続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

頑張ってる人たち

2020-01-25 18:45:31 | 凄いな

今日は整形外科で先生の診察、お薬、膝に注射の日です。

待っている間にいろいろな人とお話します。

股関節の人工置換術を受けた人が、早足で散歩してると

言いました。私は到底早足なんて・・・

ある人が11年前に左右一度に手術して、腰手術

肩の関節の手術もしたとか、なんといま90歳

凄い80歳くらいかと思いました。綺麗な人でした。

またある人はやはり両関節手術、みんな凄い人ばかり

私の股関節なんてたいしたことがなく思えました。

皆さんとまたお会いしましょうとお別れしました。

リハビリ室の待合室では短パン半袖シャツの男性がいました。

元気ですね寒くないんですか?

あなたこそ暑くないんですかって言われては~ 

凄い人たちに会いました。私もしっかりしなくちゃ。

 

昨日の朝のアオジ同じ時間に来て食べていました。

 

 

 

 

 


無視できぬ昆虫食

2019-10-03 17:42:29 | 凄いな

これからの人口爆発と食料難の、救世主は昆虫だそうです。

国連の 食料農業機構FAOで2013年に有効な食糧源になると

報告されたそうです。

虫は牛豚と言った家畜より育てやすい、牛肉1キロを生産するには

8キロの餌が必要だが虫なら2キロですむそうです。と読売新聞で

読みました。

 

私の尊敬する奥本大三郎先生は、2015年7月の日経新聞で

遅かれ早かれ昆虫を食べざるをえないと書いていらっしゃいました。

元来、人は虫食いのサルであったが、また元の虫食いに戻るので

ある。バッタのハンバーグは工夫次第でヒットするだろう。

 

ああやっぱりね。世界中で昆虫を食べている人は沢山います。

日本でも蝉、蜂の子、イナゴを食べていました。

成田山に行くと以前はイナゴの佃煮を売っていました。

昆虫食はいま若者に人気だそうです。

コオロギの粉末を練り込んだプロテインバーが人気だそうです。

タランチュラのスナックもあるそうです。

タランチュラのグミに驚いている人には想像できないでしょう。

通販があるそうなので、覗いて見ます。

 

 

 

 

 


関東大震災と両親

2019-09-02 18:47:23 | 凄いな

私の両親は関東大震災で無事生き残りました。

父は深川にいて清澄庭園で助かりました。

母は本郷にいて東大の構内で助かりました。


今日は吉村昭さんの関東大震災を読みました。

地震学者たちの心の葛藤に思いを馳せました。

一般の人たちに不安を与えないような情報に

苦労したようです。

息子たちが幼い頃、東京直下地震が来る

と言う噂がありました。弱い地震が何回もありました。

息子たちにヘルメットを買って、

地震が来たらかぶるように言い聞かせました。

母が来て、あの震災がが来る前は強い地震が何回も来て

みんな不安になっていた。こんなもんじゃなかった。

怖かったわ。と話してくれました。大丈夫よ、でも私がいつも

あの頃のこと話すから、これだけ用心してるのね。

まあ良いことかも知れないわ、と言われました。

水だけはいつも忘れないようにね、強子なら大丈夫だ。

母を偲んで。

今日の夕食は備蓄食料の惣菜缶詰とご飯にします。

珍しいお客様アマガエルくん、どこから来たのかしら。

ぽつんとしています。

 

 


木下サーカス四代記を読んで

2019-05-21 17:19:17 | 凄いな
令和元年で、昔の文庫本を出してすっかり

万葉集にとりつかれていた私ですが。

注文していた本がたまっていました。

一番に木下サーカス四代記を読みました。

サーカスは私にとっていろいろな思い出があります。

戦前は姉たちの話だけで、実際は観ていなかったのです。

戦後新宿の東口の焼け跡で、初めて義兄に連れられて

姪と観ました。おやつはトウモロコシパンでした。

玉乗り、空中ブランコ、葛の葉、夢中になってみました。

戦後すぐで舞台の袖から鶏がコケコッコーと鳴きながら

横切っていました。楽しかった。  

その後は後楽園で公演があって、それも義兄に連れられて

姪甥と一緒に観ました。


この本を読んで。

木下家のサーカスに対する情熱と使命感に驚きました。

根強い人気は地域社会との絆がありました。

以前ラスベガスで有名な豪華なショーを二つ観ました。

息をのむような展開で進行して、素晴らしかったのですが

私はなんか無機質な感じがしました。

人それぞれの感じ方があるでしょうが。

是非この本を読んで木下サーカスの素晴らしさを

知っていただきたいと思いました。





万葉集で発見

2019-05-04 19:27:39 | 凄いな
元号が令和になったとき、私は整形外科にいました。

いつもの友人と見て記念すべき時を一緒にできて良かったわね。

と喜び合いました。万葉集?家にて帰って調べよう、と言ったら

万葉集持ってるの?と聞かれました。高校の時学校から買った

古いボロボロと15年前に買った岩波のがあるけど。友人は

へ~そうなの何かとっても驚いていました。

家に帰って早速調べて、わー凄い流石大和民族だと思いました。

それからあれこれ見ていたら、春と言う字をすと読んでいることに気がつきました。

友人は自分の名字が誰も読めないことがいやだったと言っていました。

PCで調べたら、とても興味深いことが分かりました。

早速友人に連絡して、娘さんに調べて貰うように伝えました。

志貴皇子につながりある一族だったそうです。

分かって胸がすっきりした。有り難うと言われました。

そう言えばお父さんが酔うと俺の家は由緒あるんだと威張っていたそうです。

誰も聞いていなくて、お父さんは怒っていたそうです。

じゃお父さんにお詫びしなくちゃねッ、早速詫びたわ 

お父さんも な~分かったか。と言っていることでしょう