急に秋めいてきました。
残暑記録を塗り替えた今季だったようで、もう、異常気象も異常じゃない異常さよ。
季節に関係するお仕事は大変ね、自然に翻弄て。
去年のあの日以来、人は虚しさをポケットに入れて日々を過ごしてるようにあたくしには見えるわ。あの、脳裏に焼きついた津波の恐ろしい映像。高台から手をこまねいて何もかもが奪いさらわれ流される、それをじっと見つめるしかなかった人々の恐怖は一生ぬぐえない記憶になってしまいました。
そこには、価値観の大転回も起きたでしょう。否応なく、生きるってなんだ?根幹をみつめる作業を強いられる、これは当事者に当てはまるだけではなく、メディアを通して、人の不幸をこれでもか、これでもかと見せ付けられた圏外の人々をも巻き込んだのです。営々として築いてきた日々が一瞬で藻屑となってしまった、その虚しさが人を哲学者に仕立てました。
メディアに踊らされ、操られ、無意識にそれを拠り所として生きてきたことに気付かされます。
嘔吐しそうな過剰な情報は、人を思考停止に引きずります。取捨選択する暇も与えない、そう、あの時と同じ現象が起きている事を自覚しません。操作という津波が押し寄せている事を何人の人が気付いているでしょう。
権威?専門家?
それはその人が選んだ道。他者へ自慢するものでも何でもない。好きだから。楽だから。数ある選択肢の中から選んだ事に、人は何も関与していないのに、擦り寄る崇める称賛する。
そもそも、権威なんてないのです。
全ては、それに向き合った人々のために奉仕するものでしかないって、芯から思うあたくしよ。
どうして、いつまでも他者を自分の頭の上に置こうとするの?
あたくしは思うの、誰かに失礼を働く。それは謝罪しなきゃいけない。でも、そんな自分を情けない顔をして見ている自分がいることを知らないことの方が罪って。
誰かに言われてやるのはイヤ!誰かのはなを明かしたい。冗談じゃない!
そう、そうやって、いっつも誰かを意識するのよね。誰かの奴隷。自分はいっつも見捨てて、
くすぶる不平不満、言い訳、或いはシニカル。傲慢。
そうして作る人格。
見えない誰かに操られる。意識無意識に。無視され続ける自分は迷子。思考停止した脳は
宝の持ち腐れ。
脳は、持ち主の意識(言葉)にしか従わない。
言い訳を山ほどしても、それは他者を欺くのではなく、自分を傷めつけ騙し、屁理屈という腐臭をなすりつける作業をしているに過ぎないのよ。
自分にとって自分以上の存在なんてない!断言するわ。
だから、だからね、自分を極上の存在って知らなきゃいけないの。
まあ、卑近な例えで言うなら、王侯貴族。支配者。誰を支配?もちろん自分!いとおしみ、励まし、賞賛する。その対象は自分自身でしかない。そこに気付けば、
身体をきれいにする。身の回りの整理整頓(次に使う場合に備えるため)、背筋を伸ばし、情報も取捨選択できる、揺らがない自分になっていくわね。
最高の環境を自分に与えるのは、他者じゃなく自分よ。モノカネがつくるのではないって事よ。
一気に、いっぺんにそこへ到達は難しい。けど、この世で最重要な存在の自分って気付いたら、必ず心地いい環境と心構えを得ていく事間違いないわ。そして、自画自賛すればいいのよ。何も臆する事はない、少しでも心地いい環境を作っていく自分と、崇高な存在としての自分を意識すれば、それは無意識層へ積まれる作業をしている事に他ならないのですもの、褒めて余りあるものよ。誰かに認めてもらう前に、自分が先ず自分を認めましょう。
健気な自分に、出会って下さい。頑張って生きている自分を褒めてください。間違っても未来の自分がめげるような言葉は発しないで下さい。良し悪しの判定はしない脳です。ただ、意識した(思わずでも)言葉の具現化に一所懸命になるだけです。
昔々、ツタの絡まる家って好きよって、言った事があります。
今、我が家はツタが絡まって来ています。ギョッ!自然をも支配する意識なのです。偶然?
そんなものはないのよ。必ずどこかで意識した(言葉にした)事が起こるのよ。
忘れないで、あなたは、あなたを敬わなければいけないって事を。それが愛する事なのです。素敵なことでしょ?人に振り回されない自分がいるのよ。何もかも自分で考えるのです。
他者へ委ねてはいけないのよ。敬意を払いましょう自分に、ね?