各地の豪雨の被害がニュースで流れます。あまりにもひどく、ことばになりません。一瞬にして人生が変わり、なかには多くの人が亡くなってしまいました。自宅が残った人は、後片付けをしながら、前向きのインタビューに答えています。
前向きにこたえられる人や他の人のことを心配できる人の姿は、もう画面で見るのがしんどくなってしまいます。
こうした災害に遭ったことがないから、なんともいえませんが、すぐに行動できるのは、すごいとしかいいようがありません。
阪神淡路段震災の時、ジャーナリストだったつれあいが、すぐにオートバイを借りて、現地に行きました。自動車では行けないことを察知したからです。
そのとき、「実際に見ていったほうがよい」といったのです。1月17日が当日だったので、その3~4日後だったと思います。ひとりで行くのは、大変だから友人を誘っていきました。実際に現場を見て、何もできない自分がいました。ほんとうに見てきただけです。体育館に避難している人に声をかけたのですが、どのような声をかけたか覚えていません。友人も同じでした。ボランティアということばもなく、体育館で何かをしようにも何をしてよいかも分かりませんでした。
その年が「ボランティア元年」といわれました。
今年の被害にボランティアの人も行きにくいと思います。コロナ禍があります。どうして災害に遭う人と会わない人がいるのかと、いつも思います。同じ災害地でも助かる人とそうでない人、家が残った人とそうでない人など。異なる人が必ず出てきます。身近な人だからこそ、この違いは現地の人がもっともよく分かると思います。どう接していくのでしょう。
難しい問題だと思ってしまいます。
災害に遭っていないわたしがいろいろ書いてもむなしい気がします。
わたしができることは何かを考えたほうが前向きなのでしょう。
前向きにこたえられる人や他の人のことを心配できる人の姿は、もう画面で見るのがしんどくなってしまいます。
こうした災害に遭ったことがないから、なんともいえませんが、すぐに行動できるのは、すごいとしかいいようがありません。
阪神淡路段震災の時、ジャーナリストだったつれあいが、すぐにオートバイを借りて、現地に行きました。自動車では行けないことを察知したからです。
そのとき、「実際に見ていったほうがよい」といったのです。1月17日が当日だったので、その3~4日後だったと思います。ひとりで行くのは、大変だから友人を誘っていきました。実際に現場を見て、何もできない自分がいました。ほんとうに見てきただけです。体育館に避難している人に声をかけたのですが、どのような声をかけたか覚えていません。友人も同じでした。ボランティアということばもなく、体育館で何かをしようにも何をしてよいかも分かりませんでした。
その年が「ボランティア元年」といわれました。
今年の被害にボランティアの人も行きにくいと思います。コロナ禍があります。どうして災害に遭う人と会わない人がいるのかと、いつも思います。同じ災害地でも助かる人とそうでない人、家が残った人とそうでない人など。異なる人が必ず出てきます。身近な人だからこそ、この違いは現地の人がもっともよく分かると思います。どう接していくのでしょう。
難しい問題だと思ってしまいます。
災害に遭っていないわたしがいろいろ書いてもむなしい気がします。
わたしができることは何かを考えたほうが前向きなのでしょう。