オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

日本という国家の幼児性を笑えば

2025-01-08 11:07:08 | よもやま話

 

 

 いい縁がない、いい仕事に就けない、楽しみがない、いい人生を手に入れられない、いいことがない、他力本願で、貴方任せで、誰かにナニかを常に依存してしか生きられない幼児では、ナニも始まらない。

 あげくに有りもしないあの世や霊魂の世界に逃げ込んで、先祖や神仏に甘ったれた自分の現実から目を叛けてしまっている。

 俺のオヤジの認知症は、そんな孤立した日常からどんどん酷くなって、銀座の近くに引っ越しさせて、この手で健康な日常に戻してやった。

 現実だけを生き、食い扶持も獲物の血に染まったこの手で喰らう。

 目の前のことを、ひとつひとつ丁寧に、冷酷なまでに冷ややかに、これしか生きる方法は無いと知るべき。

 

 昭和の不動産バブル前後の頃にも、テレビ局に勤めてる、新聞社に勤めてる、雑誌出版社に勤めてる、電通に勤めてるウンヌンカンヌンで、それが水戸黄門の印籠にでもなってるような、メディアの力を勘違いして恫喝と威嚇で黙らせる、間抜けな大人社会が実際にあった。

 いまではそれがユーチューブやらSNSなんだそうな。

 携帯・ネットの歪な社会では通用してはいても、しょせんはチンケな肥溜め猿社会でのお話だ。

 俺のように広告や宣伝には興味無く、対面コミュニケーションだけを重視して生きていると、今や取引成約数の95%を紹介客とリピーターが占め、口コミの威力はSNSなんざ吹っ飛ばしてしまい、独自の世界が出来上がっている。

 堂々と、おおらかに、隠すモノもなく生きておればエエだけや。

 しかも人間社会の抱える全てのアクシデントやトラブルにも、アチコチで関り合いを続けていると、その世界は際限もなく拡がっているから、ユーチューブやSNSごときでインチキ詐欺を働く猿なんざ、鶴の一声でぶっ飛んでしまってる。

 そう、俺も鶴になったということだろうか? 本人は一匹の日本狼だと思ってるがな。

 所詮は安っぽい作りモノのメディア媒体なんざ、体温の感じられる囁きにはとうてい敵わないということさ。

 長く自営を続けて日常を生きている者が一番に強いのさ。

 いつの時代も馬鹿馬鹿しい広告・宣伝に関わったが最後、抜けられないミミッチ~利害関係に取り憑かれるのさ。

 堂々と笑って自由自在に生きている者は揺るがない。

 借金・負債や貸し借りを作らずに、常にナニにも依らない自前で生きている者は、弱みすらいっさい持たない。

 そのうえ今の日常は相変わらずに対面コミュニケーションで関り合いを拡げている訳で、メディア媒体なんざついては来れない領分になっている。

 ま~、猿らしくしっかり詐欺ゴッコにうつつを抜かして居ればエエのんさ。

 広告・宣伝に金を使わない商売を基本にして30年を超えてくると、ネットの時代に逆行してるだとかさんざんに言われておったが、今や俺の方が余裕のよっちゃんだろうよ。

 結局のところ、人間の世界での強い生き方とは、その日常の細やかなコミュニケーションの積み重ねだけだと言っても良い。

 

 年末年始にも訃報は届いていた。

 だんだんに葬儀や葬式というモノにすら意味を持たないシンプルな連中は増えていて、俺自身も死んだらとっとと火葬して葬儀など要らないと思っている。

 それでなんの支障もないし、無駄な笑いモノにされるなど余計なお世話だ。

 ナニもなかった、残るとすれば生きている者らの心の中で、それで充分だろう。

 この週末も亡くなった人たちの想いを背負って、雪山に登って、頂から天に還してやるわい。

 

