旅は続くよどこまでも。

とてつもなく不定期に、しかし何か思い浮かんだときにはどえらい勢いで書きなぐるブログ。

何か、書きたい。書きたい、書きたい。

2007年01月10日 04時45分34秒 | 青森の日常。
普段は買わないような雑誌を買った。

そりゃもちろん、NACSの特集が載ってたからだけど。

特集記事をじっくり読み終わった後、他のページをぱらぱらとめくってみた。
そしたら、その雑誌、あらゆる書籍や出版物を紹介する内容のものだった。
そうなんだ、初めて知ったよ。恥ずかしながら。
普段、雑誌なんかほとんど買わないからね、NACS関係と猫本以外では。

いろんなジャンルの本、漫画、小説、エッセイ、書評・・・・
思わずのめり込んで読んでしまった。

こういうとき、私は堪らない焦燥感に駆られるんだ、いつも。
何かやらなきゃ、書かなきゃ。いったい私は何をしているんだろう、と。
NACSメンバーの活動軌跡やインタビューにも触発されたんだと思う。
頑張ってるもん、彼等は。

私はいったい何をしているんだろう。

日常に流されることを嫌って、非日常のこちら側に身を置いてもなお、それが続くと非日常さえありきたりの毎日に感じられてしまう。
これは私の若い頃からの悪癖のひとつだ。
要するに「逃げ」なのだ。分かってるんだ。分かっている自分が忌々しいんだ。

――漂えど、沈まず。

などと格好のいい言葉を常に傍らに掲げていても、漂っている場所が死んだ淵ならば、その言葉がなんの信念になろう。逃避以外の何ものでもない。
時間が無い、金が無い、気力が無い。
私はいつも自分から逃げることしか考えていない。
逃げて安心したところで、その場所がいつまでも自分自身に平穏と充実を与えてくれるはずも無い。忌々しい。自分が腹立たしい。

昔から私は口ばっかりの奴だ。
言ったって実行しやしない。
誰かが手伝ってくれるのを待ってばかりいる。
そう、待ってばかりだ。
自分から攻めの態勢を整えたことが、何回あっただろう。恐らく両手で足りるほどだ。
さらにそこから攻めを行ったことが何度あったか。それに至っては片手の指で数えられるほどだ。

毎日が幸せなら、振り返ってみれば幸せな人生。

そんなこともよく口にするが、詭弁に過ぎないことは自分がいちばん分かってる。
堅実に、平凡な日々を送れない人間の、逃げの口上だ。
刹那刹那を享楽的に過ごす私の終着点は、何処にあるのだろう。
何も残せない、何も残らない、砂を噛むような思いをいつかするんじゃないか。そんな恐怖が常に私の中にある。

いったい何をしているんだろう。私には書くことしかないのに。
今、自分がここに居る、と実感するのが耐えられない。
何もしない自分が居ることに。
そしてまた逃げるんだ。いつものように。
それが分かっているから、耐えられない。

書くことしかできない私が、他の手段で自分を納得させることなんてできない。
「細く長く書いていきたい。そうすればいい」
これも私がよく使う言い訳だ。
ではそれで自分の口に糊しているのか?
答えは否だ。
細く長く、などと生意気なことを言うんじゃない。
それはそうやって自立している者の言葉だ。

文章は、人に読んでもらえて初めて完結する。
誰の目にも触れない文章など、自慰行為の結果に過ぎない。

書きたいんだ、私は。
病院のベッドの上で、深い井戸の底を覗き込むような絶望感の中で、私が唯一できたことは書くことだけだった。それを思い出すんだ。
蚕が吐き出す一条の糸よりも細い、しかしきらきらと輝く光の筋を頼りに、私はあの絶望の暗がりから抜け出すことができたんだということを、思い出さなくてはならない。

私ができることは書くことだけなのだから。
書いて、文章を完結させなくてはならないのだから。