(2014.9.18 旧伊達郡役所:桑折町)
9月18日、わたしは今が夏休み。“ワイフ君”をマイカーの助手席に乗せて、シーズン最後の桃を買いに桑折町へと向かいました。
すごく天気が良くて、桃を買ってこのまま帰るのはもったいないと、カーナビで付近の見所を検索しました。その結果出てきたのが『桑折西山城跡』。カーナビに案内されて入り口までやってきましたが、本道から入り口方面へ細い通りを進むと、なにやら民家の庭先のようなところへ出てしまいました。すると、ちょうど帰宅した奥さまが車から降りたところでした。
「案内板をみて、ここまで来てしまったんですが、お城の跡へはどう行けばいいんですか?」
「この道を、このまま進めばいいんですけど、何もないんですよ」
「何も無くてもいいんです。なにか説明みたいなものはあるんでしょう?それじゃ、とりあえず行ってみます。ありがとうございました」
車一台がやっとというような未舗装の細い坂道を、車を左右に揺らしながら不安一杯に進みます。
『大手門跡』という石柱がある分かれ道のところへ車を置いて、荒れていない方の道へと進みました。何しろ、予備知識も何もない、我が家お得意の行き当たりばったりなんです。
なんだか、熊でも出てきたらいやだなあと思いながら恐る恐る進むと・・・。栗の実がパラパラと落ちていました。
栗の実を拾っていると、こんな毛虫が、そこいらじゅうワンサカと這いずり回っているのです。
『二の丸・・・』とか書かれている案内板が倒れていました。きっとこちらがその方面だと思うのです。
「あなた行ってきてみて」
しかたなく、クモの巣をはらいながら蛇でも出てきはしないかと、おっかなびっくり進んでいきます。
出てみたところは、なーんにもない、だだっ広い草ぼうぼうの原っぱ。まあ、ここが二の丸跡だと思うことにいたしましょう。
ここまでだったら車で来れたみたい。帰りもまた、道ばたの栗を拾いながら戻ります。拾った栗でポケットはパンパン。
今度は、車のところから真っ直ぐ高台の方へ向かっている、もう一方の道を歩いて進んでみます。
少し行ったところの右手には、ちょっとした広場がありました。
『砲台場跡(戊辰戦争のとき、大砲を仕付けたところ)』とあります。
この広場に案内板がありました。
『桑折西山城は室町時代に築城され、奥州戦国大名、伊達稙宗(たねむね)・晴宗(はるむね)(奥州探題)の居城跡で・・・』
ここから、さらに上へ向かうと本丸跡のようです。
広場に沢山生えていたのは“キンミズヒキ(金水引)”。バラ科キンミズヒキ属の多年草。
そして“フユノハナワラビ(冬の花蕨)”。ハナヤスリ科ハナワラビ属。
こんなワラビだらけの一画も・・・。“ワイフ君”はワラビには目がないのです。
ここが本丸跡といわれる一番上の畑みたいな広場です。ここで、下に置いてきた“ワイフ君”と車を取りに戻りました。車に戻る途中、道ばたの葉っぱがみんな虫食いだらけだと思ったら、どこも毛虫だらけなんだと、“ワイフ君”は気味悪がって車の中にいました。
“ワイフ君”に本丸跡を見せるために、今度は車で頂上へ向かいました。
この碑があるので、ここが本丸だ分かりますが、これがなければ石積みなどがあるわけでもなし、まったく普通の高台です。
『高舘城』とありますが、文治5年(1189年)とありますから、西山城より古い時代、西山城の前身だったのでしょうか。
さすがに、ここからは福島市の方までよく見えます。
これは信夫山でしょうね。
この毛虫はフクラスズメという蛾の幼虫みたいです。
「うわーっ、景色もよく見えるけど、毛虫もよく見えるーっ」
西山城跡はどこもかしこも、この毛虫が大量発生していて、埋め尽くされているのです。もう気味が悪くて、早々に退散することにしました。
そうそう、ここで拾った柴栗はうまかったです。
桑折西山城は“中館・西館”のほうには土塁や石垣が残っていて見所が多いのかもしれません。
★桑折西山城については『桑折西山城』や『桑折西山城跡(国指定史跡)』が詳しいです。
