自分らしいお葬式やお墓を考えましょう。

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葬送の講座

2019-06-10 11:00:01 | 日記
 「慣習・しきたり」をテーマにした講座を頼まれました。つまり、慣習やしきたりに縛られた生活から解放されようというのが主催者の目的です。まずは、慣習やしきたりの内容が問題です。それらの意味を問うて、すぐに答えられる人は少ないと思います。広辞苑を引いても同じようなことが書いてあり、ならわしや風習という別のことばで説明されています。それでも、日本人は、そういうことばを聞いて、何となく理解するので、解放されたいという気持ちをもつことができます。
 わたしは、それらが宗教に関係していることを考えます。まずは、葬送に関係することが慣習やしきたりとして行われているのは、そんなに長い歴史をもっているわけでもないのに、慣習やしきたりとなってしまったと思っています。火葬が一般的になるのも戦後なのに、ずいぶん以前から当然のように思っています。東日本の大震災のとき、火葬ができなくて一時的な土葬をいていました。それに文句をいう人が多いというニュースを見て驚きました。土葬をあたりまえにしていた日本人がいつの間にか火葬をあたりまえにしているのです。亡くなって「土に還る」とか「自然に還る」ということばは、土葬だったから生まれたことばだと思います。土葬をしていた時代にお骨の問題はおこりませんでした。遺体をそのまま埋めてしまうから、遺骨だけ手元に残ることがなかったからです。いまさら土葬をすることはできません。だからお骨の問題が墓と絡んで問題化しています。
 講座で、焼香順を問題提起をしました。もちろん家制度を説明してからです。しかし、今回も生まれた順番ではなく、長男が優先される回答が返ってきました。家制度的なものが残る最後の問題が葬送に関係することでしょう。葬送も大きく変わったので、家族葬で行ったり、法事を家ですることがなくなりました。しかし、たとえ外食をしても、その支払を誰がしているかとなると、家制度的なものが残っているのではないでしょうか。外食をすることはほんとうにいいことだと思います。家でやる場合の女性の役割を考えたら、準備から後片付けまで、女性役割は山ほどあります。その意味でも外食は女性の手をわずらわすことがありません。最後の最後、支払の段階で家制度的なものが払拭されたら、手放しで喜べます。
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