(2014.9.18 旧伊達郡役所:桑折町)
9月18日、桑折町の“万正寺の大カヤ”を見たあと、市街地に戻って“旧伊達郡役所”を見学していくことにしました。
展示されていた古い写真。明治16年、伊達郡役所が完成した当時の写真なのでしょうね。
これが、現在の姿です。“ワイフ君”とわたしは、桑折町へ来た折に、何度か外観を見たことはありますが、内部を見学するのは今回がはじめてなのです。
(保存修理工事中の旧伊達郡役所 2012.7.17撮影)
これは、前回訪れたときに撮った写真です。
(保存修理工事中の旧伊達郡役所:正面 2012.7.17撮影)
このときは、震災で壊れた建物の修復作業中だったらしく、敷地内にも建物内にも入れませんでした。
今回、震災で壊れた建物の『保存修理工事の記録』というパンフレットを頂いてきましたので、ご興味がおありの方はご覧になってみてください。
玄関脇には、この建物についての説明板が設置されています。
さあ、それでは靴を脱いで、さっそく中に入ってみましょう。
玄関から入って左側、ここは大事務室。綺麗に修復されて、このままレストランにでもなってしまいそうな、とても落ち着いたレトロな空間が広がっています。
大事務室の奥に見えているのは郡長室です。行ってみましょう。
赤い絨緞が、いかにも郡長室という感じです。
さすがに立派なお髭をたくわえていらっしゃっいます。「ウホンッ」なんていう咳払いが聞こえてきそうです。
こちらは宿直室。
さあ、今度は玄関から右側へ行ってみましょう。
戸長詰所。※戸長(こちょう)とは、明治時代前期に区・町・村に設置された行政事務の責任者のこと。
さあ、今度は時代を感じさせる手すりのついた階段で、二階へと上ってみましょう。
この部屋は大会議場。アーチ状の色ガラスの飾り窓が建物の中央、玄関のちょうど真上になります。
窓の外には、市街地の街並みを南北に抜ける真っ直ぐな道路が見えます。
この道路は、南の端で郡役所の正面にぶつかるように造られています。
あえて、床板の継ぎ目がはっきり分かるように、全て面取りしたんですね。
わたしは、文明開化の香りがする欄干やシャンデリアが、たまらなくいいと思いました。そういえば、先日は天鏡閣でもこんな欄干に出会いました。旧郡役所の見学はここまで、ありがとうございました。
そうそう、旧伊達郡役所と同じ敷地には、隣接して『種徳(しゅとく)美術館』があります。
『種徳美術館は故角田林兵衛氏(旧桑折町長、福島信用金庫会長などを歴任)が地域の文化向上を願って、家伝の美術品と美術館を町に寄贈され1981年10月に開館いたしました。収蔵品は角田氏の祖父、貴族院議員角田林兵衛種徳翁の収集によるもので、主として江戸、明治初期の代表作者による書画400点にのぼります・・・』(頂戴したパンフレットから)
ちょうど“夏季名品展”(7/5~9/28)の開催期間中でした。門外漢のわたしですが、狩野探幽や谷文晁など聞いたことのある名前もありました。旧伊達郡役所へ訪れた際は、併せて、ぜひそちらもご覧あそばされまし。
ながながと引いてしまいました『旧伊達郡役所+αの旅』でしたが、これにて千秋楽の運びとなりました。みなさま、どうぞよい夢をみて、おやすみなさい・・・。
9月18日、桑折町の“万正寺の大カヤ”を見たあと、市街地に戻って“旧伊達郡役所”を見学していくことにしました。
展示されていた古い写真。明治16年、伊達郡役所が完成した当時の写真なのでしょうね。
これが、現在の姿です。“ワイフ君”とわたしは、桑折町へ来た折に、何度か外観を見たことはありますが、内部を見学するのは今回がはじめてなのです。
(保存修理工事中の旧伊達郡役所 2012.7.17撮影)
これは、前回訪れたときに撮った写真です。
(保存修理工事中の旧伊達郡役所:正面 2012.7.17撮影)
このときは、震災で壊れた建物の修復作業中だったらしく、敷地内にも建物内にも入れませんでした。
今回、震災で壊れた建物の『保存修理工事の記録』というパンフレットを頂いてきましたので、ご興味がおありの方はご覧になってみてください。
玄関脇には、この建物についての説明板が設置されています。
さあ、それでは靴を脱いで、さっそく中に入ってみましょう。
玄関から入って左側、ここは大事務室。綺麗に修復されて、このままレストランにでもなってしまいそうな、とても落ち着いたレトロな空間が広がっています。
大事務室の奥に見えているのは郡長室です。行ってみましょう。
赤い絨緞が、いかにも郡長室という感じです。
さすがに立派なお髭をたくわえていらっしゃっいます。「ウホンッ」なんていう咳払いが聞こえてきそうです。
こちらは宿直室。
さあ、今度は玄関から右側へ行ってみましょう。
戸長詰所。※戸長(こちょう)とは、明治時代前期に区・町・村に設置された行政事務の責任者のこと。
さあ、今度は時代を感じさせる手すりのついた階段で、二階へと上ってみましょう。
この部屋は大会議場。アーチ状の色ガラスの飾り窓が建物の中央、玄関のちょうど真上になります。
窓の外には、市街地の街並みを南北に抜ける真っ直ぐな道路が見えます。
この道路は、南の端で郡役所の正面にぶつかるように造られています。
あえて、床板の継ぎ目がはっきり分かるように、全て面取りしたんですね。
わたしは、文明開化の香りがする欄干やシャンデリアが、たまらなくいいと思いました。そういえば、先日は天鏡閣でもこんな欄干に出会いました。旧郡役所の見学はここまで、ありがとうございました。
そうそう、旧伊達郡役所と同じ敷地には、隣接して『種徳(しゅとく)美術館』があります。
『種徳美術館は故角田林兵衛氏(旧桑折町長、福島信用金庫会長などを歴任)が地域の文化向上を願って、家伝の美術品と美術館を町に寄贈され1981年10月に開館いたしました。収蔵品は角田氏の祖父、貴族院議員角田林兵衛種徳翁の収集によるもので、主として江戸、明治初期の代表作者による書画400点にのぼります・・・』(頂戴したパンフレットから)
ちょうど“夏季名品展”(7/5~9/28)の開催期間中でした。門外漢のわたしですが、狩野探幽や谷文晁など聞いたことのある名前もありました。旧伊達郡役所へ訪れた際は、併せて、ぜひそちらもご覧あそばされまし。
ながながと引いてしまいました『旧伊達郡役所+αの旅』でしたが、これにて千秋楽の運びとなりました。みなさま、どうぞよい夢をみて、おやすみなさい・・・。
これは歴史を感じながら視ないとだめですよね。
何か期待して入ると「あれ!なにも無い」です
道路は1.5倍以上の広さになり、左手に八百屋さんやら店がぎっしり並んでいたところは駐車場になってしまいましたし、第一旧郡役所から4号国道に右折する道路はその当時は無かったです。
『写真は広く見える・・・』というのは、本当ですね。レンズのマジックだと思います。ただ、何もない部屋はそれだけで広く見えてしまいますよね。旧郡役所の2階大会議場は、震災前は“半田銀山”の資料展示室になっていたような写真も見ましたが、いまは全く何もない空き室でした。