(2017.4.24 伊達市の桃畑にて)
4月24日、今朝はとても冷え込んで霜が降りました。
午前5時17分、安達太良方面には低く雲がたなびいて・・・
手前の大名倉山も・・・
安達太良山も、まるで薄絹を纏ったような幻想的な姿。
12時38分、ここは福島市内の阿武隈川。『桃畑の花が見たい・・・』という“ワイフ君”とドライブしてきたのですが、河原に見えた柳の新緑があんまりきれいだったので降りてみたのです。
『ホラホラ、めだかがいっぱいいるよ』
(それはメダカでなくて、オイカワやモロコなんかの稚魚だって・・・)
『このカラシナは柔らかそう』
“ワイフ君”は今にも大好きなカラシナを摘み始めそうだったので、河原の散歩はこれぐらいでヤメにしました。
桃畑に向かっていると、道路脇に整備されたばかりの駐車場とこの案内板が建っていました。
案内板によると、ここは“伊達氏発祥の地”。文治5年(1189年)源頼朝(みなもとのよりとも)が藤原泰衡(ふじわらやすひら)を倒す奥州合戦で武勲を上げた“従五位下常陸介入道念西(ひたちのすけにゅうどうねんさい)=初代伊達朝宗(だてともむね)”が、その功績により源頼朝から伊達郡を拝領し、あの高いところに見える亀岡八幡宮のところに高子岡城(高子岡舘)を築き、氏を“伊達”と改めたということのようです。展望台もあるようなので行ってみることにしました。
これが伊達氏発祥の地の“亀岡八幡宮”。鎌倉の鶴岡に模して「八幡宮」をこの城の中に建てたとのこと。後に伊達の八幡村(梁川八幡神社)に移され、現在は仙台城下、青葉城の下の川内に「亀岡八幡宮」として祀られているとのことです。
八幡宮の裏手へ石段を上ると、大きな岩が露出した頂上に出ます。
岩下を覗くとおそろしいほど切り立った断崖絶壁。そこからの眺めは飛びきりで、今では桃畑の広がる伊達の領地が一望出来ました。
(岩に絡みついたツタが赤く紅葉?していました)
また、山頂の違った場所からは吾妻連峰「吾妻小富士」の春の名物“雪うさぎ”も見えました。
山頂にあった山桜がとても綺麗でした。
桃の花は桜と同じ時期のようで、少々遅かったのかも知れません。それでもまだ綺麗に咲いている畑もずいぶんありました。
桃の木が驚くほど整然と並んでいると感じたのは、どの木も全く同じ樹形をしていたからでした。作業性を良くすることと、日照を考えてのことなのかもしれませんが、これは驚きでした。
帰り道は県道40号線で、ハナモモの咲く飯野町の「花やしき公園」を経由して帰ります。ここの存在を知ったのは今から3年前。
少しケバい・・・などといったら失礼になっちゃいそうですが、いつ見てもスゴイです。
道路の右も左もこんな感じです。
帰りがけに振り返ってダメ押しのもう一枚!ここを初めて通った人はきっと度肝を抜かれます。
4月24日、今朝はとても冷え込んで霜が降りました。
午前5時17分、安達太良方面には低く雲がたなびいて・・・
手前の大名倉山も・・・
安達太良山も、まるで薄絹を纏ったような幻想的な姿。
12時38分、ここは福島市内の阿武隈川。『桃畑の花が見たい・・・』という“ワイフ君”とドライブしてきたのですが、河原に見えた柳の新緑があんまりきれいだったので降りてみたのです。
『ホラホラ、めだかがいっぱいいるよ』
(それはメダカでなくて、オイカワやモロコなんかの稚魚だって・・・)
『このカラシナは柔らかそう』
“ワイフ君”は今にも大好きなカラシナを摘み始めそうだったので、河原の散歩はこれぐらいでヤメにしました。
