(小峰城御三階櫓:白河市)
さて、何処に行っちゃおうか・・・。わが本宮市は“傘マーク”から曇りに変わったのですが、白河市や栃木方面は以前として午後の3時から6時に“傘マーク”があります。まあ、予報はあんまり当てになんないことが多いから・・・。
午前8時25分、収集所に出すゴミ袋を片手に“RFX8”に跨って家を出ました。天気は最高といっていいです。
きょうも盛んに稲刈りが進められています。先日の台風の影響で倒れた稲が多いです。今は本業がサラリーマンの休日農家が多いですから、きっとこの3連休で随分稲刈りがはかどるのではないでしょうか。
まずは県道29号線を南下します。ここから御霊櫃(ごれいびつ)峠もよく見えていますから、きっと頂上からは猪苗代湖が綺麗にみえて気持ちいいと思います。いいえ、わたしはきょうは登らないんです。
須賀川市との境、三穂田町のあたりであちこちにお祭りの幟が見えていました。どこも秋祭りなんですね。ここの幟には「奉納亀賀森神社」と書かれていました。亀賀とか鶴賀なんていうと会津若松市を連想してしまいます。
広域農道岩瀬~大信(たいしん)の道路脇にあった溜め池、うろこ雲とススキが秋でした。
郡山市から須賀川市に入りました。とても気持ちよく走っています。もちろん“RFX8”ですから今までの“P君”と比べればあたり前なのですが、きょうは風が無いのです。これが何と言っても最高です。足にパワーが無いので向かい風と坂道は御法度です。ハハハ
午前10時30分、天栄(てんえい)村の農林水産物直売所「季の里天栄」を道の駅と間違えて立ち寄りました。間違いと気づいてUターンして走り出そうとしたとき、偶然敷地内のとある看板が目に入りました。
おお“災い転じて福となす”、いやちょっとニュアンスが違うぞ。“嘘から出たまこと”“ひょうたんから駒”“藪から棒”ああ、だんだんあやしくなってくる。ここから500mなのですから、とにかく行ってみることにしました。
道はずっと登りで、その頂上に「天栄村ふるさと文化伝承館」はありました。
“RFX8”を入り口付近に立てかけて中にはいると館長さんがひととおり施設の説明をしてくださいました。そして今は丁度入場料が無料だということでした。次々にわたしの順路のライトアップをしてくださいました。そう、今はECOの時代ですから入館者がいないときは館内を消灯しておくのです。
まずは天栄村で発掘された縄文時代から飛鳥平安の時代のコーナー。
これは明治時代の街道筋にある町を書いた地図。ああおしい、二本松から上が写っていないじゃない!・・・誠に申し訳ありません。どうしても見てみたいとおっしゃる方はぜひ伺って見てください、絶対に損はさせません。
それからおもしろいなと思ったのがこれです。
明治から大正時代の『引札』と書いてありました。引札(ひきふだ)とは今の広告のようなものらしいです。なるほど岩代梁川町(いわしろやながわまち)製造本舗北徳「東北名菓 霊山后?」なんていうものや、鼻緒・履き物・石鹸・雨傘 桑折町「佐渡長本店」なんていうのもあります。
牛肉卸小売所、佐渡郡河原田町・・・新潟からフェリーで行くあの佐渡でしょうか。
なんだかこんな雰囲気はわたしが生まれた頃まで残っていたような気もします。
そのほか、農具や醤油づくりに使った道具や写真の生糸から布へ、そして染めの行程で使用した型紙の細かい細工には思わず感心して見とれてしまいました。
一角には天栄村の特産品のコーナーもありました。ご用命の際は農林水産物直売所「季の里天栄」へということなのでしょうか。ちょうど1時間見学させていただき、最後に館長さんに無料でお見せいただいたお礼を言いました。
「宣伝しておきます。ありがとうございました。」
「自転車、気を付けて行って下さいね。」とあたたかいお言葉を頂戴いし、午前11時30分「天栄村ふるさと文化伝承館」を後にしました。
白河市大信に入りました。とても綺麗に化粧直しされた蔵でした。新しいのかもしれないですね。
そして12時12分、白河市内を流れる阿武隈川にさしかかりました。川沿いにサイクリング・ロードがあるのです。帰りはそこを走り抜けてみましょう。
12時25分、きょうの目的地に到着です。
そうきょうの目的地はここ小峰城(白河城)だったのです。城内の広場に入った途端、勇壮な太鼓の音が響き渡って大にぎわいでした。