 米国の大統領にトランプが再度登場する。

 関税引き上げや強気な姿勢を鮮明にして、米国内の整理整頓を始める訳だが、どの方策もよくよく見て居れば米国自身の首を絞めあげる話になっている。

 笑い話か? とも思えるのは、世界の単独覇権から撤退してゆくトランプらしいリップ・サービス。

 諸外国へ対してではなくって、国内に蔓延るディープ・ステートな連中への威嚇ではある。

 トランプ米国はいよいよ暗躍していた英国と敵対し、欧州からも手を引いてゆき、北米大陸に専念する。

 が、英国も米国も国内はインフレと借金滞納が酷くなって、住宅ローンやクレジットも利息だけしか返済していない世帯が急増して行ってる。

 残念ながら、トランプでも腐り果てた米国は再生できないだろう。

 そうしてもっとも煽りを喰らうのは先進国だと自惚れていた西側諸国と日本という植民地。

 いまだに新年早々、英国大使館と米国大使館を行ったり来たりしている政治家・役人・メディアの売国奴らは、そろそろ貧乏くさい仲間割れ・内部抗争が始まってるだろう。

 今までのように親分の顔色を窺って利益を与・野党で分け合っていた時代も終わる。

 猿芝居だったのさ、奥秩父の山に住む猿でも出来た日本の管理統治だった。

 

 今年も、日本人にとっては生活必需品の価額上昇は止まらない。

 どんどん貧しくなってゆくだけのことで、これは数年前から解り切っていた話だから、メディアに洗脳されてノホホンと暮らしていた猿の衆には準備などナニもしてなかった。

 島国の原住民お得意の、みんなで貧しくなっていれば良いんだとさ。

 ほんとかね~。

 メディア洗脳の酷い具合を世界に知られて、玩具になるのが関の山だろう。

 俺のまわりの大人たちは、キチンと準備を終えている者がほとんどだから笑っている。

 生きてゆく、暮らしてゆく、生き延びてゆくには、集団でいることはマイナスばかりだ。

 この期に及んでも、家や家族で固まって近親相姦に生きている連中には未来などナニも無いだろう。

 ま~だ国家がナニかをしてくれるとでも?? これからは日本に住み着く外国人に対して優遇措置は増えてゆくだけのことで、オモテナシの国民はいよいよ枯渇してゆく流れになっている。

 夢も希望も無いなんて、最初から解かり切ってる答えだったろう。

 優しく物分かりの良いオジサンやオバサンの徘徊に付き合ってると、あんた自身が首の無いお地蔵さんになり果てる。

 

 日本の株式市場では、外国人の投資マネーが過半数を超えて荒らしまわっているが、街に出ても外国人の消費者たちが社会のアチコチを荒らし回っている。

 日本人など手も足も出ない島国の新春は、お目出度いのかご愁傷様なのか、よく解らん。

 

 日本という島国は、日本国憲法の上に存在する日米安保によって、米国と英国の為の植民地化を強いられて来た歴史を持つことは世界の常識だ。

 その米国が世界の単独覇権国から撤退してゆく流れになって、貴方任せにノホホンと生きて来た島国ではナニが起きるのか? 小学生でも解ることだろう。

 少なくとも過去の栄光にすがっているだけの立場の危うくなる側にいては、未来も明日も来なくなる。

 今年はそういう意味では愉快な大波乱が始まる年になる。

 ダラダラと衆に隠れて貴方任せに組織ごと、みんなで墜ちてゆけば怖くはないんだろう?

