銀座の1丁目の当社から、築地まわりで勝どき橋を渡って月島・佃と歩き、夜景スポットの中央大橋を越えて新川から八丁堀を抜けて歩いてくると、だいたい5キロチョイだ。
仕事ばかりやってると、時々このコースで運動不足解消と、歩いてくる。
途中、1階でやってる古い地元の小さな不動産屋連中はみな数十年の付き合いになる顔なじみだから、立ち寄っては笑い話を交わし、情報交換もし、歩くだけではつまらないので口も動かして、良い塩梅になってる。
歩いてると色んな関わってきた人たちにも出会うことが多いから、そんでもってまた立ち話。
なんだかな~、ただの喧しい爺ィになってきてると実感する。
地元の悪ガキやらに出会うと小遣いやって、お菓子でも喰え! とやってる爺ィ。
銀座の片隅で、お祭りもせず、放置されてたまんまのお稲荷さんを撤去・解体する儀式を明日行う。
神主をお迎えして、昆布に鰹節と海の幸、白菜・サツマイモ・きゅーりをそれぞれ白皿に盛り、塩に米に日本酒を用意しておったが、放置されたお稲荷さんの神様は、すでに元宮へと帰られておって、キツネや犬やが主のいなくなった界隈を彷徨い歩いている、と、言う。
もともと俺はすでに神になっていると感じて暮らして居るから、奥山を歩くときはいつもその山頂にある祠や奥社に手を合わせ、神々の楽しいひとときを過ごそうではないかという、そんな単純で明るい調子だから、現世には怖れるものなどなく、だから主なき後に彷徨い歩いて居る獣たちがおるのならば、俺が店に引き連れて帰るつもりでいるわけだ。
当社の1階には神棚があり、俺が入って祭ってある。
今年は根津神社の白札に俺が入ってる。
そこを棲みかとして、暮らして行けば良い。
俺と一緒は、ずいぶんと愉快で愉しいことばかりだぜ。
ということで、油揚げやらも供えてあげようと思う。
俺が関わった土地建物の売買だから、嫌がる売主や買主に代わって、俺が魂抜きの施主となり、玉串料も俺の名前で差し上げる。
常日頃はキレイゴトばかりで暮らしておっても、いざ鎌倉ではみなが嫌がる、みなが逃げてしまう、思えばそういうことばかり俺は平気にこなしてきてる。
誰かがやらなければいけない、誰もやらない、では迷うことなく俺がやってやろう、だ。
ダチョウ倶楽部のようでもある。
こういう話を真面目な顔していつもやってるから、時々、妙な狂人でも見るような怪訝な顔で見られることもある。
ま~、ええがな。
現代の日本人のおかしな風習・儀礼や道徳や倫理観のほうがはるかに可笑しい。
その日常の習慣なんて無茶苦茶や、そう言っても良い。
由緒だけ、歴史だけはある寺や神社ですら、まともなとこは数えるほども、無い。
さ、神田駅前のビルオーナーんとこに、ちょっくら出掛けてくるっぺよ。
歩いて行って帰ってくるさ・・・。