「ふれあいウォークinしらかわ」なんていうイベントのようで、小学生たちと思えない迫力に満ちた演奏が繰り広げられていました。
きょうの目的はこの石垣の上にあるのです。ところがこの石垣を見ていると面白いことに気づきました。
正面からの写真だと分かりやすいと思います。
これがその一部のアップです。『同心半円形落積(どうしんはんえんけいおとしづみ)』、白河小峰城の石垣はこのような積み方がされているのです。
これが復元された御三階櫓(三重櫓)です。徐々に目的に近づいています。
門をくぐって内側に入りました。さて“それ”がこの中のどこにあるのかは見てみないと分からないのです。
南側からグルッと一回りして来ると、復元された御三階櫓のところに“それ”「おとめ桜の碑」はありました。
以前、兄からこの“おとめ桜”の話を聞いて、よくよく可哀想な話だなあと、とても強く印象に残っていたのです。ですから、一度この目で見てみなくてはと思っていたのです。謂われは次のようなものです。
『和知平左衛門(わちへいざえもん)は築城の指揮にあたっていたのだそうです。そして、何度積んでも崩れ落ちる石垣の一部に、最初に城門にきたものを人柱にしようということになったのだそうです。ところが、そこにたまたまやってきたのが、当の和知平左衛門の娘“おとめ”だったというのです。和知平左衛門は「来るな来るな!」と手を振ったのですが、それをおとめは父が呼んでいるものだと勘違いして・・・』
切ない話です。
城内にある「しらかわバラ園」今は秋バラのシーズンでした。
(後日わかりました。ご当地ヒーロー“ダルライザー”、白河ダルマにちなんだネーミングなんだと思います。)
バラ園に入ろうとしているとき突然雨がパラパラと落ちてきました。これはいかんと戻ってくると、ステージには子ども達のヒーロー○○○○がいました。わたしはシャイダーやシャリバンぐらいまでしか分からないのです。最初はパラパラでしたからこんな感じでやっていたようですが、子ども達との撮影会というところで雨になりお流れになってしまったようでした。
わたしも自転車のところまで戻り、僅かなスペースに“RFX8”と避難しました。
お店の回りにも誰もいなくなってしまいました。
通り雨だったようですが、舗装された道路は雨を溜めるだけで乾くまでには時間がかかるのです。とりあえず雨は止んだので見切り発車しました。タイヤで泥水を撥ねるのはイヤですから時速は15キロがリミットでした。
トロトロと何キロ走ったでしょう。白河市と泉崎村との境まであと少しというところで待たしてもパラパラ、ポツポツ、ビチャビチャと降り出してしまいました。雨はわたしの進路と同じ方向に進んでいるのです。これじゃどこまで行っても濡れた路面です。そこで進むのを諦めて雨の中を引き返しました。
雨はどんどん本降りになってきます。さっきのビニールハウスに避難すれば良かったななんて思いながら、まわりに雨宿りが出来そうなところを探しているのですが、田んぼと畑ばっかりで・・・おっと、あそこなら何とかなりそうです。そこには辛うじて立って雨から逃れられるだけの短い屋根が出ていました。“RFX8”と一緒に入りました。中を覗くとポンプが一台設置されていました。
雨はどうにか峠を越したようでポツポツ程度になってきました。これがわたしと“RFX8”が避難したポンプ小屋の全貌です。あたりはすっかり水溜まり。西の空と北の空は明るいのです。いったいどこまで走ればこの雨から逃げることが出来るのでしょう。
JR久田野(くたの)駅のところから、どうやら国道4号線にアクセスする道路のようですが、見渡す限りこんな状態なのです。
午後2時59分、国道4号線に出ました。けれど車のしぶきを浴びながら走るのはゴメンなので歩道をゆっくり走りました。泉崎村に入ったあたりでしょうか、気がつくと思った通り雨は無くなっていました。どこをどう走ったのか、感覚だけで脇道に入ったり国道4号線を走ったりしながら、ようやく須賀川市に着きました。
須賀川市では玉木屋本舗とくまだぱん本舗で買い物をしたかったのです。ああここが東京オリンピック、マラソンの銀メダリスト円谷幸吉(つぶらやこうきち)選手の記念館か・・・、あれっその隣が目的の玉木屋さんでした。
本日は“お米の和ロール”ではなくて、わたしが食べたい栗のある季節限定のマロン・スウィートを買っていきたかったのです。でも残念ながら1個だけしか残っていませんでした。もちろんわたしのために最後の一個をゲットしました。