 すでに世界の先進国では大変革が始まっている。

 島国だけナニも起きないの? な訳もない。

 

 咳だけが長引いているが、氷点下の山に登り、しっかりと肺を使って、別に安静になどしてはいなくて、色んな行動は続けて過ごしている。

 味覚にもなんだか異常が残っているから、年末に一晩だけ38,9度まで発熱してすぐに下がった影響なのかどうか、インフルなのかコロナなのかどうでも良いがもう少しだ。

 これが新種の感染症ならば、すでに免疫は獲得済みで、怖いモノ無しになっている。

 徐々に激しい日常へと戻しているから、なんの問題も無い。

 新年早々にも高齢者たちとの楽しい食事もアチコチでこなしている。

 ワクチンうったり、強い薬で急いで治そうとしたり、痛みから逃げたりはせずに、自然に時間をかけて免疫を作る作業を続けて居る。

 銀座でも仕事始めにお札やら、破魔矢だとか、相変わらずにぶら下げて歩いてる原住民・土民が多いが、人間の世界のことはキチンと人間が生きて対応する以外には、望みも願いも叶う訳がない。

 すべては貴方しだい、神に頼んだり、仏にすがったりしていては、ナニも始まらん。

 人間の世界のことは万事が自分ひとりの心構えだけで、誰かのせいにしたり、神や仏のせいにしたりは幼児のやることよ。

 エコノミック・アニマルだと言われてアジアの後進国でやりたい放題をやっていた不動産バブルの頃から、この国の猿の群れには呆れ返っておったもんだ。

 それが団塊の世代から上の黄色い猿の正体だった。

 俺はひとりで現地の女の元に出掛けてその家族らと関わり合っていたが、集団行動・ツアー客ばかりの日本人らの乱暴狼藉は酷いもんだったさ。

 それを今はこの島国でお返しだとばかりにやられ始めて、惨めなこった。

 笑い話にしかなってないだろう。

 


祈願や願掛けはせず淡々と始める

2025-01-06 11:27:13 | 銀座の周旋屋

 

 

 年末年始と、古く毅然と生きている爽快な寺社に立ち寄っては、神頼みや祈願はいっさいせずに、片手をあげて神々の挨拶、建物の修理代や石段の修繕費にとポケットマネーを出し続けていた。

 おなじ八百万の神としてナニにも依らない自営で稼いだ金から出している訳で、名も残さずにさっとお暇している。

 俺のことは俺が自分で何でも出来る。

 ナニも困ったことはない。

 借財も貸し借りもいっさいなく、悠々と笑って生きて居る。

 誰かにナニかを恃んだり、受け身の感動秘話もナニも無い。

 こうやって清々しく終わりを迎えるだけの山の獣の生き方になって来ている。

 人間の世界のことは、すべて退屈な猿芝居。

 見栄張りや成金の乱暴な幼稚園には、近づかなくなっている。

 甘ったれたメディア奴隷な生き方で、当たり前のように借金・負債まみれになってる猿にも興味がない。

 ナニが楽しくて生きているの?? メディア洗脳な日々の金のかかる罠に嵌って暮らし、自転車操業に思考も感情もグチャグチャになってボロ雑巾。

 それでも薄気味悪い集団洗脳な社会は、喜劇にしかならない。

 いまや資産一桁の億円では金持ちとも言わなくなっているのが世界の常識だが、島国では気持ちの悪い百万・千万成金がウジャウジャ貧しい日常を競い合っているのは、小人の国の酔狂か??

 貴方任せの社会の象徴、相変わらずの旧習を持ち出して古く生臭な猿ばかりが集うハリボテのデカイ寺社は、新年を迎えてもそのまんま性根も腐り果てて朽ちて倒壊してしまえばエエのんさ。

 中身がナニも無いカラッケツでは、壮大に燃やしてやれば供養にはなる。

 社務所ではゼニカネ勘定にうつつを抜かして、メディア洗脳の神輿を出して、馬鹿と阿呆が他力本願に願掛け祈願、こういう間抜けな昭和を続けて居ること自体、正気の沙汰じゃない。 

