ミクロもマクロも

心理カウンセラーが気ままに書き続ける当たり前

草履・手レント・中国人

2006-07-01 09:43:37 | Weblog
逗子のキョウコサンの体験。
私の心がキュン。懐かしさでね。キョウコサンの体験なのに私がなのよ。
使用済みの平織りシーツを7~8センチ幅に裂いて。計30メートル。そんなには
使わなかったということでしたが、¥300の講習料ジュース付き(これは先生の
お気遣いなそう)で、『草履作り』。
とても力が要るそうで、先生が手を加えられると、キュッキュッキュと、締まって。
「私は農家出だから力はあるのよ」て、おっしゃるのですって。
出来上がったそれは、スリッパ代わりにお家の中で履いて。白いその草履は、お家
の汚れがすぐわかって、彼女は床を念入りに磨くそうです。すぐわかるからいいの
よって。気働きが出来る人はすぐ行動に移します。10年は経ったお家ですが、
どこもかしこもピカピカ。彼女のお手入れの結果です。

その草履作り。
私が小学1~2年生の頃の事、鹿児島でのお話。2年生の夏には東京に引っ越して
きましたので、多分1年生の頃の事です。
毎日、学校の帰りに、必ず寄る家がありました。なぜか『第2のお母ちゃん』て、
私が言ってたシミオバチャン。
「ただいま~~!」

削り器で鰹節をシュッシュッシュって削って、真っ白いご飯の上に乗せて、お醤油
をタラッ。これが美味しいこと。何だったんでしょう?おやつ代わりだったのかしら?
「いただきま~す!」
「レイコチャン、それを食べたら又する?」
「ウン、する!」
庭にムシロ(莚)を敷いてくれて、そこへ足を投げ出して、昨日の続きを始め
るのです。ワラを親指にかけて草履編み。ワラ(藁)を用意してくれてありま
すいつも。
「そう、そう。レイコチャンな上手!」
シミオバチャンは、いつも私に優しい人でした。今はもう、彼岸の人です。

キョウコサンの草履作りのお話は、甘酸っぱい思い出を呼び起こすものだったの
です。幸福な、何にも変えがたい、フワ~ッと柔らかな温かい貴重な体験思い出が、
ヒタヒタと打ち寄せてきたのです。キョウコサン、ありがとう。

「それで、上手に出来たの?」
「ええ、もちろんよ!私は器用なんだから」
「そう、あなたの指は、器用な人のそれよ。ねえ、覚えてる?その指を買われて、
今でいうところの手レントやったのを」
「ええ。撮影現場のことは覚えてるけど、あれはどこのだったっけ?」
「私は、ミシンメーカーのフィルムに出たのは覚えてるけど、あなたのは、覚えて
ないわ。あの頃、色んなことさせられたものねえ。私は企画部員だったはずなのに、
デスクへまわされて。ねえ、ところで『別れても好きな人』って、シルビアとロス・
プリモスだったかしら?あの曲を作ったのって、フヨーエージェンシーにいた、あの
佐々木さん?まさかよね?」
「ええ、そのとおりよ。あの佐々木さんよ」
「もう、亡くなっちゃってるわよね?」
「ええ」
草履から、歌の話にまで。じゃ、続きはお手紙でねで。

モンちゃんから電話。
「レイコサン、ごめんね。チョウサンまだ来てないのよ」
「早上好zao shan hao.通じますか?」
「うん、上手。発音いいよ。ハイ、おはようございます」
「いいのよ、気にしなくて。私の勘違いだったのよ。で、いつ来られるの?」
「来週には来るけど、1週間しかいられないのよ仕事の関係で」
「ええー?!でも時間作ってね。力請客Riki Qing ke」
「ご馳走してくれるって?じゃ、午後でもいい?」
「もちろんよ」
「レイコサン、家においでよ」
「ええ、出来たら行きたいわ。でも、モンチャンは中国の中を営業して回ってる
のでしょう?時間はないわよねぇ」
「ううん、今いるのよ。体壊して。接待するほうで、飲む食べるの連続でね」
「かんぺい(乾杯)!かんぺい!で、終わらないみたいですものね?」
「ハハハハハ、そうそう」
「じゃ、私がお料理しに行こうかしら?モンチャンは中国語の先生ということで」
「いいね、おいでよ!」
「それはそれとして、出ていらっしゃいよ、こっちへ」
「ミンファが、僕の運転でよかったら行こうか?って」
「ェエーッ、ミンファの運転? モンチャンは国際免許証持ってきてないの?」
「ないよ」
「ウ~~ン、どっちの運転も怖そう。でも、いいわ、出ていらっしゃいな」
機関銃のように出てくる日本語。モンチャンは他に英語も堪能なのです。
なにしろ、『笑点』を見て、笑う中国留学生だったのですから、その能力恐るべ
しなのよ。

ケイコサンから送られてきたジェフリー・ディーヴァー『The stone monkey』を
読みながら、間でハングルのお勉強。その本の中身は、中国の蛇頭と、車椅子捜査官
映画にもなった『ボーン・コレクター』の主役:リンカーン・ライムとその仲間の話。
私の脳みそは、うかうかしていられません。持ち主の気まぐれで、あっちこっちと
飛びまくりなのですから。  
基本的に敬語がない中国語。「ニーハオ!」で済む「こんにちは」。
上下関係にうるさいハングルは、年長者、格上の人には「アンニョン ハシムニカ?」
同等なら「アンニョン ハセヨ」が「こんにちは」
「さようなら」も、去る人、見送る人では言い方が違うなんて、飲み込むまで時間が
かかりそう。でも、70才を過ぎて独学でハングルを習得し、今100才で中国語を
独学の男性がテレビに出ていらしたわ。だから、私なんて若輩も若輩なのよ。
因みに、『私は魔女です』は中国語では『我是魔女・・Wo shi MONU』英語なら
I am a witch. スペイン語なら、Yo soy la bruja.
・・・ああ、面白い!・・・