。“郡長正”についての資料もありましたが、違う説もあったりするんですね。
(参考)https://blog.goo.ne.jp/goo3360_february/e/c5f4d6d2bc3c0bd71ec33fb419be0d02
大きな災難が続きますよね。どこかで断ち切れればいいのですが・・・。
赤べこも徳一上人の伝説です。我が村に在り枝垂れ桜の名所にもなる「相応寺」も徳一上人が建立したお寺の一つで、文化財の薬師如来坐像を祀ったお堂があります。
お寺そのものは「真義真言宗」で本尊が大日如来なので、別お堂になっていますが、その薬師様の御姿は素晴らしいものです
日新館はできてすぐに見に行きましたが、地球儀などが在り、江戸時代は私たちが想像する以上に進んでいたことを感じました。
ちなみに、その場所の正確な名は「日新館」で‘会津藩校’というのは入らないようです。
「藩」という言葉は明治政府がつくったものですからね。その時代にはありません。
相応寺をはじめ、この近辺でも徳一上人が創建した寺はとても多いんですね。
旧白沢村の高松山観音寺には分骨したという徳一廟があります。
両側に日光・月光の両菩薩を配した相応寺の薬師如来坐像は大玉村の有形文化財になっているんですね。
大学もあったんですね。算術や天文学も学んだんでしょうね。そういえば外には天文台といわれる場所もありました。
このような素晴らしい史跡が災害で無くならないことを、心から祈りたいものです。
それは別にして、日本でも世界でも消失した歴史上貴重なものは、戦火で焼かれたものがとても多いような気がします。人間の愚かさは、どんなに文明が発展しようが無くならないようですね。
再建された文化財でも、火災からしっかり守っていかなければならないですよね。