 毎月の決まった餌を貰う為に単調な奴隷労働に精を出し、せめてもの楽しみにと毎度の飯を前に晩酌をダラダラと日課にしている猿社会。

 なけなしの小遣いで宝くじを買い、パチンコや競馬のギャンブルで貴方任せの夢を買う。

 ささやかな自分へのご褒美コッコなんざ、囚人服の着せ替え人形。

 決して自分でナニかを創造し、自分の知恵と力で餌を収穫することはせず、自分の身体と時間を買ってくれる親方に靡いて従順な奴隷として家ごと差し出している。

 米ドルの凋落は金(ゴールド)を跳ね上げているが、円はその米ドルよりも価値を毀損して行ってる。

 昭和の家庭の晩酌と宝くじの習慣化は牙を抜かれた原住民の奴隷化だったが、パチンコ屋にラブホテルの乱立は単細胞土民化の象徴ではあった。

 時間の浪費と、命の無駄遣いは、いまでは携帯スマホ弄りへと移っている。

 猿には唯一の救いの娯楽としてなくてはならない玩具になっている。

 単細胞奴隷化への道は、こうして島国を蹂躙したまんま、先付けの借金・負債社会で住宅ローンにクレジットと、雁字搦めに猿社会を縛り上げている。

 新しい年になっても、ナニも変わってはいない。

 人類が地球に誕生してからナン万年も経っているというのに、このテイタラクはなんだ?

 

 地球や宇宙が常に変化を止めないのと同じで、人間もまた常に変わってゆかなければただの資本主義の歯車、ロボットで終わってしまう。

 インチキで作られた一つの業種が独占的に膨大な利益をあげると、他の業種にも独占的に拡げてゆき、それが大企業化して雇用を増やして社会に貢献しているという言い訳がある。

 管理された刑務所が整然と並んでいる斜陽後進国の日常だな。

 それが淡々と進んでしまったことで、コロナ禍のような単純な詐欺でも全世界がいっせいに踊らされていた。

 その人の能力や日常の過ごし方が、はっきり浮き彫りになった瞬間ではあった。

 どうして冷静に自分の脳で判断しないのか? 恐ろしい社会になってしまってることに、虫酸が走ったもんだった。

 

 高い山の頂上からの眺めにもいろいろあって、俺は人工物が見えない頂きを好んで登って目指すことが多い。

 人間の作ったモノが見えると興ざめして、腹が立ってくる。

 自惚れた人類が溢れ返っている現代社会には、とうてい染まることはない。

 古い付き合いの愉快なオバさんと長く共に暮らしている愉しいフランス人のオヤジがいるが、二十年以上も前から金(ゴールド)の価値を唯一のものと捉えて、俺の自営の生き方を指標にしている。

 言う通りになって来ているのが愉快らしいが、日本に住み着いている外国人らとの関わり合いは、人類の嘘の暴き合いにもなって、笑うことばかりだ。 

 貴金属については、まだまだ動かず、のんびり遊んでやるわさ。

 

 原罪という考え方がある。

 人はみな罪を負って生まれて来て、それを償う為に生きてゆく。

 その償いとは教会や教団や神を守っているという組織に対して、身も心も捧げなさいというインチキに他ならない。

 ただの水を500mlボトル1本1000円だの5000円だので売っているようなもので、寄付やモノを買う形で吸い上げて行くネズミ講のようなシステムになっている。

 日曜学校なんてのはマルチ販売の現地安売り会のようなもんだ。

 人間の奴隷支配の根源には、こういう洗脳とイカサマが渦巻いている。

 キリスト教の本当の姿は、そんなようなもんだ。

 これからもっと酷い実話や被害が公になってくるだろうが、わが国にも戦国時代からイエズス会は浸透して来ている。

 かといってでは仏教やイスラム教やヒンズー教はどうなのかというと、どれもこれも守銭奴が群がっておなじようなもんだ。

 自信満々に自らが神や仏になり、信者や組織も持たない生き方いがい、みんな嘘だ。

 

