オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

経験を積上げた話と夢物語の違い

2024-09-16 11:39:57 | 銀座の周旋屋

 

 

 子供が10歳くらいまでの人間形成期に、すでに育児から逃げる親は、学習塾やスポーツ・習い事の塾に子供を放り込んで、親の責任を貴方任せにしている。

 子供の命を、金を払ってまでして売り払っているようなもんだ。

 現代社会では普通のこと? 皆がやってるから? 世界中の先進国がそうだから? 人間の世界には、正解というモノは無い。

 そんなあやふやな世界に生きながら、言われるがまんま、教わったがまんま、素直に良い子で過ごすことが善人・賢人だと思いこんでいる猿が多い。

 俺はアチコチの子供らはみな10歳くらいまでは連れ歩いて、常に先頭きって見本になって遊んでやってる。 

 良いこと悪いこと、小さな善悪の括りではなくって、山や海ではこうやって愉快に遊ぶんだと、どこにいっても同じ人間との関わり方はこうやって愉快にやるんだと、俺の生き方をまずは見せてやって笑って居る。

 あとはそれを叩き台にして、それぞれが自由自在に生きて行けば良いだけ。

 その後はたいして文句も言わずに放任、自由自在に好きに生きて行けば良いことだ。

 その最初の10年だけは、キッチリ遊んで仕込んでやって来た。

 どんな環境にいても、自分自身の自己主張をして、自分の意見で生きる、みなスポーツではキャプテンになり、生徒会長になり、引き籠もりや自閉なんてのは一人もいない。

 生まれてから最初の10年を徹底的に一緒に遊んで過ごす、これがあるから幾つになっても離れていても、別に心配も無い。

 子の未来を親が決めたり、子の結婚を親が決めたり、陰気な卑怯者のやることだ。

 テメ~の墓守でもやらせるつもりの、耄碌老人の哀れな素姓。

 俺は俺で相変わらず、自由自在に山や海で遊び惚けて仕事して、愉快に生きているから、振り返らずに前に向かって行け! で蹴飛ばしてやればエエやんか。

 

 ジョージ・ソロスの跡継ぎ息子と、ヒラリー・クリントンに長年に渡って付き添っている娘さながらの側近が結婚するらしい。

 キナ臭い政略だろうが、極悪と極悪を足したら正義になるらしい。

 ビル・ゲイツはどうするんだろうか?

 ここは大笑いして良いところだ。

 ともに滅びゆく未来を予見しての足掻きでしかない。

 

 オツムの軽い安っぽい守銭奴は、千万円くらいの収入を手にすると勘違いしてしまい、ミミッチ~守りに入って、商品カタログを日夜に眺めて消費の情報収集を生き甲斐にするようになる。

 億円の収入を手にするようになれば、社会や他人を見下して、上から目線の慈善事業に精を出すようになるが、それが人身売買・臓器売買の始まりだとは気がつかない。

 日常のキレイゴトも、経験したことのない収入を手にして木っ端微塵となり、あんた自身がゼニカネに身売りしてしまったことにすら気がつかない。

 こういう猿な大人社会を眺めていると、低俗な争いや大きな戦争も、間抜けな我欲が膨らんだだけの風船だと解らないのか? と大笑いだ。

 

 そんな猿な守銭奴らが何億円、何十億円、何百億円の利益を手にする不動産取引に長年に渡ってアチコチで関わって来ると、皆さん揃いも揃って不感症になってゆくのが可笑しい景色の一部になる。

 貧しくてナニも無い、働くのが手一杯でナニも無いという嘆きはよく聞くが、ではそんな猿が溢れんばかりのゼニカネを手に入れるとどうなるのか? 教えてあげようか? そう、やっぱりナニも無いのさ。

