ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

欲しいものは・・・

2012-08-28 18:15:56 | Weblog

見る物、聞く物、片っ端から欲しい。家の中はゴミ。どんなに高価なモノでも使わない物はゴミ。捨てられなければ貸しトランクに預ければいいって思うし、もはや、十中八九は使わないであろうけれど、・・・その全てのモノは「愛」の代用品。だから、離せない。愛がなくなっちゃうようで。
そして、飽くことなく「モノ=愛」を追い求める。それは、これでいいはない、そう、海水を飲んでいる事を知らず(知ろうとしない)、喉の渇きに海水を飲み続ける。喉の渇きは愛に渇いていることを知らない。

かつて、生活のための実用品、それすら事欠くようなモノが足りない時代は、モノを愛の代用にするほどなかった。幸か不幸か。
情報は限られる。何かをするには、自分の身体を使うことが大前提。そんな時代を過ぎて。

そして、ゲップが出るほど押し寄せてくる情報とモノの時代に、人は取捨選択なんかしてる暇もなく、考えたくもない、ただただ提供者の策に乗る。
手当たり次第情報を飲み込みモノにたかる。翻弄される。だけど、いつも飢えている。

恥を知る国民、我慢はできるだけ、モノの大切さを知ってた。涼やかな風通しのいい生活をしていた。貧しい生活は思いやりが育った。相身互いの気持ち。

偽善者?であろうとなかろうと、かつての学校では、無実の罪を被るある種の勇気を示す子がいた。今のように破廉恥さは子どもになかった。
親が学校に殴り込み(モンスターペアレンツはそれ!やくざ)なんかしなかった。
「ウチのバカタレが本当にお世話になっています」と。
息子のことを人に話す時、必ずっていいほどつく「ウチのバカ息子」だった。
そこには、親の知らない拘れない時間、周りに迷惑をかけているのではないか?
先生に、周りの子達に、と。そこには謙虚さがあった。想像力が働いた。

まあ、それがそうだとして、じゃどうする?

   自分を愛することから始めなきゃ、一生ゴミの中の人生。

あの時、・・・悲しかった。口惜しかった。怖かった。不安だった。その積み重ね。
でもね、その自分を哀れんじゃいけないのよ。その時の相手を怨んでも解決しないの。
ひたすら、ひたすら、その思い出したくもないキズを抱えて乗り越えてきた自分を褒めるのよ。これしか、暗く寒く恐ろしいトンネルから抜ける方法はないのよ。
あなたが、私達みんなが大なり小なり抱えているキズは、「よく我慢した、本当に偉かった」って、乗り越えてきたから今いる、その我慢してきた自分を自分自身が誉めない事にはふさがらないのよ。そうしたら、次!愛しましょう、愛しましょう。こんなに健気な自分なのですもの。全ての人の無意識の自分は、自分を認める自分を待っていることを知って欲しいわ。
全てを、認めるのよ。だって、辛さを乗り越えてきた、すっごい自分なのですもの。ね?
素晴らしい存在って思わない?

買い物に血眼になってる女性。
DVで連れ合いに傷を負わせている男性。
他者を責める事に躊躇しないあなた。
お母さん?お父さん?連れ合いに?
その人たちがあなたを苦しめたかも知れない。
でも過去は戻らない、人を変えることは出来ない。

それよりいっつも、誰か、誰かを思い浮かべて、ああだ、こうだ。
自分を無視、振り向いてくれない、関心が希薄、愛してくれない、目に涙をいっぱい溜めている自分を抱きしめて。愛して。
それが出来たら、きっときっときっと、何か温かいものが心に満ちてくるもを感じるわ。
そして、
「ごめんなさい、寂しかったね。もう大丈夫」って自分に言ってください。きっと微笑むあなたに出会うでしょう。間違いなく。だって、世界に二人と居ない存在なのです。素敵でしょ?

めげそうになったら、くじけそうになったら、どうぞ今日のここを読み返してください。
長く生きてきた者の、ささやかなプレゼント。そんな気持ちで書いています。

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