 そろそろ目を醒ましたらどうかとは思うが、幼稚なオツムの日本人には無理だろうな。

 満天の星屑を、山奥の源泉の露天から、汗だくになってしっかり堪能して来たわさ。

 体重も3キロは落とし、身軽になって仕事にとりかかる。

 誰にも遠慮せず、俺の好きなように自在に生きる。

 自営の時代に、自営をしない日本人は、終ってるだろうよ。

 幼児教育や義務教育にどっぷり浸かって子供を育てて居れば、能無しばかりになるがな。

 


自然免疫獲得に精を出しつつ越年

2025-01-02 23:16:30 | 地球と生きる

 

 

 2025年の初日の出も、冷え切った太平洋からのものだった。

 年末から色んな自然免疫・抗体を体内に熟成させていたから、相当にまた強い身体になって、大波乱の今年はとことん戦えるだろうと笑っている。

 コロナだとかインフルエンザだとか、感染症が蔓延するのならば先に全てに罹っておく、予防医学などに逃げずにムシャムシャ食べて同化する。

 すでに島国には外国人旅行者が大量に持ち込んでる怪しい仕掛けがあちこちに施されている。

 相変わらずな間抜けなメディアからは、奴隷同士の競争をおもしろ可笑しく囃したてる報道ばかりでその根拠や意味には触れないまんま、箱根駅伝なんざ昭和の腑抜けと若気の至りを取り込んでの猿芝居、今では若者や子供らすら振り向かない古びた価値観を懲りもせずに強制して酸鼻なもんさ。

 かくのごとく狂い果てた列島でも、俺はいつでも準備万端、今年もまた愉しい一年にしてやるよ。

 いっさいに迎合せず、仲良し小好しも興味なし。

 日本語の満足に通じない日本人が、田舎には溢れ返って来てるだろう。

 腐り果てた旧習を頑なに守り、中身の無いキレイゴトを子や孫に強いるだけの猿な民族では、アル中薬中ギャンブル中毒ばかりが社会という名の刑務所の中で狂い果て、奴隷労働者を量産してゆくだけだ。

 都会でも日本人の劣化は驚くべきスピードで進んでるが、思考停止・感情硬直は止まらない。

 当社は今月で一足お先に決算期を済ませ、キチンと納税してやって新しい今期が始まってゆくさ。

 もう新年度の利益も読めている。

 間抜けな日本人らとは生き方や価値観に向かってる行き先も全然に違う方向だがな。

 毎年恒例の店の神棚に俺が入る入魂の儀式も無事に終えた。

 三十年も続けていると、みな笑わなくなって普通の日常になっている。

 


2025年新型感染症の爆発想定

2024-12-30 11:42:17 | 銀座の周旋屋

 

  

 The Bill Gates Foundation, in collaboration with the Johns Hopkins Center for Health Security and the World Health Organization (WHO), ran a simulation called "Catastrophic Contagion", imagining a deadly pandemic in 2025. This time, the outbreak, caused by an enterovirus called "SEERS", would have a higher fatality rate than COVID-19 and disproportionately affect children. The panel examined lessons from the COVID-19 crisis, discussing topics like societal control, propaganda, and the controversial closure of churches.

 ビル・ゲイツ財団は、ジョンズ・ホプキンス大学健康安全保障センターおよび世界保健機関(WHO)と協力し、2025年に致命的なパンデミックが発生することを想定した「壊滅的な伝染」というシミュレーションを実施した。

 今回の流行は「SEERS」と呼ばれるエンテロウイルスによって引き起こされ、COVIT-19よりも致死率が高く、子供たちに不釣り合いなほど大きな影響を与えるとみられる。

 パネルは、COVIT-19危機から得た教訓を検討し、社会統制、プロパガンダ、物議を醸している教会の閉鎖などのテーマについて議論した。

 2022年の年末に流れたニュースだが、その年が来年だ。

 

 新型コロナ騒動は同じようにビル・ゲイツ財団がジョンズ・ホプキンス大学でバイオテロを想定した軍事訓練を起こしたことからスタートして、武漢で行われた世界軍人オリンピックで感染が爆発した。

 その数カ月前にPCR生みの親のマリス博士は暗殺されたが、遺言では感染症の検査にはPCRは効かないという内容だった。

 すでに新型コロナのワクチン接種を何度も行っている者らには無抵抗な新型伝染病が撒かれると想定していること自体、興味深いことだろう。

 これらの事件がもっとも効果的な被害者を産むエリアを発端として世界を巻き込むとすれば、どこがその発端になると思う??

