ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

・・・ではありませんか?

2007-04-23 21:48:04 | Weblog
レスキュー訓練?
最寄の地区センターへ向かう途中にある消防署。その脇に設置されている訓練施設。
数メートルはある櫓2基に渡されているネット。もちろん落下保護網。数名の消防
署員達が、訓練しているのに久しぶりに遭遇。畑の傍で、ボケーッと見とれていたの
だけど、なかなかサーカスみたいな業には出遭えず、約束の時間に遅れそうで、
後ろ髪引かれつつもセンターへ。
土筆(つくし)の子たちは、みな大人になって、今年もお酒の肴は出ず仕舞いだった
わ。あっという間の土筆ン坊達だから、今年もまた来年ね~~になりました。スギナ
やナズナがはびこる畑。いいのかなあ?なんて、ちょっぴり気になる人様のおウチの
畑の今。取り残された人参の姿が無残。

久しぶりにミサコサンからメール。想像がつかない注文数の絵(100枚以上)を
こなされて、今年も某大学の英語の授業の申し込みをなさるとか。
4年目になるはずのお勉強。
ポリーチャンが褒めていた彼女の発音。お声も柔らかいし、話すスピードもいい。
耳に心地いい彼女の言葉。ええ、日本語もね。崩れない日本語がいいの。

第2月曜日は、地区センターの休館日なので、2週間ぶりのスペイン語レッスン。
ご主人のお仕事で、南米各国に8年ほど滞在なさって、帰国後は、当地横浜の国際
交流で、ボランティア通訳をなさるカザマサン。この方のお話が楽しいので、
スペイン語で話されると、腰が引けていた私も、少~しわかるようになった貴重な
方。日本語もゆっくりお話されるから、スペイン語も同じようにゆっくり目。
外国語って、すごく早く聞こえるのよ。直接関係ない話だと、
「エッ、何?もう少しゆっくり話して」
なんて言えないですものね。なので、なかなか聞き取りができなかったのだけど、
本当に、どうにかこうにか僅かずつでも聞き取れるようになったのは彼女のお陰。

心臓の悪いボリビア人に付き添って、病院やお役所まで通訳なんて、知らなくても
いい事などを知るはめになったり、好意だけでは済まないややこしい話もあったりね。
想像もできなかった外国人達の入国。入国滞在審査が厳しい日本らしくて、なので、
逆に不法滞在は、うなぎのぼりの数になってるのじゃないかしら?
大人達はどうであれ、未登録児達の行く末はどうなるの?この世界に類を見ない安全
国家日本が、教育を受けられない外国人の子ども達が、犯罪に染まらないって、保証
は最早ない人々で埋められたら、想像に難くない行く末ね。

かつて、日本人が尊敬されてきたのは、ほぼ全てって言っていい高い教育を受けてきた
からなのよ。
古くは、江戸時代の寺子屋から、旧制中学・高校の教育制度。各家庭においての躾。
恥の美学。等などが、個人を支えてきたのよね。

テレビのドラマで、食卓のシーンは消すわ。
大皿を持って食べるシーンなんて、信じられないお行儀の悪さ。今や、人を操る術を
しっかり我が物にしたテレビ・雑誌などのマスコミ。あの中で行われている事の反対を
行ってこそ自分を保てるって思うのだけど。
汚い言葉、お行儀の悪さ、正に水は低きに流れるって証明を日々しているマスコミに
抗う術を持たない、否、依存している人々によって、益々ぶよぶよ膨れ上がり、世論を
操っているマスコミ。

ああ、・・・・・
人口の3分の2が拳銃を所持していると同じ数の人殺し道具を放置、否、保護している
アメリカに、尊敬の二文字など永久に得られないことを、アメリカ大好き日本人も
知らなくてはいけないって、思います。日本州になってはいけないのです。
小さな体躯の日本人達が、礼賛された、遣米使節団の、当時の日本人達の、あの誇り
とたたずまいを、もう一度私たちは手にしなければいけないって、痛切に思うのです。
そう、「恥」が何たるかを知るべきなのかもしれません。

因みに、私には、「葉隠れ」の血が流れています。それは一つの誇りです。
武士とは死ぬ事と見つけたり。恥を知るなら死を選ぶ。
でも、死を肉体だけに限ってはいけないのです。精神の死もあります。誇りを持てな
くなったら、それは精神の死を意味することでしょう。ですから今、
死体が歩いている日本のように見えます私には。
葉隠れの精神は、厳しいということです。
何しろ、大隅重信が、あまりの藩の厳しい教育制度に、もっと自由な広く門戸を
開くべきと、今の早稲田大学を設立したのです。
けれども、凛とした姿勢が佐賀人でもありますから、それは誇りにすべき宝物。
ええ、人にも容赦なくというところが顕著らしいのですが、自分にもいつも厳しい
生き方を問う、潔さは・・・私にもあるわねえ。それが私の堰なのですから。

環境からもらったDNAには、薩摩の精神、体制に(徳川幕府に)恭順なんて、心から
はしなかった薩摩藩。進取の気性に富む独立独歩精神。誇り高き薩摩人。
そこに加わるところに、「子孫に美田は残さず」の西郷ドンの精神も、私の体内に
流れています。
ですから、モノ・金に目の色を変える人々を、決して尊敬しません。哀れな人々と。
いいえ、そばに寄らないでよ!くらい強い侮蔑を持っています。

ミゲル君には、姿勢から指導しています。ご飯茶碗の持ち方、食べ方も。
食事の仕方で育ちがわかる。そこに品性が表れるって、母がよく言ってました。
「それでこの程度?」って、私を指して言った従姉もいましたが。
数えられないものに、どれほど重要さがあるか、知らなければいけません。
生きるって、そういうことを知ることだと思うのです。でしょう?