銀座の街を歩いていると、よろよろした者や、フラフラした者や、のそのそ前かがみで今にも倒れそうな者や、いろんなオモシロイ生態の、足腰の退化し果てた大人たちを見るが、笑える喜劇だ・・・だいじょうぶか?
それこそ、ナニが楽しくて生きているんだ?? そんな大人社会に大笑いしている。
若年層でも、おなじように足腰の弱り果ててる予備軍がぎょうさんおって、それで今後の貴方はどう生きるつもりなのか? 聞いてみたいもんだ。
動物として、現代人の多くはすでに肉体から終わっている。
子育てを眺めていても、すでに終わってる親も多い。
ゼニカネ出しで他人頼み、爺婆までがそんなテイタラク。
哀しいとか、厳しいとかではなくって、とっとと逝ってしまった方が、今後のことを考えるとエエんやないか?
辛い日々、辛い老後、辛い余生・・・足腰の弱りはその一番の原因になるだろう。
俺は朝と深夜はバイクで走り回り、毎週往復500キロ前後は悪路を運転して、そこから山を何時間も登り歩いて降りて来て、仕事でも何万歩も歩き続けているが、そんな人間の姿をした案山子にならない為でもある。
医者に癌だと宣告されて、ただただ呆然としてる間抜けらとは、根本から違ってる。
死にかかって、大手術を終え、障害者となって酷い傷も乗り越えて、そこから再び大好きな山登りと遠泳が出来るようになるまで、何度もまわりには止められていたが、俺の命、俺の好きなように生きると、その結果が毎朝の元気いっぱいな朝立ちになっておる。
合法的な麻薬のことを、酒という。
文字通り、アルコールの入った飲み物のことを言う。
醒めるとまた、飲みたくなる、これは麻薬の成分のせいだ。
俺も40歳くらいまでは浴びるように飲んでいた。
ギャンブルはなんでもやって、家の2軒分くらいは飛ばしてしまってる。
それも40歳を過ぎて、すべて止めてしまった。
残りの命を考えた時、麻薬など要らない、シラフで真っ正直に愉しい生を生きてやろうと想った。
いまではギャンブルは生きることで、麻薬も生きること。
素のままで生きてるエクスタシーを感じている。
簡単な話だが、そういうことになっている。
想えば、酒を呑まなくとも呑んだ時のように賑やかに過ごしておったし、麻薬などなくともぶっ飛んでる生を生きて居たおかげで、その瞬間からスパッと手を引いた。
なんの苦労もなかったし、以降は山と海で遊び惚けることに集中できた。
山で酒を呑むだとか、海でギャンブルに昂じるだとか、それ自体が中途半端な野郎どもやることだ。
そういう連中とは、なんの話も噛み合わない。
百名山でも登って、海でバーベキューでもやっておれば、よろし。
お子ちゃま猿真似ゴッコ遊びは、興味も無い。
毎年、この時期からインフルエンザの流行が始まって来るが、今年はコロナの影響で騒がれないでいる。
このまんまインフルエンザが下火になって、コロナがお盛んになってくれば、インフルエンザはコロナに飲み込まれてしまい、一緒に肺炎患者ということで一括りにされて、お涙頂戴劇場は続いて行くわけだ。
40歳も過ぎて、自意識過剰なまんま、自分の主張ばかりを叫び、調和するとか間をとるということもせず、赤ん坊のように喚いてるガキが多くなった。
その仲介ばかりが俺の仕事にもなってるが、当事者同士でやらせると殺し合いか裁判まで行く。
たまにね、メンドクサクなると放り投げて当事者同士でやらせてみる。
その方が、俺の仕事の痛みが、解ると言うもんだ。
やっちもね~。