 新型コロナワクチン接種を数多く受けている人たちが大勢いるエリアだろう。

 

 呑気に新年を祝っておる場合ではないだろうし、ナニが起きるのかの先まで見通してなければ、世界人口削減に動いている連中の思う壺に嵌ってしまうぜよ。

 どうせまたメディア洗脳と煽動で、この国は大騒動をして右往左往するんだろう。

 新型コロナ騒動の時にも俺は陰謀論者・キチガイ扱いをされておったが、その後の獅子粉塵な動きで何人もの命を救ったと思っている。

 やっちもね~な。

 

 親の言うがまんまに優等生に生きただけの大人が、偉そうに 同じように生きろ! と押し付けることで、家を破壊してしまった昭和から平成。

 なんの創造も工夫も思慮もなく、猿芝居を強要するだけの哀れな形骸は産廃ゴミだった。

 ゴミを除去して残ったモノは醜い見栄や、みみっち~プライド、無意味で無駄な儀式や風習だけになってる令和。

 自分に甘く優しい大人のマガイ者らは、他人にも優しく良い人になろうと生きる。

 自分にトコトン厳しく生きて居る者は、他人にも厳しく遠慮などしないものだ。

 常に時代に合った価値観に変えて、なんでもない日常を積み重ねてゆくことこそ、信用を拡げてゆく唯一の道。

 近道やショートカットなどあるわけもない。

 

 俺の代で、遠距離帰省や遠距離墓参りなんて習慣化した無駄なことは終わりにしたから、年末年始の愚かな風習も無しで、猿芝居に大混雑する社会の動きを見ながら、のんびり適当に過ごすことにしている。

 キチガイと醜い見栄張り守銭奴の借金まみれと、能書きプライドばかりで続けてきた馬鹿くさい親戚付き合いも、俺の代で終わる。

 無意味に血縁で固まり生きておれば、そこで育つガキは排他的なキチガイばかりになる。

 古臭い旧習や根拠を既に失っている価値観を後生大事にして生きている家にこそ健全ならば飛び出してゆくガキは増え、家の財産に寄り掛かって食い潰している家にこそ自閉や引きこもりは増え、貴方任せの無責任な家にこそ社会で上手く生きてゆく方法を知らないロボットか犯罪者は増えてゆく。

 

 残念ながら、いまだに、この現代社会で、宗教に洗脳されて習慣化した儀式を続けている人間は、たとえそれが歴史のある世界的に洗脳の渦が拡がっている宗教であってもだ、俺にとっては決定的に相容れない原住民・土人の扱いとなる。

 俺には雪山の頂きで凍りついている時に迎える日の出・朝陽の偉大さだけが、なんども味わっている絶対な経験として、生死を分ける体験として、身についている。

 太陽こそが俺には神であり絶対であり、俺自身も同等に生きてみたいと思う存在価値になっている。

 東の空が明るくなるだけで、凍りついた足元から体温が回復してくるような偉大なものは、太陽しかない。

 月を照らして夜に明るさを与えてくれるのすら、太陽の仕業だ。

 他の人間が作ったいかなる宗教神も、太陽の下ではただのガラクタでしかないとはっきり言える。

 屁理屈・能書きの山を築き上げている人間の社会は、味気のない安い猿芝居の舞台でしかない。

 まだ繰り返すのか? 俺が日常に抱えている笑いの元は、それだ。

 