次は“ワイフ君”の要望による“くまたぱん”です。
「テレビ以来忙しくなったでしょう。」
「はい、おかげさまで・・・。」
余計なことを言っちまったな・・・。
午後4時25分に江持橋(えもちばし)のところからみちのく自転車道へ入りました。陽はだいぶ傾いてきましたが、暗くなるまであと一時間は走れそうです。
結局郡山市を通過中にライトが必要になりました。でもきょうは散歩の方々が少なくてとても助かりました。思えば白河方面の天気予報は午後が雨だったんだよなあなんて思っても後の祭りなのです。ありゃきっと「おとめ」の涙雨だったんだなあ。
本日の走行距離 走行時間 平均速度 最高速度 は、どっかでサイコンがリセットになってしまったようでナッシングでした。
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ですから、いつも観光付きサイクリングになってしまいますというか、これが一番の楽しみでもあるのです。ただひたすら走るなどという芸当は無理な注文です。ハハハ
今まで何度と無く白河まで行っていたのですが、この「おとめ」の話を確認できないままとなっていました。“ききょうやさん”のおっしゃる通り人柱、生け贄の発想は基本的に人間が持っているものなのか、それとも伝わったものなのか、広くそれが行われていたというところが謎ですよね。
“ききょうやさん”は須賀川にお住まいになっていたときがあったのですね。玉木屋本舗のとなり、円谷選手の大きな写真がある場所を以前ブログで見たことがあって、今まで何度か探したことがありました。“ききょうやさん”はもちろんご存じでしたね。玉木屋本舗さんではお米の和ロールが好きです。それとシュークリームがおいしいです。生プリンも買ってきたことがあったなあ・・・まあ、甘いものならなんでも好きなものですから。きょうはお仕事とのこと、ご苦労さまです。
小峰城、「建築法違反問題」で大騒ぎになりましたが対策が講じられ(人数制限)よかったですよね。
一度だけ天守閣に登ったことが有ります。
眺めは地形上遠くは見えませんが公園の様子が一望できます。
人柱などの伝説があっても、実際には、ほとんど「行われていなかった」という説もあります。
私的には、その説がいいですね。 例えば、石垣が今にもくずれそうなので、父が「来るな」と合図したのに、勘違いした「おとめ」が来てしまい、崩れた石垣の下敷きになり、それが「人柱」伝説として伝わったとか。
天守の入り口に一度に5名までと書いてあるのはそのためなのですね。小峰城にそんな問題があっったとは知りませんでした。あそこは木造で忠実に再現したというのがウリだったんですよね。
丸く収まるんだったら“へばなさん”の話がいいですね、そう思います。
大阪には 長柄橋の人柱の伝説があります
『物言じ父は長柄の 橋柱 鳴ずば雉子も 射られざらまし』
どんな伝説かは ここを読んでみて
http://www12.plala.or.jp/HOUJI/shiseki/newpage470.htm
雨で大変でしたね
今日 体育の日で 東京オリンピックの遠藤選手のことをラジオでしているのを聞きながら 円谷選手の哀しすぎた生涯を思っていました
ここが出生地だったのですね
彼の遺書は 何度読んでも涙が出ますね
円谷選手の遺書は目にする度、耳にする度、涙が出そうになります。
雨は泥よけの無い自転車の大敵なのです。今回は天気予報を甘く見ていたわたしの負けでした。
やはり雨でしたか。
その日はHIDEさんと阿武隈CRを通り
桑折町の三元車見物に行った日でした。
出発してすぐ雲行きが怪しくなりポツポツと。
しかしすぐに回復しました。
おとめの桜・・悲しすぎます。
kojiさんは娘さんがいらっしゃるので特に
涙が出そうな話だと思います。
石垣の積み方ですが時代とともに傾斜や隙間のない
緻密な技法になってきて時代の変遷を見ることができます。私ならコンクリートで垂直に造ると言いたい
ところですが、それを言ってはおしまいですもんね。
でもおとめの桜の話は本当なのでしょうか?おとめの身代わりに人形を埋めたとか・・・、そんな救いはないのでしょうか。
写真の石垣は『切込接ぎの「谷積み」で積まれた石垣』などと書かれたものもあるのです。