(2018.3.15 震災後いち早く2012.11に復活した『石ノ森萬画館』:石巻市)
3月15日、わが家は仙台市の娘を拾って、仙台東部道路から三陸自動車道へと乗り継ぎ石巻を目指しています。
あの東日本大震災からまだまだ復興途中の石巻市。
こんな施設が現れてきたところをみると、どうやら海の近くへたどり着いたようです。
じつは、ナビの設定でとんだヘマをして、目的地手前で高速を降り「航空自衛隊松島基地」の脇を通過して、何も無い広大な敷地の中を突き抜ける工事中の道路に迷い込んだところで『目的地付近に到着です!』なんてナビに宣言されてしまいました。ナビはあらかじめ調べていた“緯度・経度”で設定したのですが、どうやら「9と3」を見間違えてメモしたようで・・・。
ようやく目指していた石巻漁港に到着。なんとナビを設定した場所からは8キロも離れていました。住所で設定すればこんな間違いはなかったんです。
目的地は、石巻魚市場に隣接した石巻市水産総合振興センター1Fで営業している、市場食堂の「斎太郎食堂」だったんです。ネットで色々調べて、ぜひここで海の幸を堪能したいと思ったんです。この場所へ移転してまだ日が浅いようで、ナビでは直接出てこなかったんです。
これこれ、わたしは特上の海鮮丼。生ものの苦手な“ワイフ君”はカキフライ。このカキフライはとても美味しかったです。もちろんわたしの海鮮丼には大満足。会計は娘が・・・ゴチニナリマシタ。
お腹が満たされたところで本当の目的地へ。
(googleマップ)
ここは、伊達政宗からの命を受けた支倉常長(はせくらつねなが)の「慶長遣欧使節(けいちょうけんおうしせつ)」に関する資料を展示した“慶長遣欧使節船ミュージアム『サン・ファン館』”というところ。
サン・ファン館へアクセスする道路から見下ろすと、予想通りの立派な帆船が・・・。
車を屋内の駐車場へ止め、屋外広場サン・ファンバウティスタパークを通ってサン・ファン館へと向かいます。
少し前に“ワイフ君”はテレビで支倉常長の慶長遣欧使節についての放送を見たというのです。現地には復元した帆船“サン・ファン・バウティスタ号”が係留展示されているというので、これは絶対に行ってみたいと思ったんです。事前学習すると、以前は帆船の内部も公開していたというのですが、今は老朽化していて船内の見学はできないとのことでしたが、それでもなお興味は尽きずに来てしまったのです。
これがサン・ファン館。
“ワイフ君”と娘の場所からは、眼下に全長55mという大きなサン・ファン・バウティスタ号の全貌が見えました。
上の写真は、東日本大震災の津波を受けているときのサン・ファン・バウティスタ号。津波は周囲を囲んでいる見学のためのドック棟屋根まで到達しているのが分かります。
震災直後の強風で倒壊した前方に位置する28mのフォアマスト。
それでは、館内から下のドックに続く長いエスカレータで降りてみましょう。
だんだん近づいてきました。
なんだか海賊船を彷彿とさせますが、船尾には伊達家の大きな家紋が・・・。400年前にこれで太平洋を渡ったんですからスゴいことですよね。
津波はこの高さまで来たという表示があります。
(支倉常長に化けた“ワイフ君”)
伊達正宗が仙台領内でのキリスト教布教容認との引き替えに、スペイン領メキシコとの直接貿易を求めて、スペイン国王とローマ教皇のもとに派遣した支倉常長を大使とした慶長遣欧使節団。1613年10月に出航し、7年後の1620年9月に常長が帰国したとき、皮肉にも日本は幕府の方針によってキリスト教禁止の世になっていたのでした・・・。
次にやってきたのは、復興が進む石巻市街地方面。
旧北上川の河口付近にある中瀬という中州。
そこにある『石ノ森萬画館』というところ。
1995年、宮城県出身の漫画家“石ノ森章太郎”が当時の石巻市長との対話の中で、シャッター街化していく市街地の活性化をめざして、漫画ミュージアムを建設する構想が出来上がったのだそうです。そして、2001年石ノ森章太郎が宇宙船をイメージしてデザインした『石ノ森萬画館』が完成。
(写真は消防防災博物館データベースより)
ところが、2011年3月の東日本大震災による津波を受け被災。
しかし、被災から1年と8ヶ月後の2012年11月に再オープン。まさに石巻復興のシンボルというべき存在です。