9月18日、わたしは今が夏休み。“ワイフ君”をマイカーの助手席に乗せて、シーズン最後の桃を買いに桑折町へと向かいました。
すごく天気が良くて、桃を買ってこのまま帰るのはもったいないと、カーナビで付近の見所を検索しました。その結果出てきたのが『桑折西山城跡』。カーナビに案内されて入り口までやってきましたが、本道から入り口方面へ細い通りを進むと、なにやら民家の庭先のようなところへ出てしまいました。すると、ちょうど帰宅した奥さまが車から降りたところでした。
「案内板をみて、ここまで来てしまったんですが、お城の跡へはどう行けばいいんですか?」
「この道を、このまま進めばいいんですけど、何もないんですよ」
「何も無くてもいいんです。なにか説明みたいなものはあるんでしょう?それじゃ、とりあえず行ってみます。ありがとうございました」
車一台がやっとというような未舗装の細い坂道を、車を左右に揺らしながら不安一杯に進みます。
『大手門跡』という石柱がある分かれ道のところへ車を置いて、荒れていない方の道へと進みました。何しろ、予備知識も何もない、我が家お得意の行き当たりばったりなんです。
なんだか、熊でも出てきたらいやだなあと思いながら恐る恐る進むと・・・。栗の実がパラパラと落ちていました。
栗の実を拾っていると、こんな毛虫が、そこいらじゅうワンサカと這いずり回っているのです。
『二の丸・・・』とか書かれている案内板が倒れていました。きっとこちらがその方面だと思うのです。
「あなた行ってきてみて」
しかたなく、クモの巣をはらいながら蛇でも出てきはしないかと、おっかなびっくり進んでいきます。
出てみたところは、なーんにもない、だだっ広い草ぼうぼうの原っぱ。まあ、ここが二の丸跡だと思うことにいたしましょう。
ここまでだったら車で来れたみたい。帰りもまた、道ばたの栗を拾いながら戻ります。拾った栗でポケットはパンパン。
今度は、車のところから真っ直ぐ高台の方へ向かっている、もう一方の道を歩いて進んでみます。
少し行ったところの右手には、ちょっとした広場がありました。
『砲台場跡(戊辰戦争のとき、大砲を仕付けたところ)』とあります。
この広場に案内板がありました。
『桑折西山城は室町時代に築城され、奥州戦国大名、伊達稙宗(たねむね)・晴宗(はるむね)(奥州探題)の居城跡で・・・』
ここから、さらに上へ向かうと本丸跡のようです。
広場に沢山生えていたのは“キンミズヒキ(金水引)”。バラ科キンミズヒキ属の多年草。
そして“フユノハナワラビ(冬の花蕨)”。ハナヤスリ科ハナワラビ属。
こんなワラビだらけの一画も・・・。“ワイフ君”はワラビには目がないのです。
ここが本丸跡といわれる一番上の畑みたいな広場です。ここで、下に置いてきた“ワイフ君”と車を取りに戻りました。車に戻る途中、道ばたの葉っぱがみんな虫食いだらけだと思ったら、どこも毛虫だらけなんだと、“ワイフ君”は気味悪がって車の中にいました。
“ワイフ君”に本丸跡を見せるために、今度は車で頂上へ向かいました。
この碑があるので、ここが本丸だ分かりますが、これがなければ石積みなどがあるわけでもなし、まったく普通の高台です。
『高舘城』とありますが、文治5年(1189年)とありますから、西山城より古い時代、西山城の前身だったのでしょうか。
さすがに、ここからは福島市の方までよく見えます。
これは信夫山でしょうね。
この毛虫はフクラスズメという蛾の幼虫みたいです。
「うわーっ、景色もよく見えるけど、毛虫もよく見えるーっ」
西山城跡はどこもかしこも、この毛虫が大量発生していて、埋め尽くされているのです。もう気味が悪くて、早々に退散することにしました。
そうそう、ここで拾った柴栗はうまかったです。
桑折西山城は“中館・西館”のほうには土塁や石垣が残っていて見所が多いのかもしれません。
★桑折西山城については『桑折西山城』や『桑折西山城跡(国指定史跡)』が詳しいです。
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