オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

勝頼は大峠越えて秩父へ向かった

2019-03-11 11:06:47 | 歴史に埋もれた真実

 

 週末は天気が悪かったから、俺が武田勝頼だったら・・・と考えて、天目山で死んだことにして、その後をどう生きるか? とりあえず甲陽軍鑑には素敵な物語を書かしておいて・・・真田の領内に入って行くだろう・・・。

 そこから南房総へと旧武田領を進むだろう。

 そんなことを考えておったら、真田昌幸が夢枕に立って、犬伏の薬師堂で待つ・・・そういうことになった。

 仕事の疲れがずいぶんと溜まっておるのに、仕方なく佐野まで車を走らせた。

 土曜日はミニバスの試合でガキどもをさんざんに怒鳴ってやって、日曜日も応援のお母さんたちは楽しみにしてたらしいが、真田昌幸が老いた姿で現れては、さすがにそっちが優先となる。

 佐野の田舎にある犬伏の薬師堂は小さなお寺だ。

 古墳の外れにポツンと建っている。

 どんよりとした天気で、閑散としておった。

 風は冷たくなっておったから、3~4時間で雨になろうかと感じた。

 400年もむかし、当時はまわりは藪と畑があるくらいだったろう。

 8畳くらいの畳敷きの和室だけ。

 そこに座って開け放した入り口から赤い梅の木に咲く花を眺めて居った。

 ・・・来たぞ!

 昌幸が岩櫃の城へと誘ったが、勝頼は岩殿の城へと歩を進めた、史実ではそうなってる。

 どちらも良く登り歩き知ってる山だけんども、岩殿には向かわなかっただろう。

 戦国時代のツワモノが、二つの山城を比べた時、どうして岩殿を選ぶ? それこそ愚将と呼ばれる。

 山城のまわりを歩いて登ってみれば解る。

 山好き砦好きならばみな想うことがある。

 ・・・嘘だろう?

 机上の歴史を弄る学者、机上の物語に酔う作家、どうでも良いお子ちゃま遊び。

 人間の生き様とは、もっと奇想天外、オモシロイもんだ。

 俺ですら、すでに普通の大人社会では理解されない存在になってることを想えば、なんでもありの戦国時代だ。

 名を遺すことなどは、チンケな私利私欲に走り、権力に尻尾をふる後世の作家や学者に任せておけばエエ。

 男は、自分の生を謳歌する、これしかない。

 それが徹底しておった戦国時代には、武士道やキレイゴトなど、ただの口説き文句の類だったろう。

 お薬師様で、いろいろ考えたがな。

 考えてるうちに、せっかくだから足利学校と鑁阿寺に寄ろうと想った。

 戦国時代にすでに足利にあったものを観る。

 孔子廟は修復中だった。

 鑁阿寺も歩き、大イチョウの木を見上げてると・・・山の上から見下ろすか・・・で、織姫神社に登った。

 両崖山と言うハイキングコースがあるが、その途中まで行き、坂東平野を見下ろしたが、煙っておったから引き返した。

 今日は登山の準備をしてなかったし、近所を歩く格好だった。

 会津征伐に向かう途中に、真田軍はここに逗留した。

 徳川方ということでやってきたところへ、石田方から反徳川の旗を上げたとの密使がやってきて、犬伏の薬師堂で父昌幸、子の信幸・幸村が会談したとなっておる。

 実際は陣を張った近くの大庵寺だとも言うが・・・たいした問題ではない。

 キレイゴトよりも御家の存続。

 俺の好きな話だ。

 人間は、生きていてこそ花にもなれる。

 死に方がどうたらこうたらなんて無意味なキレイゴト。

 死には意味などない。

 死に意味を語るのは、人類の統治の手口と言っても良い。

 世界中、そんな宗教で賑やかなもんだ。

 統治する者が勝手に言ってる戯言だ。

 生き延びることにこそ、人類の進化は在る。

 まるで解ってない現代の大人社会には辟易する。

 薬師堂で昌幸が囁いた・・・勝頼は甲斐の国から、秩父へと入っておりそうだ。

 俺の好きな奥秩父の山々が、そう、俺を呼んでいる。

 今週末は、そっちだな。