☆ こにゃんこのケセラセラな毎日 ☆

人生なんてケセラセラ
♪なるようになるさ 先のことなど分からない♪

ただいま。

2010年02月11日 | 今日のボヤキ
父のお通夜と葬儀を無事に済ませて、今日、帰ってきました。

父が亡くなって、悲しみに浸る間もなく、色々やることが多いもんですね。
悲しみや寂しさがまぎれて、その方が良いのかもしれませんが・・・。

遠方にいて、父の入院中、母や妹に任せっきりだったので、出しゃばるのを控えようと思っていたのですが、
母は取り乱すことはなかったのですが、年を取ってから、ちょっとボケボケなところがあり、
葬儀屋さんとのやりとりでとんちんかんなことを言うし、しっかりしていると思っていた妹は
父の亡くなった日は間違えるわ、年齢は間違えるわ、家の連絡先は間違えるわ、で
こう言ってはなんですが、打ち合わせには、あまり役に立たず、思わず
「もぉ、えぇ 打ち合わせは全部私がやる
と言って、お通夜や葬儀一切をワタクシが仕切りました。

おかげで、自己満足ですが、自分の好きに父を送り出すことが出来て良かったです。

ワタクシ、この年になるまで親しい人を亡くしたことがなく、お通夜や葬儀の経験が全くなかったのですが、
葬儀屋さんや親戚のアドバイスを受けて、なんとか取り仕切ることが出来ました。

お通夜や葬儀の間、例に寄って例の如く、コナン&ジナンは場にそぐわない行動に出て
ガン見し続けたため、ドライアイになりそうなくらい、目は乾いてしまっていました

父が霊安室に入った姿と、棺に入った時、遺影の写真が出来た時、棺にふたがされた時、
火葬場で父が火葬された瞬間は、押さえていたものがこみ上げてきましたが・・・。

父は、母の強い希望で、父が祖父から形見分けした、大島紬のどろ染めの一級品の着物を着て
旅立っていきました。

棺の中には、趣味以上の腕前だった囲碁の碁盤や碁石を入れたかったのですが、
それは出来ないので、六段を取った時の賞状や、本、それとワタクシが小4の時に書いた
作文を入れました。
父のことを書いた作文だったのですが、県のコンクールで最優秀賞を取ったもので
父が大変喜んでくれたものです。

遺影は、父は闘病生活に入ってから、頭を丸刈りにしてしまったのですが、
ワタクシが「元気な頃の写真がいい」とこだわり、闘病生活に入る前の写真を用いました。
母は「写真はなんでもいいわよ。」と言ったのですが、ワタクシの想いを通させてもらいました。

母は、父を喪って辛かったでしょうが、喪主としての務めを気丈に果たしていました。
妹も表立ってやりたかったこともあったでしょうに、長女であるワタクシを立ててくれて
裏方に回ってくれました。
妹がいなかったら、ワタクシも葬儀の取り仕切りをここまですることは難しかったと思います。

たくさんの人が、お通夜や葬儀に来て父とお別れしてくださり、ただただ、ありがたいです。

火葬場から戻ってきて、ワタクシ、骨壷を抱えて帰宅したのですが、最後の入院の時
辛い入院生活を頑張って、何が何でも家に帰る、と頑張っていた父が、やっと帰れたのが
こんな小さな姿になってから・・・と思うと、切なかったですね。

ワタクシ、何の根拠もなしに、父は、子どもたちが成人するまでは生きていると勝手に思っていました。
せめて、コナンの中学校の制服姿、見てほしかったです。

とにかく、父を亡くしてから、あれこれとやることが多くて、悲しみや寂しさに襲われることが少なかったです。
これから、どっと悲しみが押し寄せてくるのでしょうが、いつか思い出に変わると思っています。

実家に一人残してきた母が、ただただ心配です。

お父さん。天国で見ていてくれますか?
私たち、これからも頑張っていきますから、安心してくださいね。








人気ブログランキングへ人気ブログランキング参加中ポチッ♪とクリックをお願いしま~す
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする