10月31日、26日間の手術入院を終え無事に退院することになった。病院では喉の
保湿のための吸入をしていたが、家にそのようなものはないので家電店に寄り、加
湿器を買いその補助とした。この頃から声が出にくくなり、最初はかすれ声程度だ
ったが徐々に酷くなっていき、最悪の時は絞り出さないと声にならないほどになっ
た。手術で声帯を司る神経に影響が出るもので食道手術の典型的な後遺症だが、
時が治癒してくれる代物らしく、先生も声が変でも様子を聞こうともしなかった。電
話で話をするのが一番辛く、妻には声が出ないからと断らせていた。
こうした後遺症の説明は詳しくされており、自分では理解しているつもりでも、ふと
『私の場合、こうした例と違うものではなかろか?』と心配が頭をもたげることもあっ
た。徐々に悪くなっていくのはよく分かっていたが、徐々に回復の方向に向う兆候
は何一つとしてなく、最悪の状態になってから、症状はフラットを保ったままだった。
1か月ほどしたある日、喉でえへん虫が『エヘン』と言わせたら急に、ややかすれ声
にまで戻り、それからは直ぐに回復してしまった。結局、何の治療もなし。
退院して久しぶりの我が家は格別だった。病院と大きな違いは洋式生活から一挙
に和式生活に戻ったことで、季節的には晩秋だから朝晩は少し冷える。手術を受
けた身体にはこの程度の寒さでも堪えるもので、温風ヒーターのお世話になり、火
の気のない炬燵に足を突っ込んでいた。あばら骨は相変わらず痛いままで、寒さ
は痛さを増大させ、特に朝の内は疼(うずく)ような痛みを伴った。この頃に、やっと開
胸手術のことが分かったのである。
妻に『この辺りが痛い』と見て貰ったら、『手術の痕のようなものが・・・』
先生は何度も説明されたであろう、同意書にも署名捺印されているのに、当の本
人たちは結果として全くではないが、理解していないとは・・・・
これから後に、開胸手術はあばら骨の間にジャッキのような物で云々・・・について
も知ることになり、やっと治療の全貌を理解。それにしても程の悪さは、どう言い訳を
してもし切れないほどだ。私は方法論や納得性を求めてはいなかったし、一刻も早
く癌を取り除いて貰えばそれで良かった。そうすれば食べることの苦しみから確実
に解放されると信じていた。温めるといいことは分かっていたので、朝風呂を沸かし
て貰っていたが、自分でも自由に動けるから町内の温泉施設に出かけるようにした。
ゆっくりと身体を温めると嘘のように痛みが引いていく。自宅の風呂と温泉の利用で
徐々に痛みがとれて和らいでいったが寒い間の痛みは引かず、春になり温かくなっ
て本格的な回復となった。