旅は続くよどこまでも。

とてつもなく不定期に、しかし何か思い浮かんだときにはどえらい勢いで書きなぐるブログ。

2007年々頭に思ふことども。

2007年01月03日 01時55分35秒 | 青森の日常。
新しい年は何事もなく明けました。
少なくとも私の身辺では。

3年振りの青森での年越し。
大晦日は珍しく、知人の家で過ごしました。
たいそうな御馳走を振舞ってもらったりして。
美味かったな~・・・・倉石牛のすき焼き゜・。*(´∀`*)。・゜+

年が改まってから知人宅をお暇し、編集Sと初詣のハシゴ。
行く先々でお神酒を頂戴していい気分。
部屋に戻ってそのまま2人で夜明けまでゴロゴロして過ごしました。

1日昼前によっこらせぃと腰を上げ、市内の温泉へ。
岩盤浴も併設している温泉なので、汗をたっぷりと流し、顔なんかもうツルッツルですよ、あなた。
しかしあれだ、新陳代謝の悪い編集Sは岩盤浴しても汗が全く出ない。
ありゃおかしいって。
お互い体質改善が必要ですなぁ。

風呂から上がって休憩室でまたもゴロゴロしていると、東京の実家の母からメールが届きました。なんと画像付き。御重に入った豪華なおせち料理の。
ありゃりゃ、スゲーな、画像添付なんてできるようになったんだ74歳のばーさんが。
と思っていたら、何通目かで突然、兄の顔のドアップが現れましたね。
兄が来てたんですね、元日早々。兄が母の携帯でメールを送ってきてたんですな。

えぇ、koroの旧サイトから覗きにきてくださっている方は御存知でしょうが、3年前の初春、兄は連れ合いを46歳という若さで亡くしましてね。
以来、まあなんというかその、大変だったんですわ。兄夫婦にはその当時でハタチ前の息子と娘がいますからね。
男手ひとりになりましたもんですから、実家の母なんかもしょっちゅう家事やら何やら駆り出されて、お互い日常の疲労でピリピリしていたこともありました。

ですが、神様というものがいるとすればそれはやはり公平で、昨年の後半頃より、兄の周辺に明るい兆しが見えはじめまして。
今年3月に大学を卒業する息子、つまりkoroにとっての甥が地方公務員試験に合格、就職も内定、さらにはこのまま行けば結婚するであろう彼女を爺婆に紹介したりですね、その後、兄にも彼女ができたことが発覚w、その女性と爺婆が一緒に食事に行くなど、婆いわく
「やっと我が家にも春が来た」
と。

ここ数年、koroの実家周辺では不幸続きだったもんですから、私もそれらの話を聞いて、ああ、よかったなあ、と思っておりました。
そして元日。
兄のドアップ画像の次に届いたのは、満面笑みを浮かべる女性の横顔。
彼女も実家に遊びに来ていたようです。

その夜、母から明るい声で電話がありました。
彼女さんは帰ったけれど、兄は今夜泊まっていくとか。
電話は父に代わり、兄に代わり、最後にまた母に代わり、かわるがわる弾んだ声を聞かせてくれました。


本当に、よかったなあ。


しみじみそう思いました。

前の嫁さんが亡くなってから、私はそれまで青森で迎えていた年末年始を、千葉の自宅で過ごすようにしていました。
実家の両親の気持ちが暗く荒んでいたように見えたものですから。
せめて正月にダンナ共々遊びにいって、ささやかながら賑やかしの足しになれば、と思っておったんです。
しかし昨年、兄や甥の朗報を耳にし、今年は父母も寂しくはあるまいと、久し振りに青森で年越しを致しました。
そうしたら予想通り、父母は楽しい正月を過ごせたようでした。

70年以上、父に至っては80年も頑張って生きてきて、その人生の終盤が寂しいばかりではあまりにも気の毒。
常々、両親と兄は折が悪かったものですから、koroもkoroなりに気掛かりだったのです。
でももう大丈夫。多分大丈夫。
老夫婦にとって、やはり跡取りの息子が身近にいるのは嬉しいと思いますよ。
母などは孫息子の結婚が近いことを期待し、
「もうちょっと頑張れば曾孫を抱けるかもしれないわね♪」
などとのたまっております。


そう考えると、私などはダンナの両親に申し訳ない。
彼らも内孫の顔を見たかったことでありましょう。

それともうひとつ。
亡くなった嫁さんの実家には、年老いた父親と、嫁さんの兄がいます。
自分の娘、妹の夫であった私の兄が再婚するかもしれないということを耳にしたら、侘びしさがいっそう増すのではないでしょうか。

でもま、世の中、仕方のないことはありますから。
私は私のできることをして生きてゆくしかないですね。


今年が良い年になりますようにと願いつつ、koro、新年の御挨拶でした(・∀・)