昨日の朝は雨が沢山降って、急にお日様が出て。
その繰り返しの一日でした。夜は雷が怖かった。
網戸にセミ、雨が沢山降ってきたけれど
何処に行ったのかしら心配。
晴れたときアオスジアゲハが来ました。私の
カメラでやっと撮れました。
今日はたくさん来ていました。楽しみです。
この肉桂の木にどれだけ卵がいるのでしょうか
水引懐かしくて買いましたが、沢山増えて、
困って友達に貰ってもらいました。
葉巻のような葉蘭でしたがもうすっかり
元のようになりました。強いです。
夜はヤモちゃんツーショット、しばらく
にらみ合っていましたが、下の方の少し身体が
小さな子が隠れました。
北側の庭を点検したら、なんと茗荷が出て
いました。うれしい7個です。
今日は昨日ほどではありませんが、晴れたり
曇ったりしています。
お米不足の時代に育ったので、日照時間の
少ないこの頃が心配です。
暑いのは苦手でも、暑くないと困ります。
お米の収穫が少なかったら、いつかのように
なってしまうかしら。
やっぱりお日さまが頼りです。
お米不足の時代といわれますが、父母や祖父によれば、田舎では戦時中も戦後も米はたっぷりあって、食べるのに困ることはなかったそうです。それどころか、東京から東海道線に乗って、貴重な反物などを持って米や野菜を買いに来来るので驚いたそうです。
続強子様の悩みは典型的な都会人の悩みだったと思います。
ひもじい思いをなさったことがなくてお幸せです。
戦争中は政府が統制をしていたので、配給制で
なんとか生活できたそうです。
私は物心ついたときから、もう贅沢なものはありませんでした。姉たちが話すお菓子のことを、聞くだけでした。
戦後は政府が統制できなくて、みんな食べ物を求めて
苦労しました。1946年は苦しみの年でした。
闇市には何でもあったそうです。
さくらんぼ大将というラジオドラマで、農家のおばあさんが、お札を虫干しする場面がありました。
買い出しに来た人から受け取ったお金でしょう
沢山の着物もあったそうです。
それをまた買いに来る人がいて、闇市で売る・・・
今年のお米の収穫量が新聞で発表されると、大人も子どもも真剣に見ました。