週末は雨風が春の訪れを祝うかのように踊り狂っていた。
そういう日にはそういう日の、素敵な里山があり、どこの山でも咲いてる花でも、可愛く見えるもんだ。
3万歩くらい歩いただろうか、平たんに近い場所だと、それでも足りないくらいの感じだが、汗はかいた。
過去百年で、もっとも婚姻率が減ってしまってるという現代で、俺の子供らは同棲から入籍へとどんどん歩を移していっているが、さすがに俺の獣の血がみな濃いから、笑って前へ前へと生きて居る。
自然界の獣は、生命の危機を迎えると、生殖活動が活発になる。
種を守る道理だな。
エリートという間抜けでチンケな偏差値暗記だけの退屈な連中は、どんどんその種を淘汰されてゆく。
弱い子や孫ばかり、いずれその必死に蓄えた蓄財は、笑って生きてる獣たちの手に戻って来るようになってる。
わかってないよな~。
銀座でも、5歳くらいの子供らからよく山に連れて行っては一緒に登って笑っていた。
真っ暗な丹沢の山なんかは、鹿がたくさんいるから子供連れのナイトハイクには面白い。
いまはミツマタやハナネコノメや、いろんな可愛い花が咲いてるだろう。
当然に引率者はいろんな道や危険個所は熟知してなければ難しいだろう。
初めて山に登って降りてきた子供らは、アスファルトの平地でも足が上がらなくなっておって、よく転ぶ。
それを教えてやってる。
歩くということの基本、老いてよく躓く、よく転ぶ、足が上がってないことが自分で解らない、登山ではそれが普通に身についてくる。
足の爪や手の爪の自己管理、そんな基本的なことから教えてやってる。
靴ひもの締め方、着衣の種類、雲の見方から星の話、いろんな話がある。
いま歩いてる山の歴史に民話、そうして本当の人間の話、教育や社会の嘘まで、たくさん話はある。
お化けや霊魂の話なんて、人間のいない山奥では、楽しい話になる。
その辺の変態な山岳ガイドなんかよりも、もっと自由で楽しく歩くことを教える。
去年の春、新型コロナ騒動の始まりに、ナントカプリンセス号の対応やらを見て、政府はナニをやっている!? 専門家会議はナニをやっている!? と喧々諤々、口論や論争があったが、誰一人としてコロナそのものの解説をした者はいなかったが、それこそが怪しいガス抜き、最初から対峙してる風の皆セットでメディアに登場してた訳だ。
アメリカやカナダでは、専門医や専門家でも、新型コロナをその目で確認してる者はいないだろう。
わが国の新型コロナの報道・ニュースには、いつも黄色や赤色のブツブツ、いつもの映像が使われてはいるが、あれは新型コロナの映像とはぜんぜん違うモノだ。
感染症の研究所から出て来てる映像すら、過去のコロナらしき映像なのが本当だろう。
いまだにだ~れも見てはいない筈だ。
アメリカやカナダでは、正直な学者や研究者がそれを白状し始めている。
ただPCR検査で陽性だった、それだけの確認で大騒動が続いている。
そのPCR生みの親のマリス博士は暗殺され、遺言では感染症の検査にPCRは使うな!! と死んでいる。
世界中が騙されて、世界中が振り回され、俺は呆れかえってヒックリ返ったもんだった。
いよいよ、俺が独り神になった、そんな大笑いだけがあった。
ま~だコロナの存在のことには触れないで、その対応で揉めて大騒ぎ、これは馬鹿や間抜けとは違うのか??
ワクチンだって、インフルエンザよりも感染率は高くとも、被害の程度が軽い新型コロナは、たいした効果は期待できず、影響が弱いゆえに抗体だってすぐに消え、再度PCRで陽性になることだろう。
キリの無い話を、ワザワザ大騒ぎしてる意味の方が、酷い話になってる。
大メディア群の、人殺し、これは世界中で言われるようになっている。
大メディアから横一列で流れて来る世論や、国民の側の意見やアンケートや統計なんて、メディアな奴らの都合の良い創作ばかり。
怖ろしいのはバイラスではなく、おなじ人間だということだ。
早朝に歩いてる八丁堀では、桜並木がすでに満開になっておった。
さ、強風で折れた店先ののぼりの竿を、朝一番で買ってくる。