 死期の世界とは、あの世や来世や天国・地獄を言うのではなく、自分がいなくなっても普通に存在する地球の日常を言うのだ。

 生きている時に語るものではない。

 この4日間は苦行を続けて居たが、爽やかな朝を迎えてまたアチコチを走り回っている。

 短期の金(ゴールド)はしっかり頂いてニュートラルで越年するよ。

 

 


煙突からサンタがやってくるんだ

2024-12-25 11:55:23 | 地球と生きる

 

 

 どうせ嘘の作り話なら、優雅にお洒落にやれば良いモノを、昭和から平成・令和と安い猿芝居は劣化し続けて居るから、編集や脚色だけではどうにもならなくなっている。

 元の物語から新しいモノを作る時代になっているというのに、もはやオツムがAIロボットにこき使われる用に教育されている現代人には、そんな才能などナニも無いだろう。

 どうするつもりなのか? メディア奴隷のトドの詰まりの惨状も見えているだろう。

 

 この年末に高級マンションでクリーニング業者の初歩的なミスから水漏れ騒動が起きていて、その対応で振り回されている。

 手を抜く、気を抜く、値段を抜く、携帯ばかりを弄って遊んでるロクでもないボ~っとした日本人が社会の崩壊を助長する。

 自営は組織人とは違って自衛を自分だけでやる訳で、だから厳しさや冷酷なまでの対応が常に必要になってくるが、自営同士で助け合ってダラダラやってると大損害を被ることもある。

 長くやれば古い付き合いの人間は多くなってるが、笑ってはいてもいつでも切り捨てて敵対できる状態を保ってなければ、ただのキレイごとで巻き添えを喰らう。

 自営の強い者どうしで距離を保ちながら、共存共栄してゆくのが理想なんだろうがね。

 

 89歳になる婆さんが携帯電話が壊れたというので見に行くと、充電をしていなかっただけのことで、いつも充電スタンドに立てておきなさいと大笑い。

 ・・・携帯電話はナニで動いているか解ってる?? 空気?? 味噌?? 電池だよ! 

 家の電話線をネズミにかじられて電話がつながらなくなっていたから、ドコモに行ったら冷たく追い返されたと怒っていたこともあったが

 ・・・ドコモは、携帯電話の会社だよ

 いつものお育ちのよろしい珍返事は

 ・・・あら、そうなの~

 人間も90年近く生きておれば、そりゃ~ボケてくるのが当たり前のことで、俺はただただ目を見て大笑いしている。

 かくいう俺も先日の夜に独り暮らしの婆さんちに差し入れを買うのでスーパーに入ったが、出る時にカートに荷物を積んだまんま、西新宿の歩道をガチャガチャ歩いていた。

 俺らの世代は長生きは叶うまいが・・・箱根の祟りか? と大笑い。

 高齢者を笑い飛ばしながら、自分もおなじようなことを続けて居る。

 しかし箱根で喰ったオマールエビのパスタは旨かったぜ。

 豆のスープも苦みが利いてて旨かった。

 サンタも煙突に登っておったがな。

 ・・・ということにしておこう。

 月曜日は仕事でアチコチに出掛けるのに、90歳の婆さんを車に乗せておいて、ランチは八重洲でニンニク入りのラーメンを一緒に食べておった。

 常に高齢者が傍にいるような状況で生きて居る。

 いろんなことが起き、いろんな楽しい会話もあるもんさ。

 休んでる暇などなくって、鍛えてパワーの源を摂り入れてるだけ。

 

