旧式の紙の身体障害者手帳はいつも尻のポケットに入れて山に登っている時ですら所持しているから、3年くらいで磨り減ってしまい、写真などはボヤけて本人確認が出来なくなる。
特に俺は割引やらナニやらでよく使ってる訳で、今回も新しく作り直しに区の福祉に立ち寄って来たが、東京都もやっとカード式の小ぶりな手帳が発行されるようになり、これで携帯も楽になった。
そういう情報が社会には無さ過ぎるから、おなじ障害者は再交付申請してカード式のモノを手にしなさい。
それをスマホのアプリでミライロIDに移して持っておけば、いちいち手帳を出さなくともオッケーになる施設も増えてる。
ところで日本赤十字で献血の受け入れをする場合、新型コロナワクチンの接種状況によっては受け入れを拒絶されているが、身体に悪いものを国が強要していたという話については、メディアは緘口令を敷いている。
天皇家が赤十字には深く絡んでいるからだろうが、WHOやユニセフやらと同じで酷い内情は報道など出来ないだろうよ。
最初から俺は書いていたし、皆に警告していたが、危機感が歪められたメディア洗脳猿の集団は、嬉々として接種後の副作用の酷さを報告し合ってばかり、ナニが体内に入れられたのかについては無知なまんまだった。
遺伝子組み換えワクチンとは? 自然免疫の破壊とは? 猿には理解できなかった訳だから、これから起こりつつある免疫異常の広範囲な影響にも、新たな薬剤投与を始めるしかないんだろう。
可愛い子や孫にも、それを強要した親やジジババの責任は? 俺はすぐに広言して忠告していたから周囲の人間の多くは拒絶して打たなかった。
理解ある大人たちは銀座にもたくさんいたから、今では世界中のコロナワクチンの影響の話は現場から幾らでも入るようになってるさ。
民政党のような怪しい話も多いから、長く生き様を晒して顔なじみな自営を続けてる者だけで情報は共有することにしている。
無職の高齢者や大企業サラリーマンや公務員などは、最初から食い扶持を押さえられてる哀れなメディア洗脳猿だから、残念ながら価値観を共有はできないと線引きして生きて居る。
コロナ渦では無駄に動き回って教えてあげていたが、仕方の無い人たちは、所詮は救いようがないのさ。
メディアという媒体を使って素敵なキレイゴトを抜かしてる奴らは、全部が全部その実態は大嘘つきの外面作りに終始しておって、その日常はインチキとイカサマ、薄汚くセコイ輩ばかりだと、はっきり教えておいてあげようか。
昭和の時代よりも、ネット社会の現代の方がそれは酷く劣化して行ってる。
それもこれも、覗き見ヒソヒソ話な愚かな視聴者と消費者のおかげと言っても良い。
金もなく借金だらけでクレジット決済も引っ掛かってしまうような連中に限って、メディアが担ぐ神輿だけが生き甲斐で、芸能人・スポーツ選手・興行人・・・煽られては消費活動に勤しんで、働いても働いても先付前借り利息だけで許してチョンマゲ土下座姿。
馬鹿と阿呆がどんだけぎょうさん居るのか? その答えはメディアの大儲けで解る。
もともと新聞やテレビやネットメディアは、自作自演やヤラセやサクラを駆使して、わざと紛争や騒動を起こしたり、本気で戦いを始めているような見世物を脚色したり演出したりと、ナニも無い所で煙を上げて、じきに本当の火を燃え上がらせるのが本業だ。
口論したり、殴り合ったり、殺し合いだって筋書きを描いて煽ったり、金儲けに繋がることならばナンでもやって来た歴史がある。
その辺のオツムパッパラパ~で財産・資産もロクに無いのに限って、そんなメディアには踊らされ続けて、最後は身ぐるみ剝がされて命を玩具にされている。
メディアの他にナニも生きてる楽しみが無いの? ナニか自分で創造できないの?
可哀相ではなくって、ただの間抜けな猿の生活、そろそろ止めたらどうかね~。
俺はいつも現場で直接会話で愉快に生きてるオヤジだから、行動範囲たって皆さんの想像の範囲を軽く飛び出しておって、夏ならば北の高い山に登って降りてきて、そのまんま高速を飛ばして海に出て、太平洋で遠泳して身体を冷やしてから、旨い魚料理を喰らってたり、一日の過ごし方すら違っている。
一日の過ごし方が違うから、情報の濃さや内容も違ってくるわいな。
メディアごときにしがみついてる猿らとは、もともと相容れない世界で生きて居る。
ただただ親や先祖や家のシキタリだとか風習だとか抜かして、昭和の時代から続けてる猿な行事を頑なに守って生きて来た頑固オヤジという間抜けな猿は、事の最期に迎える自分の死については、なんの覚悟も解釈も出来ていないガキみたいなのが揃ってる。
いまだに結婚式や葬式に金をかけて人を読んでる猿も多いし、人間社会の仕組みは古臭いまんま、新しい生活や新しい社会を前にしても、間抜けを絵に描いたような猿ばかり、キ~キ~喧しい。
孤独だからこそ、派手に取り繕い、中身がナニもないからこそ豪勢を装う。
昭和そのものの、忘れ形見か?
古い家には何十人もの先祖の戒名が刻まれた位牌があったりするが、これを現代にお焚き上げのような供養とともに処分しようとすれば、戒名ひとり当たり1万円、とも言う。
仏教にも宗派があり、仏教の位牌を神社でお焚き上げするなんて出来ないとか、猿社会には大笑いするような暗黙の決まりがあるんだそうな。
バチ当たりはそんなことを抜かしてる連中のことだ。
俺が高い山の山頂で供養してやろうか? タダでやってやるで! 講を組んでも登れないような険しく人の寄り付かない山ならばもっとエエんやろう。
かくのごとく人間の社会には驚くような愚かな良識や常識が蔓延っている。
山は山そのものが神の体として崇められていた時代が長かったが、それにはそれなりの意味があるからだ。
街中で、ネットビジネスにうつつを抜かしてる猿な神や仏の使いに頼むくらいなら、俺の方が遥かに修行を積み上げている。
生霊と言っても良いくらいに、俺の想いは現世でも奇跡をたくさん産んでいる。
ま~奇跡にもそれなりに意味はあり、解釈や行動が解れば誰でも鍛え上げられる。
それを死ぬまで続けるのか? 衆を恃まずに出来るのか? すべて自腹でやれるのか?
そういう話になってくると、なかなか出来ない相談になって行く。
そう、そこのアンタの話さ。