術後、これと言った不具合や心配事は皆無、しかも手術による外科的な痛みはあば
ら骨だけで、鳩尾から下腹部に向かう傷、あばら骨に沿った手術痕の痛みは一度も
感じたことがない。傷口はきれいにスーッと流れるようになっており、抜糸跡など何も
ないように見える。写真でよく紹介されている、ケロイド状の手術痕だと痛々しいが、
私のは見事の一言に尽きる。先生があれほど案じておられた煙草による肺機能の低
下が、手術に重篤な影響を与えるリスクも回避できた。また肝臓のγgtpの異常値は
手術のゴーサインを躊躇させるものでもあったことを考えると、先生はよく決心して手
術して下さったと今更ながら、言い尽くせる感謝の言葉は見当たらない。
肝臓の機能低下は万が一、大量輸血や他の合併症などに関連してくるから、単にア
ルコールによる云々だけでは済まないシビアな問題だった。そんな劣等生が無事に
大手術を受け何事も無かったかのように元気になった。勿論、患者と一族郎党にとっ
て喜ばしいに違いないが、執刀医の先生も安堵とともに喜んで下さったと思う。
手術後には各担当医が集まり手術後の患者に関するブリーフィングを開くそうだ。そこ
で私の経過報告をしたら、その回復の順調さに各先生方も驚いておられたと主治医
の先生から聞いた。『もし』、この言葉は沢山の意味と分岐を示唆する。もし、胃がんが
大きく予定よりも多く摘出しなければならなくなっていたら、血行の悪い大腸を切除して
食道と残胃を接続する。この際、食道、胃、大腸の一部とはいえ3つ臓器が機能低下に
なってしまう。また後遺症、QOLも今よりも難儀なことになっていたろう。
それに血行の悪いとされるものを代用にしたことで生じる症状、後遺症も併せ考えると、
尻の穴がしぼむくらいぞっとする。もしを悪い方に考えるのではなく、こうならなかったこ
とに感謝するプラスの方向に持っていかねばならない。
入院することにより私のために尽くして下さった方を思い出してみるものの、余りにも範囲
が広すぎて、言い尽くせるだろうか。受付、各検査科での先生、研修医、看護師、病理検
査員、食事、掃除、設備の運用員などなど、この他に私が知らない方も沢山おられるであ
ろう。患者から見れば病状と直接関わる医師や看護師に目が行きがちだが、直接的には
見えない裏方なくしては、私の病気と闘うことは出来ない、つまり病院が一つのチームとな
りそれを可能にする。このような入院をしたことがないから、知らなかったことを知り、普段
はあり得ないことを経験し、考えなかったことを考え、そして自分以外の方から沢山助けて
貰いながら生きてきたこと、生きていることを知らされる。
弱々しく訪れた初診の8月19日から始まった癌とのバトル、手術により最悪の症状はなく
なり、これから体力の回復を図り、癌と新たな闘いが始まる。こうした気分を持てるようにし
て下さった多くの方々に
『大変お世話になり、有難うございました』と感謝の言葉を贈ります。