オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

鍛え上げたら、あとは裸で生きる

2022-01-19 10:52:39 | 銀座の周旋屋

 

 英国のジョンソン首相が、メディアのスキャンダル攻撃にもめげずに、世界に先駆けて、コロナ教から足を洗うと宣言したが、すでに複数回ワクチン接種している人たちからは政府に対しての損害賠償などを求められる恐れがあるにも関わらず、コロナワクチンは人体の持つ自然免疫を損なう副反応があると学者らが広言し始めている。

 これがナニを意味するのか? 今から蔓延防止強化策を阿呆みたいに始める国もあるが、間抜けにもほどがあるが、英国のそんな詳しい話は、日本国民の目につかない場所に封印しようとしている。

 

 勉強して、暗記して、知識を身に着けて、偏差値お受験で勝ち上がり、社会に出ても出世競争に夢中になる。

 落ちこぼれた馬鹿はムキになって、社会では負けないぞ!と、金儲けで勝とうとする。

 どっちもどっち、俺から見ればそれは競争ではなくって、馬と鹿の狂騒だ。

 いまの大人社会を眺め渡して、心底信用が出来る大人がどんだけいるのか? 首を傾げるしかないだろう。

 金持ってれば偉いの? 肩書きや勲章を持っていれば偉いの? メディアに露出してれば偉いの? 幼稚園児の運動会レベルの話ばかり、日常生活で、普通に人が集まって笑って生きている自営業者が、なぜ愉しいのか? 猿のゼニカネ欲望を満たすだけの商売をやってないからだ。

 みなが笑えるような場を、あの手この手で作って生きているからだ。

 競争など興味も無く、キレイごとの孝行や愛情など興味も無く、いつも本音で生きて笑っている。

 これほど強く、これほど愉しい日常は無いだろう。

 隠し事をする、良い人になろうとする、着飾って目立とうとする・・・その人の価値観や人間性がモロに出てる。

 馬鹿丸出しとは、このことを言う。

 隠すのはそんな惨めなことに価値を見ているからだし、良い人になろうとするのは、良い人という幼稚な幻想を抱えているからだし、着飾るのは、裸足の足元を見せて歩いているのと同じこと。

 メディアやネットなんざ、嘘や作り事ばかり、本当の信用とは、そんなものでは作れない。

 簡単なことなのに、コロナ詐欺に見事に引っ掛かっている連中は、立場によって正義や正論にはイロイロあるということすら、気が付いてはいないし、それがその人の本性を露呈しているとは、深慮することもない。

 あ~あ、だな。

 くだらなさ過ぎて、愛想も尽きるとはこれを言う。

 

 放射能が適度になければ、人間は生きては行けず、人間自身も体内に放射能は持って生きている。

 PCR検査もおなじことで、どんな健康な人間であっても、陽性値は持って居って、その陽性値を操作することで 感染した! 大丈夫! と、騒いでるだけだと知れば、馬鹿馬鹿しい騒動も収まるんだろうが、メディアがこぞって自分たちの利益追求に走っておるから、脅すわ脅すわ、みな非国民・国家反逆罪で捕まえてしまえや! という思いを、俺はずっと持っている。

 世界人類のオツムの軽さや愚かさには呆れ返る。

 

 30数年前の不動産バブル時には、自民党の派閥のトップ連中の第一秘書たちとの付き合いも多かったし、野党でもお付き合いはあったが、だいたいその中身は解ってしまってる。

 必然的に官僚・役人の生態や、大企業の経営陣のお里も知れておって、見事に騙されてる偏った知識だけのエリートや、田舎のモノ知り爺さんなんざ、ヒヨッコ・お子ちゃまに見えてしまうのは、仕方の無いことだ。

 その上で、自分自身のハチャメチャな人生が箔を付けているとも言える。

 対人での経験の違いだから、これは言葉で伝えるものでもない。

 演説よりも、ささやきだけで生きている。

 皆さんを、ただただ笑ってあげるだけのことだ。

 

 インフルエンザがナニ型ナニ型と騒々しくって、皆さんがワクチン接種に走り回って居った時期でも、俺は自然免疫を作って別にナニも問題は無かった。

 東北大震災の翌週でも、茨城・栃木の奥山を歩きまわり、放射能溜まりだと言われておった谷筋も歩き、とっとと地球と同化する生き方を続け、その夏には太平洋で遠泳をしておった。

 これこの通り、元気でござんす。

 加齢と激しい生き方のせいであちこちにガタは来ておるが、これは消耗したという話でしかない。

 片目になることを想定して、片目で暮らす癖をつけるような日常を送っておると、まわりの人たちはみな呆れ返って・・・どこまで前向きな人なの??・・・一緒になって大笑いだ。

 どんな身体であっても、人が絶えず寄ってくるのは、外見や肩書ではなくって、キレイごとのほざきでもなくって、もっと違う魅力で寄ってくるんだよ。

 信用というものは失うのは早いが、作り上げるのは何十年ものコツコツ努力しか、近道はない。

 ネットやメディアでほざいてる話題なんざ、浮草も良いところで、孤独な今後を予見させるだけの、惨めな話。

 

 自分にとって、苦しい時、不幸な時とは、そう思う自分自身を変えれるチャンスでもある。

 大きく価値観を変えてみる、これが自在に出来るようにならなければ、死ぬまで浮草のように漂ってるさ。

 生まれた環境で、育った学校で、社会の組織で・・・身についた価値観で疑問も持たずに生きてる大人社会では、なかなかそういう転身を果たした人間を見抜くのも容易ではないが、やった者にはすぐに解るもんだ。

 一度しかない命なら、後悔したくはないもんだ。