オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

ありもしないモノを信じて後悔?

2020-01-27 10:06:46 | 価値観
 

 人間社会のタブーと言われる行動ばかりを、半世紀いじょうも前からことごとく其処に自分で身を置き経験してくると、いかにありもしない嘘ばかりで高度経済成長という詐欺が横行していたのかを、大笑いして感じることになってる。

 歴史小説なんざ権力の犬と成り下がった大衆小説のゴミみたいなもんで、それを映画化や大河ドラマ化して教科書のような扱いにしてるが、善良なる庶民を気取った衆愚のオナニーみたいなものでしかない。

 独り独りで、小さな部屋で、コソコソやってりゃ~エエ話ばかりだ。

 

 死に意味を持たせる、死ぬことでなにかを解消させる、こういう行為がなくならないのは、そんな間抜けな歴史小説の悪影響でしかない。

 死に美学を見、死に能書きを垂れる・・・死に意味など無く、死んだらすべてが終わるだけのことだが、いちいち死を持ち出しては生きることの補助をしてる大人社会は、情けない半端モノの集まりでしかない。

 死を大げさに扱い、死そのものに意味を持たせてるのは、裏返せば死への怖れいがいのナニモノでもない。

 みみっち~弱い心の拠り所、それがあの世や霊魂や祈りや願いになっている。

 自分が変わって、自分が動かなければナニも始まらない、これが解ってない。

 宝くじを買って夢を見て暮らしてるのは個々の勝手で良いが、そんな連中は生涯を後悔で過ごしている。

 厭世観というものは、すなわちが努力を怠ってる柔なオナニストの独り合点。

 なにからなにまで自分でやる、俺はガキの頃からそうやって生きて来たおかげで、なんでも出来るし、なんでも知っている、その延長線上にナニにも拠らない自営があっただけ。

 夢など見ることもなく、毎日毎日のコツコツコテコテの積み重ねだけで、今がある。

 銀座という街には、女手ひとつで自営を続けてる連中も多いが、昔ながらの馴染みも多くなってるが、みな相変わらず神頼みや占いや霊魂を信じて生きてるのが多い。

 ・・・自分の生き様は神や仏や男すら信じてなかったくせに、生活が安定してくると逆戻りしてやがる

 よく言ってやるセリフだけんども、よくよく考えると女という生き物の性でもある。

 そうやって密かな楽しみを抱えることが、メスの生態でもある。

 悪いことでもないし、常に現実しか見てないオスには、そんなメスを見てることが可愛く愉しくもある。

 女は花である、これは本当だろう。

 山ばかり登ってる俺には、厳しく高い山で、それでいて小さくとも強く咲く花しか興味はないが・・・。

 

 人間の一生って~ものは、普通に義務教育を受けて親の言うことをキチンと聞いて優等生に生きてたって、山登りとおなじでその行程の8割から9割は厳しいことばかりになるのが当たり前だ。

 対人間で生きなければ稼いで生活の糧を手にすることは出来ない。

 良いことは1~2割もあれば良いだろう。

 そんな人間の社会で、俺みたいにガキの頃から道を外れてばかりで生きてくると、10割が面白くもないことばかりになることが普通だが、そこで、その厳しい工程を愉しんでやろうとすれば、すべての思考や価値観を180度変える気持ちで生きなきゃ~いけなくなる。

 それが出来れば、みなが詰まらないと思うことや苦しい哀しい腹が立つことすべてが、笑って過ごせるようになる。

 なかなかに言うは易いが現実の社会でそれが出来るようになる大人は少ないだろう。

 まず、周囲の人間すべてを捨てることが出来なければ無理。

 これ以上もない冷酷な日々を送ることになる。

 そうして自分というものをそこでせっせと一から作り直さなければいけない。

 いずれ何倍にもして返す、そんな想いすら話すことは出来ない。

 出来ないかも知れないからだ。

 これ以上のギャンブルはないだろう。

 投資や運用などといったゼニカネ儲けのギャンブルなんざ、お子ちゃまのお砂場遊びに思えるようになる。

 俺はギャンブルで家の2軒くらいは飛ばして気が付いた。

 生き方を間違っておったと。

 これ以上ないギャンブルがあった。

 そうして今んところは上手く行くようにはなってるが、それも先のことなどナニも解ったものでもない。

 孤独になることを怖れず、自分を作ることばかりにセッセと生きてくると、孤独になる時間すらなかなかにできない忙しい生になってしまってる。

 誰よりも冷酷に生きてきたお返しの時間が始まってる。

 これでエエんだと、想ってるよ。

 

 ここ数年、80歳を過ぎた方々の独り暮らしやご夫婦の家に呼ばれることが増えている。

 家の中の手直しや電化製品の修理や交換や、水道の不具合やモロモロの相談だが、我が子には言えずに、型破りに生きてる器用な俺んとこに連絡をしてくるというのが真相だ。

 サッサと俺自身が対応して修理や手直しをしてやってる。

 老眼が酷くなってるから照明係ということで傍に座らせて、あ~だこ~だ昔話を始めるわけだ。

 話し相手が欲しいというのもあるし、ハチャメチャに濃く生きて来た俺に、明るく笑ってもらいたいという失敗談や後悔の話がほとんどになる。

 ・・・あんたみたいに生きたら、さぞ後悔はないんだろうな~

 羨ましそうに言われると、溜息が出る。

 ・・・ありもしないお化けに騙され続けてしまったんだな~

 自分で部屋の照明の交換作業が出来なくなったら、これはもう独りでは生きてはいけない合図でもある。

 親族にそれを伝えてやるのも俺の仕事になってる。

 

 さ、今日もめいっぱい予定が入ってる。