先日95歳の兄が永眠しました。
最期までしっかりしていたそうです。
介護の制度を使用するのを最期まで断ったそうです。
おかみの世話にはなりません。
妻に先立たれ、一人娘の世話になっていました。
姪は介護食を作って会社に行っていたそうです。
いよいよ大変になって、施設に入りました。
元気だったそうですが、誤嚥性肺炎でした。
兄は海軍に招集されて、横須賀にいました。
私たちは、軍艦に乗るのかと思いましたが、
通信兵でした。両親と面会に行きました。
肩車して貰って戦艦三笠を見学しました。感激しました。
青森の出身の同僚の水兵さんも一緒でした。
寒そうな顔をした人でした。その人は肺炎で亡くなったそうです。
青森からは面会に来る人がいないので、兄が誘ったようです。
家に帰り姉たちに話したら、羨ましがって、
次は私たちだ~と言って騒ぎました。
次姉、三姉が両親と面会に行きましたが、
途中で空襲にあって戻ってきました。
それからは、もう面会に行けなくなりました。
空襲ばかりでしたから、
敗戦
兄は無事帰ってきました。沢山のお菓子や、白い毛布を
持ってきました。その毛布は戦後の物資の乏しい頃
助かったと母が言っていました。
私たちは、兄から手旗信号を教えて貰い遊びました。
厳つい顔と体格で、特攻帰りと噂されて、喧嘩の仲裁を
頼まれていました。本当は見かけによらず、気が弱かったんです。
家業の履物屋を継ぎました。
警察予備隊ができて、勧誘されましたが断ったそうです。
いろいろあった95歳でしたが、穏やか顔で眠っていました。
お兄様がお亡くなりになり寂しくなられましたね。
いろんな思い出がたくさんおありでしょう。
歳の離れた兄妹だとケンカをすることはなく、
可愛がってもらったうれしい思い出ばかりですよね。
(うちは年が近いのでケンカばかりでした)
「おかみの世話にはならない」
立派な方ですね。
私もそうありたいです。
そのためには元気でいないとね。
誰の世話にもならず、ひっそりとこの世から消えていくことができれば本望です。
静かな語り口の中にも、兄上様への愛が、しっかりと伝わってまいりました。
貴方のご友人と、同じ気持ちになっております。
立派な方ですね。
私もそうありたいです。
そのためには元気でいないとね。
誰の世話にもならず、ひっそりとこの世から消えていくことができれば本望です。
コメント有り難う御座います。
歳が離れていても生意気な私は結構喧嘩しました。
おかみの世話になりません、と言っても
一人娘が世話をしていました。
娘の負担は大変な事だったと思います。
難しい問題ですね。
私はどのようになるのか、考えさせられました。
コメント有り難う御座います。
おかみの世話にはなりませんと言っても
難しいです。
みーちゃんにも書きましたが、
家族の負担が大変でした。
私は兄のわがままだったと思っています。
ひっそり消えることができれば幸せですね。
ご愁傷さまです。
95歳まで生きて大往生じゃァないですか
あなたの文面から優しいお兄様の様子がうかがえました
やはりお元気な方でも誤嚥性肺炎っていうのは起り得るものです
悲しいけど、元気出してくださいね
うちのもいま81ですが、そうなるかもしれません
コメント有り難う御座います。
誤嚥性肺炎は仕方がなかったそうです。
奥様の事も気にかかりますね。どうぞお大切に
なさってください。
娘さんの負担は大変だったと思いますが、お兄様は幸せな一生を送られた事と思います。お兄様との思い出を大切になさって、どうぞ気を落としません様に・・・。
お父さまと、兄と同世代でしたのね。
お父さまも戦地にいらっしゃらなくても、ご苦労なさいました。
兄たちの世代はみなそれぞれ辛い体験をしてきました。
実は長兄は生きていれば95歳でしたが、
ニューギニアのサンサポールで戦死しました。
戦うより食料がなくて餓死同然だったそうです。
北岸作戦という愚かな作戦にかり出されました。
作戦指揮した人は、無事帰還しましています。
なんか愚痴になってしまいました。ごめんなさい。