続強子の部屋

思いつくまま、気の向くまま、書いています。

武田 幸三 さん

2016-12-19 14:19:16 | ひとりごと
昨日で真田丸が終わりました。私は小さい頃、真田十勇士と言う講談本で
わくわくドキドキした経験からなんか物足りない気分で見ていました。
三好青海入道、伊佐入道、猿飛佐助・・・従弟はいか入道なんて言っていました。

けれどなんと、武田 幸三さんが出演していたので、吃驚!あの武田選手が、
俳優になっていたのですね。大野冶房役でした。目立っていました。

随分昔知り合いの息子さんが大学在学中にキックボクシングを始め、後楽園ホールに出ると
聞いて、夫と見に行きました。凄い試合でした。ミドル級選手の名は、小笠原仁、小さい頃
わが家に遊びに来て、庭で大暴れした元気な子でした。それから何回も見に行きました。
強気な深津飛成選手、素敵な眸の小野寺力選手、大人の雰囲気の武田幸三選手、未完成の菊池剛選手
私は武田フアンでした。静かな地味な雰囲気の選手でしたが強かった!まさか俳優になっていたとは・・・

小笠原仁君は、素晴らしい体格雰囲気を持って、スターの雰囲気があったのに何故か引退の宣言もなく、
急に表舞台から消えてしまいました。難しい世界なのでしょうか、残念でした。
今は整体師になっているそうです。
思わぬところで、武田幸三さんを見て、小笠原仁君やほかの皆さんを思い出しました。
皆さんこれからも頑張ってください。

おしどり

2016-12-18 13:55:20 | 動物
おしどりは仲が良いとされていますが、オスがいつもメスを監視しているとか。
他のオスに目が行ってしまうからだと聞きました。
う~んなるほど、鴛鴦の仲は人間が勝手につけたのかしら。
わが家に来る鳥たちはみんなカップルです。雀、キジバト、メジロ、シジュウカラ、
監視されているのかしら。それとも本当にかしら
仲の良いご夫婦が連れ立っています。買い物、お掃除
一人の私はあらぬ想像をしています。FかMかどちらがが監視しているのか?
意地悪ばあさんです。

夫はどこへ行くのにも私より5メ―トル先を歩いていました。ラスベガスでは、
凄い巨乳の女性や凄い美人の写真を渡されていました。一人だと思われたのでしょう。
私は一人で離れていても何事も、起きませんでした。

冬景色

2016-12-17 15:31:51 | ひとりごと

鳥の落し物万両が見事に実りました。


14日の夕月、怖いくらい綺麗でした。


17日の残月です。朝日がでているのにまだ綺麗に輝いていました。


もう実がなくなっている檀ノ木に名残惜しそうに止まっているメジロちゃん。


これはおまけの人参、とても美味しい人参を農家の友人からいただいたので、
根元をお茶碗の入れて育てました。これは見事に、真 副え 流し、おまけにしっかり
根〆もあります。近所の人が、教養のある人参だ!と感心していました
葉先をサラダにと思いましたが、もう少し様子を見ます。




真珠湾

2016-12-12 15:15:30 | ひとりごと
真珠湾に日本の総理大臣が行くことになりました。喜ばしいことだと思います。
どのような挨拶をなさるのか、それより行くことが重要なことだと思います。
このような時代になったのですね。

1991年にサンフランシスコに行きました。ちょうど真珠湾攻撃50年記念の日でした。
日本人がUSAの人に殴られた、と言う噂がありました。
日本人か?と聞かれて、殴られたそうです。どうしたらいいかしら。現地の駐在員が、知らん顔
するしかないです。と言いました。英語が分からないふり、コリアンかチャイニーズのふり・・
なんて言っていましたが。結局何のこともなく、美味しい蟹や、カリカリのズッキー二のフライを
食べて満足の夜を過ごしました。
ズッキーニと言えば、あのカリカリはサンフランシスコの気候のせいですね、日本のズッキーニは
水っぽいです。クリスピーフライドズッキー二にはなりません。私の経験です。
あらあら真珠湾から、ズッキー二の話になってしまいました。

戦艦武蔵

2016-12-06 17:39:24 | ひとりごと
日曜日のNHKの番組、戦艦武蔵を見ました。いつものように
生存者の方のお話しを聞く番組かと思いました。勿論生存者の方のお話も
胸に迫るものがありましたが。武蔵を作った方々の思いが沢山込められて
いて、なんだか急に涙が込むあげてきました。いつもは涙を流すことが
少なくなった私ですのに、こらえきれなく次々と涙がこみ上げてきました。

長兄が、ニューギニアのサンサポールで戦死しました。
北支から南方に行ったのです。途中バシー海峡で乗っていた輸送船が沈没し、
フィリッピンからまた船でニューギニアへ・武器も食料も僅かしかなかったそうです。
池部良さんの辿った道と同じなのですが、池部さんは途中の島で敗戦を迎えました。
兄はそれから、ニューギニアで地獄の地獄の苦しみを味わい戦死しました。
いろいろ考えているうち、眠れなくなってしまいました。仏壇で般若心経を唱え
靖国神社のお札に向かって、英霊の皆様に安らかにおやすみくださいと、祈りました。
もう2時になっていました。そしてベッドで横になり、飯島進さんの、地獄の日本兵を
本棚から出して、読みました。いつの間にか朝になっていました。
池部良さんは、江戸っ子の倅で淡淡と書いていますが、映画で見た池部さんの目が
なんとなく憂いを帯びていたのは、きっと地獄を見た人なんだと思いました。