桃畑に向かっていると、道路脇に整備されたばかりの駐車場とこの案内板が建っていました。
案内板によると、ここは“伊達氏発祥の地”。文治5年(1189年)源頼朝(みなもとのよりとも)が藤原泰衡(ふじわらやすひら)を倒す奥州合戦で武勲を上げた“従五位下常陸介入道念西(ひたちのすけにゅうどうねんさい)=初代伊達朝宗(だてともむね)”が、その功績により源頼朝から伊達郡を拝領し、あの高いところに見える亀岡八幡宮のところに高子岡城(高子岡舘)を築き、氏を“伊達”と改めたということのようです。展望台もあるようなので行ってみることにしました。
これが伊達氏発祥の地の“亀岡八幡宮”。鎌倉の鶴岡に模して「八幡宮」をこの城の中に建てたとのこと。後に伊達の八幡村(梁川八幡神社)に移され、現在は仙台城下、青葉城の下の川内に「亀岡八幡宮」として祀られているとのことです。
八幡宮の裏手へ石段を上ると、大きな岩が露出した頂上に出ます。
岩下を覗くとおそろしいほど切り立った断崖絶壁。そこからの眺めは飛びきりで、今では桃畑の広がる伊達の領地が一望出来ました。
(岩に絡みついたツタが赤く紅葉?していました)
また、山頂の違った場所からは吾妻連峰「吾妻小富士」の春の名物“雪うさぎ”も見えました。
山頂にあった山桜がとても綺麗でした。
桃の花は桜と同じ時期のようで、少々遅かったのかも知れません。それでもまだ綺麗に咲いている畑もずいぶんありました。
桃の木が驚くほど整然と並んでいると感じたのは、どの木も全く同じ樹形をしていたからでした。作業性を良くすることと、日照を考えてのことなのかもしれませんが、これは驚きでした。
帰り道は県道40号線で、ハナモモの咲く飯野町の「花やしき公園」を経由して帰ります。ここの存在を知ったのは今から3年前。
少しケバい・・・などといったら失礼になっちゃいそうですが、いつ見てもスゴイです。
道路の右も左もこんな感じです。
帰りがけに振り返ってダメ押しのもう一枚!ここを初めて通った人はきっと度肝を抜かれます。
先週末実家の両親と花見ドライブしたのですが、桑折町で母が桃農家の方に聞いたところでは、花が咲いたら殆ど摘花してしまうそうです。おそらくタイミング的には間違ってなかったと思いますよ。
いまママチャリモーニングランから戻って来ました。桃畑には脚立を立ててお仕事をなさっている方もおいででした。するところ、桃の花が少ないと感じたところは、時期が遅くて散ってしまったのではなくて、摘花作業が済んだところだったのかも知れませんね。“ホンダさん”勉強になりました。
“ワイフ君”は桃の花が見たかったのですが、わたしは花より団子、桃の実が食べ頃になるときの方が楽しみです。
花屋敷もこのブログで知りました。”今日の安達太良”も実家から見るのとほぼ同じ形ですし...これからも楽しみにしています。
花やしき公園は、周辺一帯の方々が心を一つにして始められた一大プロジェクトなんだと思います。一年ではなし得ない、壮大なプロジェクト。なんだかそこに感じ入るのです。
二本松から智恵子が見た安達太良とは違って、わたしの中の安達太良は、ここから見える生まれてからずっとのこの姿です。
これからもよろしくお願いします。
言葉がみつかりません~~
奥さまは満足されましたか?
高子岡城跡から見たピンクに染まる桃畑は見事でしたし、近くで見た桃畑もまた綺麗でした。でも、“ワイフ君”が一番よろこんだのは、往きと帰りの車窓から見えた、民家の枝垂れハナモモ、それも赤白の咲き分け“源平しだれ桃”でした。これは本当に綺麗で、“ワイフ君”はさかんに家にも欲しいと言っていました。