オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

オストメイトで加齢黄斑変性な爺

2024-05-27 11:37:00 | オストメイトで登山と遠泳

 

 

 俺の描いている天気図だと、関越トンネルを越えると晴天となっておった。

 越後の山々はまだ雪が残っているから、高い山から繊細な穀倉地帯を眺め渡して、帰りに下道で秘境と言われて目に効くと伝わる源泉に浸かって来た。

 加齢による黄斑変性症には治療方法が無く、老いだから仕方がない訳だが、右目が見えなくなってきているので、まわりの勧めで行って来た。

 眼底にも滲み渡る・・・という話だが、ま~少し通ってみようと思っている。

 オストメイトの身障者で、片目が見えなくなってきてるから、いよいよガラクタ化は進んでいる。

 それでも生きて行くには馴れるしかないから、せっせと知恵を絞っている。

 湯はかけ流しで良い湯だった。

 そもそもメディアで騒ぐ秘境なんて、俺にはもっと奥のもっと高い場所から見下ろす普通の景色でしかない訳で、簡単な場所にあるケースがほとんどだ。

 若い時分は金がなかったから、新潟にスキーやまだ社会で認知されてなかったスノーボードに出掛けるにも高速は使わずに、下道で毎週末に日帰りをしておった。

 三国峠越えなんて随分と久しぶりだった。

 鉄のチェーンでガチャガチャ越えていた頃と違って、道もキレイになっている。

 行程の主は1000年も昔から目に効くと言われている源泉入浴で、朝の11時から昼過ぎの14時までしか日帰り入浴をやってないので、山に登ってその時間には移動しなければいけなかったので早朝に出発した。

 いつもの信州や奥秩父に向かうよりも運転は楽だったし、距離も往復で500キロくらいだったから、余った時間を須川宿で過ごし、美味い蕎麦と天婦羅を喰らい、閑散とした歴史資料館で暇を持て余していた歴史好きな職員と、上杉や真田や北条の話を愉しんで、夕暮れの誰もいない名胡桃城址にも立ち寄って来た。

 田舎に1億円を国が配って再興を助けるという試みは日本中でやっていたが、バブル崩壊後の田舎ではなかなかに継続は苦難の道で、そんな維持費用の話もイロイロと聞いたよ。

 早朝から山に登っていたから、帰路は観光の帰りみたいな気分で、渋滞回避に下道を走っている頃にはすでに山のことを忘れてしまっていた。

 二・三日して筋肉痛と疲れが出て、その事実を思い出すことになる。

 越後の山にも少し通うことになりそうだ。

 

 日本がどんどんダメになってゆく理由は一つ、バトンを繋げる為に、布石礎石になってやろうではないかと言う、腹を据えて笑って生きてゆく日本人が減り、こそこそチマチマ身勝手な自分だけの欲望の為に生きてる猿が溢れ返っているからだ。

 俺は幸いにもアチコチで子を育て上げて元気な種を社会に送りこんで来ているから、最初からそのつもりで生きて来た。

 家や財産を繋ぐのではなく、地球に生きる獣の一種として、どう笑って生きてゆくのかを繋ぐ、そんな生きている価値観の話だ

 

 メディアが取り上げない、関わらない、わざと避ける人間もたくさん生きて居る。

 メディアとはその時代の資本家や権力を握る者が操作する玩具である以上、そういう奇人・変人らが上手く洗脳した猿の衆の社会生活に影響を及ぼすことが一番に怖ろしいことだからだ。

 胡散臭い守銭奴らが陰でコソコソ良い思いをしておっても、そこで怖ろしいことが起こると陰の話だから表沙汰には出来ず、散々に恐い目に遭い泣き寝入りするしかなくなる訳だから、そりゃ~関わって来なくなるわさ。

 な~に、周旋屋の笑い話さ。

 

 もう10年くらい前のことか、銀座の近所のコンビニに、深夜だけバイトで入っていた中国人の若者がいて、俺も深夜に店に出入りすることが多かったから仲良くなっていた。

 そのうち姿を見なくなって辞めたのかな? と思っていたある時、一番下の銀座生まれの5~6歳だった息子と 筑波山にでも登るか? となって出掛けて行き、山頂に立った時、そこでその若者が友人と二人で歓談しておった。

 嬉しそうに握手をして来たからし返してやって、イロイロと話を聞くと筑波大学に通っていた。

 横にいた息子は小さかったが、すでに谷川岳などにも登っていたから、今度はもっと絶景の山にでも一緒に登るか? と笑って話したが、筑波山だけで充分だと笑い返して来た。

 日本で企業を立ち上げて、懸命に働いているアジアの国々の人は多い。

 ダラダラ酒ばかり呑んで避妊セックス相手を探しているだけの現代日本人が醜い猿にしか思えていない俺は、どんどん外国人がこの日本で会社を作り帰化して子供を育てて、元気に生きて行って欲しいと思っている。

 同じようにせっせと働いて勉強もし、日本の国立大学を夫婦ともに卒業し、二人とも自営を始めて銀座にやってきた仲の良い中国人もいるが、子供は北京大学にも行き日本で医者になり、夫婦は中国料理の店を銀座で始めている。

 次男の結婚相手を探してくれと頼まれている。

 俺自身も自営を始めてこの腐り切ったメディア奴隷な

日本社会で叩き上げて来た爺ィだから、外国人の起業家の思いがよく解る。

 朝から深夜まで新聞・テレビにネットの画面を眺めて、偉そうな民族になったもんだぜ。

 日本人は、ナニをやっているんだろうかね~。

 オツムの中身はカラカラに乾ききっているんだろうよ。

 

 日焼けした顔がヒリヒリ痛いが、周旋屋の収穫の週はキチンと仕事をする。

 短期の金(ゴールド)はすでに先週末に仕込み終わっているから、またまた上がって行くさ。