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近代、いえ制度下の女性

2024-01-29 10:48:23 | 日記
2024年が始まり、1日から大変な年となりました。能登半島地震を知ったとき、ここまで大きな被害を出す地震とは思えませんでした。珠洲市に知り合いがいるので、心配しましたが、すぐに返信がなかったときはほんとうに心配しましたが、無事なことを知り、ホッとしました。しかし、その後はほんとうに大変なことが待っており、連絡することさえ躊躇します。
これだけ大きな被害をもたらしていることを知り、改めて知り合いの友人たちが珠洲市に原発がもたらされるときの反原発運動のありがたさを思います。彼女がお寺の坊守だったので珠洲市市民が割れるだけではなく、門徒さんが割れたのです。賛成派にまわった門徒さんとどのようにつき合ったのかと思うと、そのしんどさを想像するしかありませんが、大変だったことが分かります。
賛成派だった人も、今回の地震で原発の怖さを知ったのではないでしょうか。


結婚=入籍の時代を生きた女性―近代、イエ制度下の女性
 明治政府は、1873年、軍隊に必要な徴兵制のために戸籍制度を整備した。1889年に制定された『大日本帝国憲法』と『皇室典範』は同等の権威をもち、男性しかなれないとされた「現人神(あらひとがみ)現人神(あらひとがみ)」である天皇が統治することを決めた。1890年には『教育勅語』によって「父母ニ孝ニ」「夫婦相和シ」の精神が求められた。親に従い、夫に従う生き方である。それは、国家=天皇に従って生きる「臣民」(国民)のありようも示した。国家の一大事である戦争がおこれば、命を投げ出すことが求められ、戦死した人は「英霊」として靖国神社に祀(まつ)祀(まつ)られた。
 1898年、国家体制を支えるもっとも小さな共同体である「家族」には、イエ制度が法制化された。イエ制度の基本は父系の血統集団だが、養子制度は認めた。結婚は相手の家の戸籍に入ることで、「入籍」だった。長男を通して家名、家督(かとく)家督(かとく)(財産)、祭祀権(さいしけん)祭祀権(さいしけん)(過去帳、仏壇・位牌、墓)が継承された。個人の生き方よりも先祖を大事とする「家」が優先され、国家を支えた。
 イエ制度に生きる女性は結婚してあたりまえ、長男を産まなければならず、国家のために「産めよ殖(ふ)殖(ふ)やせよ」が強いられた。「嫁をもらう」「嫁にやる」「娘をかたづける」などのことばが使われたように、モノのように扱われた。結婚しない女性は、「いかず後家(ごけ)後家(ごけ)」といわれた。良妻賢母思想が教育され、夫・嫁いだ家に従順な妻であり、子どもの教育ができる母であることが求められた。貞操教育も行われ、女性のみに姦通罪が摘要され、イエ制度に生きる女性は、やっと「一人前の女性」として認められたのである。
 一方男性は、長男はイエの跡継ぎとして一家を支える家長として生きることが求められた。次男以下には労働力、兵力が求められた。徴兵検査に合格し、働いて妻子を養える男性こそが「一人前の男性」だった。
 1945年8月、日本は敗戦を迎えた。
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