石ノ森章太郎といえば仮面ライダー。さっそく仮面ライダーと記念撮影。
館内には沢山の原画の展示や、サイボーグ009や仮面ライダーのキャラクター展示などありましたが、そちらはもちろん撮影禁止でしたのでこちらの動画をご覧になって下さい。
“トライドロン”特別展示って書いてありましたが、今の仮面ライダーはバイクからクルマになったんですね。
午後4時45分、食べたし遊んだし次は娘を仙台に下ろしてから帰らなくちゃなりません。
「今度は写真を撮らなくちゃね」
わたしたちを乗せたクルマは、行くときに見て『歪んでいて面白い!』といった“鳴瀬奥松島大橋”まで戻って来ました。
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更地になって新たに造成されているところもあれば、津波被害を受けた1階部分が、ブルーシートに覆われたままの建物などもあります。
道路のや橋の整備も盛んに行われていました。
今回勉強した慶長遣欧使節の2年前に慶長大地震という今回の東日本大震災につぐような災害があったそうです。
災害はこれで終わりということがなく、いつやってくるか分からないところが恐いですね。
一昨年(2016年)の8月に、仙台から奥松島まで走ってきました。
https://ameblo.jp/kiyoshi87/entry-12192519680.html
kojiさんにもコメントしていただいています。
その時は復興への道はまだまだといった感じを受けましたが、
最近はどうなんでしょうか?もう一度走ってみたいと思っています。
今度行くときは、海の幸を堪能してみたいです(^_^;
観光がてら、被災地にお金を落とすというのも支援になりますよね(^^)v
また市街地方面の海沿いでは新しい建物や道路や橋も建設中でしたが、まだ整備には時間がかかりそうですね。
現地で行き当たりばったりに見つけるのは大変そうですが、ネットで検索すると美味しそうな店がたくさんありました。今回食べた食堂もそのうちの一軒でした。当たりでしたよ。
道路を走っていると、いたるところに津波がここまできたという表示がありました。ほとんど建物の一階部分はゆうにくぐってしまうほどの位置ですから犠牲になった方が多かったのがうなずけます。
おっしゃるように、これからは観光などで活気づくことも復興の大きな後押しになるかもしれませんね。新鮮な海の幸は最高でした。
石ノ森萬画館が楽しそう!行ってみたくなりました。
地震からもう7年も経ったのですね。
早いものです。
自転車に乗って、皆さんを応援したい!そんなことが出来たらいいなと思いました(*´ω`*)
石ノ森章太郎に関する施設はこのほかに、出身地である宮城県登米市に「石ノ森章太郎ふるさと記念館」というところがあるようです。そちらにも行きたかったのですが時間的に無理でした。
復興イベントと銘打って沢山の自転車で駆け抜ける催しなどもあるようですが、お行儀よく一列になって被災地の交通の妨げにならないように走ってくれればいいのですけれどね。
新潟と同じく海が近くて海産物が美味しいです。わたしたちに出来ることは、車ででも自転車ででも楽しく食べて観光するぐらいしかないのかもしれませんね。
サン・ファン・バウティスタ号は,去年のツール・ド・東北で最後のCPで寄ったところで,思い出深いです。地域と震災の話を聞くコースで,語り部さんから「海水による侵食が激しく,維持費用の高騰から解体を予定している」と聞き,最後の姿を見ることができたと感慨を覚えました。kojiさんはもっと近くからご覧になったので,とても幸運でしたね。
ツール・ド・東北は,ほとんどのコースが石巻専修大学をスタート・ゴールになっているので,馴染みのある町になってきました。去年は帰りに鮨勘で疲れ解しにスーパー銭湯に入ったり鮨を摘んだり。
今年は,修学旅行の翌日なので,行けないかなぁ。北海道から夕方帰米するしなぁ。
そう言えば,今日は郡山市役所で箭内道彦郡山市フロンティア観光大使の講演会があり,郡山に行きました。ものすごい青空でしたね。そして,ねらっている物件の内覧会へ。なかなか良いところでした。課題はお金と雇用です。ではでは。
更地に真新しい復興住宅が際立っていて、何度も見た津波の映像が頭をよぎりました。
朝は冷えましたが、日差しはもう本当に春ですね。早く郡山の住人になる日が来ることを願っています。