オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

毎週の山登りが、海の遠泳になる

2023-06-12 10:10:17 | 銀座の周旋屋

   

 

 最初にちょっと言っておけば、日本という国家の債務は世界でも群を抜いて天文学的な数値・負債になっているが、そのほとんどが政府と日銀の、本来はあり合えない貸し手と借り手の談合によって膨らんでるものだ。

 日銀に紙幣を印刷させるだけ印刷させといて、民間銀行の体を為しているのを利用して、破綻させ、第二日銀のようなモノを作るのか?

 その場合は、日本国債は紙屑になる。

 国内で消化できるという安易な考えの元で、国民にはその金を使わずに生かさず殺さず、米英欧の言うがまんまに国際社会へと貢ぎ続けているのは今も昔も変わらない。

 植民地、奴隷国家そのもので、いずれは国民の財産を充当するつもりなのか、帳簿上はチャラにするようなことも考えて動いている訳で、実際に昭和の初め頃にもあった。

 預金封鎖・財産没収、新札を発行するにあたって、額面の数字を弄るだけで、旧札との交換を停止してしまい、リセットだと宣告すればハイ・終わり。

 そういう時に向かっているからこそ、珍獣博物館員のような連中が、好き放題の国家運営を始めている。

 インチキ国家と言えば、これほどインチキな国家も世界には無いだろう。

 そういう大前提の上で、俺は毎週まいしゅう山に登っている。

 その意味は、そんじょそこいらのお猿さんたちには、わかんね~だろうな~。

 

 ウクライナの酷い戦場で、ロシア軍の救命隊が必死に動いてる画像を、日本の卑しい画像転売会社や配給受け元は、ウクライナ軍が行ってる美談にすり替えて報道していたりするのは日常の解りやすい嘘だが、視聴者の日本人は自分の頭で理解しようとしないから、そこに写ってる軍隊の軍服が、ロシア軍であるという簡単な判断すらつかず、ダダ漏れになってる解説だけを信じて鵜呑みにして、井戸端会議の題材にして喜んでいるが、お前らは猿以下の獣になってるな。

 そりゃ〜、世界でも群を抜いてワクチン接種を繰り返してる訳だ。

 こんな社会が厳然として、眼の前にあり、俺はそれには距離を置き、冷ややかに眺めて65年になる。

 昔から、そんな国家さ。

 そんな国家と国民を充分に解ったうえで自営を始めてる訳だから、マイペースで儲けている。

 ド阿呆な猿の大群衆を相手にして、自作自演や捏造に、安っぽい創作で食べているメディアや、詐欺師や謀略を仕掛ける連中の、もっと外周で生きている訳で、みんなまとめて良いお客様、それを広言していても笑って顧客は離れない。

 どんな環境でも、いつも大笑いして生きる、これが答えさ。

 

 若い頃にラグビーをやっている頃は太ももの周回が60センチくらいあったが、以降は50センチ半ばで、ここに来てまた60センチを超えて来た。

 成長している? ということだろう。

 20キロ以上あるザックを常に担いで、毎週まいしゅう反吐を吐きながらキツイ山に登っていると身体もそれに慣れてしまい、銀座の店のまわりを歩いている時は軽すぎて逆にフワフワしている。

 ガシッと身体が締まるには、重い荷物を担いでいるほうが安定もする。

 そんな身体でこの頃はまたカチカチの太ももに筋肉が付いて来ている。

 別にプロテインやマシントレーニングをやってる訳でもないのに、オモシロイもんだ。

 上半身はオストメイトになって緩めになったが、下半身は元気いっぱい、適応する能力はさすがだな。

 

 身内とは親と子供のことまでを言い、兄弟親戚など無視してオッケー、他人への愛は足し算だけで良く、あらゆるモノは引き算だけで生きる、ゼニカネは社会で生きる仕事道具の意味しかなく、人類という価値観は持たず、地球人・宇宙人という価値観を身につける、メンドウなことは無くなるよ。

 愛した女の産んだ子供と親まで、それ以外は身内なんざ必要もない。

 あらゆることに自分の価値観を作り上げて生きて居るからこそ、迷いもなく即断即決で生きれる。

 そういう日常の準備は、とても大事なことだよ。

 躊躇する、その姿に隙をみつけて飛び込んで来る猿も多い。

 俺は躊躇することがまるでなくなった。

 

 子供や孫たちが信用ならない、遺産目当てな優しさが薄気味悪い、相続人がいない、そんな裕福な高齢者の長いお付き合いの方々が、あんたはどんだけ儲けても変わらない笑いに満ちた日常を送ってるし、関わり合ってる人たちがまた我欲に走る守銭奴借金体質ではない素敵な日常を送っているからと、生命の最期にゆっくり話をしたいと仰って、俺の多忙なスケジュールの空いてるところに入れてくれないか? との連絡がよく入る。

 俺は自分の離れて暮らしていた認知症の父親を銀座の近くに母親と一緒に引っ越しさせて、毎日の会話だけで治してしまい、施設や病院には入れず、愉快に最期まで自宅で見守って眠るように逝かせてやった。

 医者や薬よりも、俺の存在で治す、それができるナニにも依らない無借金な自営を30年、銀座でコツコツ続けて来たからこそ、出来ると想い、迷いも無かった。

 去年は癌ステージ4を宣告された古女房を、もう良いと諦めていた本人など無視して懸命に動いて半年で根治させ、生きて居る限りはすべてのことを諦めない、その生き様をまたまた増やしてやったもんだった。

 生きてるうちはオツムを使う、洗脳や煽動されない自分のオツムで乗り越える。

 オストメイトとなっても四の五の考えずに、すぐにその身体で山歩きと遠泳を始めようと動いていたもんだが、これは魔術なんかではなくって、生霊と言えば神や仏にオツムをやられている猿には毒だから言わないが、まだ生きようとする力、それだけで充分だった。

 ただ、それを成すには日常の価値観や、食い扶持作りまで、徹底して自分自身のもので賄って、笑い飛ばしていなければ、猿には出来ないことだろう。

 認めて欲しいだとか、解って欲しい、評価して欲しい褒めて欲しい、そんな猿には無理な話だがね。

 人類の世界では、競う相手はいない、欲しいモノは俺に関わって変わってくれる喜びだけ、ゼニカネはそこには無い。

 

 梅雨時は温水プールで身体を山用から海用へと変えながら、高齢者をいろいろ連れて出して話をしてやる。

 自分たちの最期を考えてないボケ老人たちに、自分らしい最期を迎えるようにと、出来ることはやっておく、その為には遠慮などせずに俺を使いなさいと笑って言い放ってやってる。

 俺自身は、この愚かな人間社会ではナニも困ることがなくなってる、だからそれが出来る訳だ。

 一人終わって明るい日々が戻れば、また次の一人に向かう、いまは何人か同時に動いているが、そのくらいのことは当たり前に出来る。

 テメ~ひとりも満足に生かせず、ひとつの家庭すら満足に生かせず、キレイゴトは抜かさない方がエエで。

 大笑いされるのが、関の山だろう。