 哀れなもんさ。

 あとは不感症と自信喪失を見抜かれて詐欺師に利用されるだけの話で、玩具になってゆくのが関の山。

 銀座や青山にも、千万単位・億円単位のゼニカネが一度の取引で手に入ると人がコロッと変わってる猿みたいな不動産屋はゴマンといるから、一緒に藻屑と成り果てる。

 俺は30年以上、このまんま、ナニも変わってない。

 人として大事なモノを自分独りで育て上げて来なかった報いとは、ゼニカネでは買えない憧れを前にして、後悔と絶望に暮れる老いにボケてゆくだけのことを言う。

 金儲けをする前に、先に確固たる自分を作り上げて無かった猿の物真似。

 ・・・あんたみたいに生きたかった・・・昔からよく言われてるが、それが生きることの結論では、あまりにも退屈な哀れな命の時間だったろうな。

 ゼニカネ収入を増やすことを目的に働いているタコやイカの末路は、たとえそれが叶ったとしても、消費に飽きて目標設定の誤りを自覚する時にはみな手遅れの後悔猿で、キ~キ~ヒステリックな騒音になっている。

 笑える馬鹿たれどもやな。

 

 豊かに、愉しく、ナニにも拘束されず自由自在に動きまわる生の醍醐味は、甘ったるいあんたらには解る訳などなく、真似など出来る訳がない。

 人間社会すべてのことを経験と情報・知識で身につけて、タカをくくって腹をくくってからのお話だ。

 高い山の雲に隠れた頂きに立てば、下界の雨など嘘のように晴れ渡った雲海が無限に広がっている。

 そういうことだろう。

 

 俺が誰かと競争したり比較したりする日常から抜け出したのは30歳台の半ばだった。 

 自営の会社を経営するということは、全責任を負うということだが、すべての日常が俺の思い通りになる。

 しかも借金・負債無しで始めたから、売り上げが上がらずに利益がなければ廃業するだけだし、儲かれば最低限の諸経費を引いた残りは全部が俺の自由。

 これは金のかからない山や海での遊びに嵩じて生きて来た俺には理想的な環境だった。

 あとは他人や社会とのコミュニケーションだけで、それは俺が幼稚園で3回・小学校で6回ほど転園・転校して来た経験で培った手練手管を使えば、ナンと言うこともなかった。

 不動産バブルの前後からさんざんに業界で暴れ回っていたおかげで怖いモノも無く、有限会社のまんまで悠々と生きて来ているようだが、奇想天外なドラマの数はハンパの無いくらいに作り上げて来た。

 腐った死体、残酷に千切れた死体、自殺・他殺かかわらずに哀れな死体、ガキの頃から周旋屋稼業の今でも、そんな人間の末路の遺体と目を背けずにキチンと接することが多かったせいで、あの世や霊魂や宗教にも、目に見えないウイルスや菌にもぜんぜん興味が無い。

 若い人たちはまずは自営を始める為の準備を、社会で叩き上げて身につけるべきさ。

 愉快だし、後悔などないし、遠慮する相手もいないし、借金・負債がなければ自由自在を目いっぱいに謳歌できるさ。

 

 大学で経営や経済を学んだ訳でも無く、専門学校で資格や勉強を学んだ訳でも無く、先輩や師匠についた訳でも無く、親から引き継いだ訳でもなく、ぜんぶ最初から面白可笑しく独断の発想で始めているから、今でも笑って話せることばかり。

 儲からなければ山に登って遊び、流れが悪ければ海で泳ぐ、そうやって何度も工夫をしてやり直していれば独自のバブルも出来上がって来るのさ。

 そうなると社会全般の好景気や不景気なんざ関係がなくなって、俺がいればナンでも出来る、俺がいればナンでも仕事になる、という自由自在な日常が出来上がって来る。

 それでまたまた山に登って海で泳いでと、愉しいことこの上なくなるのさ。

 

 どう生きるかは貴方の自由。

 集団社会のルールだけ守って、あとは自分が笑っておれる環境作りだけを常にしておけば、媚びたり拗ねたり嫉んだり、病的な日常からはオサラバだ。

 

 ・・・ということで、近親者にコロナ陽性判定されたのが出て看病に付き添っていたが、ワクチンなどうってない俺は元気いっぱい、山の美味い空気を吸って源泉に浸かってきたわさ。

 地球上にあるウイルス・菌なんざ、俺の免疫には敵う訳もない。

 神や仏に頼み手を合わせ祈願するのは弱い猿、大人の人間は自分独りで信者や取り巻きなど作らず、悠々と神や仏になって見せる、そういうことさ。

 こう生きておれば、先祖の墓が集う山の上に至極の紫の光が現れて、みな俺についてこい!と、笑い飛ばしてやれるのさ。

 新しい時代は、こうやって生きて行くのさ。

 


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