 コロナワクチン接種をした連中ばかりがコロナに何度も罹って、当然のようにインフルエンザや肺炎にも罹っているのが、それは俺のまわりの普通の話。 

 反ワクチンを叫んでる旧統一教会の反対別働隊参政党の信者たちは、その売り文句に自爆して、逆のオツムの難病・奇病に罹っている。

 組織が組織を攻撃して争いを始めたら、その双方を個人が両成敗するのが一番だ。

 どいつもこいつも皆が猿芝居に夢中になって、メディアの錯乱ジューサーミキサーで撹拌されて右往左往。

 いつまでもメディアが用意する選択肢の中でだけ、良いだの悪いだのとほざいている。

 馬鹿は死ななきゃ治らない。

 永遠に抜けられないメディア奴隷の成れの果て。

 人間の生き方・価値観は選択肢の中から選ぶものではなくって、すべて自分で創れるということを忘れてしまってる。

 銀座で頑張っている外国人の自営業者らは、俺と生き方や価値観は似通っているのが多いが、組織やチームや集団で生きて居る日本人はダメだな。

 メディア奴隷のまんま、従順に生きてゆくしかない。

 コロナ騒動の対応を守銭奴たちが操って弄ったおかげで、その後も素直に従っている猿が多いから、酷いことが幾らでも起きて来るだろう。

 自業自得のお話だ。

 

 政治の選挙ですら、メディアの煽動と洗脳が強力な力を持ってしまっている馬鹿馬鹿しい状況が昭和の時代から続いている。

 新聞・テレビからネットメディアへと変わっても、楽して生きて居る国民にはなくてはならない情報源なんだとさ。

 口コミだけで長く生きて居る俺には、水と油ほども違う世界が主流になっている。

 おなじような趣味嗜好の、おなじような価値観の、おなじような顔した猿ばかりが、群れて島国では暮らすようになってる。

 並行するように引き籠もりや自閉症という訳のわからない患者が増えて、孤立して生きるような家庭もある。

 個々という特性を徹底的に研ぎ澄まして生きるのではなく、大雑把な選択肢の中から自分というものを選んで生きなければいけない色付け区分け社会では、常に本当の自分はもっと別に居る筈だという思いがなくならない。

 当たり前のことだろう。

 そんな自信喪失した社会で、子や孫に接している大人たちは、どういう教育をするのかすら貴方任せの酷い育て方になっている。

 なにもせずに放り投げている方がまだましだろう。

 徹底的に舐めるように可愛がって傍で生き方を見せてやっておれば、10歳を過ぎたら好き勝手に生きてゆけば良い。

 失敗もアクシデントもトラブルも、すべて自分で背負わせて手助けはしない。

 それでダメになるならば、残念だったな、そういうことだ。

 山の獣はそうやって生きて居るからこそ、進化と言う環境適応力に長けた獣だけが生き残って来ている。

 現代社会の教育なんてお遊びは、ロボットを量産している工場でのマニュアルになってるだけだろう。

 こんな島国では進化を続ける人間なんて育つ訳もなく、そこから俺のようにガキの時分から群れから離れて生きてゆくなんてまず難しい社会になっている。

 俺は自分の子供らよりも、いまでも進化し続けて居る。

 父親がナニを考えているのかすら、考え及ばずついては来れないだろう。

 

 自由自在に好き勝手に生きて居るということは、社会という集団の中では軋轢や摩擦ばかりの日常になる。

 それをすべて自分の中だけでなく周囲にも納得させようと生きることは、なかなかに大変な作業の継続が要る。

 10年やそこら続けていたって信用は拡がらなくって、死ぬまで続けられる生き様がなければダメだろう。

 自分の死をピリオドにするストーリーを作っておかなければいけない。

 いろんな突発的な障害は当然いくらでも起きる。

 それをも逃げずに解決しては思考を変えて前に進む、そんな繰り返しになる。

 毎週のように高い山の頂から地球を見渡している時には、格別な気分になれる訳だ。

 

 まわりの企業はどんどん休みに入って行くが、当社はいつものように31日まで普通にやって、1月も元旦から店には出る。

 猿の群れがウジャウジャ大騒動を起こす時は、近寄らない・触れない・関わらない。