2022年6月6日 ブッダの思い出
私は中学校二年生の時、長期間入院をしたため、次の年、同じ学年を二度やることになった。
二度目の二年生の時、最初の頃は午前中だけ授業に出席し午前の授業が終わると家に帰るという生活をしていた。
その当時の話だが、私は本を読むのが好きだった。その中学校にも図書室があり、そこで本を借り家で読んだ記憶がある。
その時、読んだ本の中にブッダの伝記があった。
その本の内容をかすかに覚えている。
ブッダは、インドの王の息子であったが、(今の時代風の言葉をつかえば)真理とはなにか、正しいこととはどういうことか、という疑問を若いころから持っていた。
その回答を得るため修行の旅に出た。
その後、ブッダがどうしたのかは覚えていないが、最終的にブッダは「さとり」を開き(分かりやすく言えば、人間にとって何が大切であるかに気がつき)それをまわりの人に教え始めた。
そういうことがその本に書いてあった思う。
その時の思い出は、担当の女の先生が優しかったことだ。
「よく本を読むわね」とほめてくれた。
子供には、そういう一言が一生の宝物となる。
私は中学校二年生の時、長期間入院をしたため、次の年、同じ学年を二度やることになった。
二度目の二年生の時、最初の頃は午前中だけ授業に出席し午前の授業が終わると家に帰るという生活をしていた。
その当時の話だが、私は本を読むのが好きだった。その中学校にも図書室があり、そこで本を借り家で読んだ記憶がある。
その時、読んだ本の中にブッダの伝記があった。
その本の内容をかすかに覚えている。
ブッダは、インドの王の息子であったが、(今の時代風の言葉をつかえば)真理とはなにか、正しいこととはどういうことか、という疑問を若いころから持っていた。
その回答を得るため修行の旅に出た。
その後、ブッダがどうしたのかは覚えていないが、最終的にブッダは「さとり」を開き(分かりやすく言えば、人間にとって何が大切であるかに気がつき)それをまわりの人に教え始めた。
そういうことがその本に書いてあった思う。
その時の思い出は、担当の女の先生が優しかったことだ。
「よく本を読むわね」とほめてくれた。
子供には、そういう一言が一生の宝物となる。