続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

災害

2015-03-14 16:06:37 | ひとりごと
私は3月になると、東京大空襲で両親や、姉たち、
お隣りの小母さんと3人のお子さん合計10人で逃げたことを思い出します。
4年前の3月9日焼け残った旧江戸川区の区役所の文書館が公開されると新聞で知って
行ってみました。懐かしい小松川神社も立派になりました。
区役所では昔の地図がボランティアの人たちのお蔭で見ることが出来ました。
わが家もありました。私たちは避難した方向は火の中に向かっていたようでした。
橋を渡ったら、大勢の人がこちらに向かって来ました。人々の間を馬がパカパカ
走って来ました。それが怖くて建物の陰に隠れました。

説明してくださった、区役所の方に、良くご無事でしたね。と言われました。
神社にお参りして、帰ってきましたが、もう一度詳しく見たいと11日に行くつもりでしたが
電話がかかってきたり、友人が来たりで行くことが出来なくなりました。あの時もう一度行っていたら、
千葉県のわが家にはいつたどり着けたことでしょう。

11日は近所の人が来て玄関先でおしゃべりしていた時でした。あまり揺れが長いので、
岩手県にいる息子家族のことが心配でした。メールでは凄い揺れです、子供たちを迎えに
行きます。と連絡があって切りつながりませんでした。その後大変な災害と知りました。

息子家族は無事でしたが、夫の従姉妹たちが津波の被害にあいました。命は助かったものの
避難所の生活は辛かったそうです。
一番つらいのは、親戚同様の浪江の人たちです。まだ家には戻れません。大堀焼の窯元が今は
飯坂で 京月窯 を再開しています。お嬢さんが頑張っています。
私は東京大空襲の生き残りです、みんなも頑張ってほしいです。