癌ステージ4を、この4月に宣告された身内の者と愉快にその後の免疫治療を続けているが、怪しい宗教まがいの治療や、健康食品やナニやらなどにはいっさい関わらずに、地球の大地から湧く放射能やラドン、地球の山々から湧く新鮮な酸素、そうして身体を動かして紫外線を全身に受ける、あとは3週間に1回、生理食塩水と30分ばかりの免疫療法の点滴、これだけで元気に笑って過ごしている。
とうぜんに、抗がん剤治療のような副作用や苦しみはナニも無いし、悪い部位を取ってしまって以降は、服用している薬も薬とも言えない整腸剤だけ。
病院や医者の真偽が解らずに、あれをやったりこれをやったり、これでは嘘ばかりに騙されて、挙句に疲れきって良いお客様で終わってしまう現代社会では、毅然とした、自信満々の態度で近親の者が付き添ってやらなければ難しいだろう。
自信の無いオロオロな大人社会のコロナ脳では、良いお客様で終わっている。
選択肢を探して、そこから選ぶ、こういった社会では、ナニも新しいモノは産まれず、心底から笑い転げる満足感など、夢のまた夢だろう。
人間の生きる価値や、人間の肉体の構造や生い立ち、地球や宇宙での人間の在り方について常に考えて生きている者には、迷いが生じない。
ナニが楽しくて生きてるの??
生と死を笑って語れる大人はいないのか??
ミミッチ~社会が現存する。
ということで、この週末は新潟の北の地方に出掛けておって、さすがに日帰りと言う訳にはいかず、静かで自然豊かな山の出湯で癌患者の療養をしてきた。
豊富なラジウム源泉がこんこんと湧き出ておって、料理もそれを使ったもので、まろやかな源泉を飲み、ぬる湯にたっぷり浸かる、鶯や野鳥の声を聞きながら閑散とした広い露天に浸かり、源泉25度と加温35度を交互に頂く。
立地自体が山の中だから、包まれている空気にすら放射能が漂い、ラドンが溢れているようでもあった。
俺ですら、今朝もまだまだ身体はツルツルのまんまで、普通の源泉ではこうはいかないだろう。
地球の凄さを、登山や遠泳とは違った意味で感じている。
信じる者は救われる、ならば信じるモノを安っぽい人工のモノではなくって、太古から地球に在るモノだけにする。
簡単な話さ。
新潟の日本海を眺めに行く途中、瓢湖に寄り、怪我をしてシベリアに飛んで行けなかった白鳥を眺め、蓮の花を愛で、白山神社で風鈴の音に癒され、最後は八海山の途中まで登って、時間の許す限りを遊んで来た。
関越トンネルを境にして、魚沼の田んぼの稲は隙間も見せずに、優しく柔らかく光り輝いてる、そんな景色は相変わらずに素敵だった。
10代の頃からテントを担いで日本中を歩いていた遊び人には土地勘があるから、その都度に他にもイロイロ立ち寄り先が増え、運転は忙しかった。
緊急手術から3ヶ月が過ぎ、体重も5キロ増え、仕事にも普通に復帰して、当初の不安と絶望からも解放されつつある姿を見ていると、長い距離の運転もたいして苦にはならない。
まだ生きる、その思いがあれば大丈夫。
命より重いモノはなく、命より軽いモノもない。
地球の大自然が許すまんま、そこに溶け込んで生きている限りは、人は守られている。
山や海で遊び続けて半世紀も超えていると、そんな想いだけが笑いの中にある。
山や海で、山や海の話ばかりをしているうちは、まだまだ俗の汚れに溺れているようなもんだ。
そこで人が生きる意味や価値についての話ばかりをするようになり、黙って笑っている、今はそんな感じ。
さ、溜まって来てる下世話な仕事をこなしてゆくわさ。