オストメイトで山賊と海賊・・・銀座のコテコテ周旋屋のよもやま話

去年は100の山を愛し、今年は108の山に恋をする。
夏は太平洋の大波で泳ぎ続け、日本の自然を愛して66年。

薬師如来には、8万4千人の夜叉

2021-03-19 11:18:31 | 神々の話

 

 分譲マンションでは、管理組合が緊急災害用の水や食料を常時保管していることが多くって、これが銀座の高級マンションともなるとなかなか良いモノを揃えてある。

 飲めて喰えれば良いという簡素なモノでもなく、味も良いし、素材も良い、そんな災害用食料がある。

 水だけでも喰えるようになる飯や、缶詰だって良いモノがあるが、賞味期限が近づくと、これを総入れ替えしなければいけなくなる。

 区分所有者やらに無料で配布することが多い。

 ところが銀座ともなるとそんなモノは要らないと言う人が多くって、勿体ないから貰ってやるよとあちこちで言ってる山馬鹿の俺んとこに、回ってくることがある。

 この頃の山食になっている中本の辛旨飯にも飽きてると、こういうモノが意外に美味かったりする。

 大汗かいて、全身運動をして、肺活も過激になった後は、ナニを喰っても美味いもんだ。

 たまにケースで貰ったりするが、そんな時はホームレスやらに配ってやってる。

 捨てるにはしのびない、そういうことは多い。

 茹でる時間短縮のサラダスパゲッティを作ったり、そんなことすらもうメンドクサクなった。

 山や海での遊びも、どんどんシンプルになって来てる。

 

 政治も経済も、オリンピックもコロナ騒動も、相変わらずに退屈な雑音ばかり、アメリカに今度は幾ら貢ぐのか?

 ワザと解り難くするために、いろんな話題をこんがらがらせて、中国にも良い顔を作り、惨めったらしいことよ。

 その原資は、奴隷調教の済んでしまってる善良なる庶民の皆様方の懐、これから激しく毟り取られることになる。

 極楽浄土は三途の川の向こう側、苦しみ抜いて死んだ後じゃ~なきゃ、極楽浄土にはいけないようになっている。

 

 ところで、極楽といえば・・・薬師如来には12人の神将が守護としてついておって、その12神将がそれぞれ7000人の夜叉を従えているから、都合84000人の夜叉が薬師如来を守っているという、そういう掛け算を山歩きの時にしておって、そのひとりひとりの夜叉とは、これまた山の精霊、山の木や草花の化身、そんな生い立ちだから、山には相当な数の夜叉が行き交っている、そういうことになるなと感心しながら、むしった草を噛んで歩いていた。

 だいたいが、山登りでどうにもならない苦しい時、そんなことを考えている。

 足が動かない、膝が重い、息が苦しい、やる気が出ない、そういう時ばかりだ。

 それが山頂に立つとガラッと変わり、自分がすべての天に居る、神々のひとりだ! となってしまう。

 夜叉神峠と言う、鳳凰三山に登る登山口があるが、相当な夜叉がいたもんなんだろうと、笑って考えて居った。

 仁王なんてのもその夜叉の一人ではあり、そうやって考えた行きつく先には、俺も夜叉ではある、そういうこと。

 現に山の古い祠や寺や神社では、俺は片手をあげて・・・おう!来たで!!・・・とやっている。

 決して恭しく、手を合わせ、頭を垂れることはしない。

 自分もまたすでに生き神様になってると想ってる。

 だからナニかを祈願するとか、頼むなんてこともない。

 俺がやらなきゃ~、ナニも始まらない。

 お賽銭は、置いてゆくがな。

 その猿芝居の舞台の維持費や補修費には、金もかかるんだよ。

 苦しい時に、そんな妄想とも言える神々や極楽の話を作り、遺す意味は、俺にはよ~く解る。

 ただ心底は信じてはいないし、信じておれば山や海に独りでは入れない。

 あくまでも、意を決するときの、引き金みたいなもんだろう。

 山岳信仰の歴史は、人類のもっとも古い信仰だとも言える。

 唯一の信仰は太陽に向かって、光を浴びること。

 人間の弱さの言い訳、そのためにあの世や霊魂や妄想をたくさん作り上げて来ただけさ。

 山を年中歩いておれば、色んな事が解る。

 皆さんも、神になって生きれば、おのずと色んなことが見えて来るさ。


酒は、覚せい剤や大麻とおなじさ

2021-03-17 10:38:50 | 価値観
 
 昨日はお客さんが昼前に重なって、虎屋の携帯出来る箱羊羹セットをいただいたので、今週の山ではそれを持って行こうと嬉しかった。

 高価な酒なんかよりも、甘いモノが嬉しい。

 山で大汗をかいてクタクタになって降りて来て、最初にミニストップを探して食べるバニラ・ソフトクリームなんて、極楽のような甘さがたまらない。

 ただの、ヨレヨレ爺ィになってる。

 別に誰かのために生きてる訳でもなく、俺の好きに生きてる、その好きに生きてることが、たまたま他人や社会のためになってることが多いだけで、別にだから対価が欲しいとかナニかが欲しいとは思わない。

 文句を言われる筋合いも、無いし、威張って吹聴することも、無い。

 

 ・・・酒を呑まなければ、元気が出ない、喋れない、調子があがらない、楽しくない・・・

 こういう爺ィは俺のまわりにも腐るほどいるが、はっきり言ってやれば、ただのアルコール中毒、弱いオス。

 呑むと明るくなり冗談も出て饒舌になるが、吞まない時はむっすりと不愉快な顔、だから周囲はほどほどに呑む分には黙って許してる。

 呑まなければ機嫌が悪い、呑むとキリが無いほどにダラダラ呑み、喧しいしメンドクサイ、人生終わってるだろう。

 覚せい剤や大麻が悪いとは言うが、こういうタチの爺ィや婆ァ連中のアルコールも、おなじことだ。

 ことセックスにしても、酒を呑まなければ放蕩に自分を解放できない、これもまた中毒症状ではある。

 なんでシラフで追求しない? 自分を変えることをしない?

 健康食品やプロテイン、医者から大量に処方されてる薬に溺れているのも、おなじことさ。

 弱いオスや不感症なメスは、社会に溢れ返っておる。

 自意識過剰なのに自信がない、緩み切ってる社会では、そういう奇妙な大人が増えていってる。

 生きてる愉しみが無い、自分で愉しみを作れない、終わってるだろう。

 若い連中でも、ただ憂さを晴らす、自分を大きく見せる、女を口説く口説かれる、猿な光景は銀座にもある。

 挙句に酒の量を競うなんざ、覚せい剤や大麻の中毒具合を競ってるのとなんら変わらない。

 恥ずかしいことだと、自覚すべき。

 酒は百薬の長、宗教の教義でしかない。

 だから俺は40歳を過ぎた頃から酒だけの付き合いは止めにしてる。

 そういう油断の出来ない業界にいたせいでもある。

 そうしてどんだけ大酒呑んでも、翌日は山に登り、海や川で泳いでアルコールを抜いておったもんだ。

 次の日が役に立たなくなるような、間抜けで無駄なことはしない。

 増してや自然相手の遊びは、あくまでも地球や宇宙の動きに逆らえないし従うしかない。

 その一瞬を見て動く訳だから、人間同士の退屈な時間潰しなど、その一瞬を見逃す最低な行動だ。

 接待やおごってやると言われても、酒を呑むだけなら断ってる。

 大事な話をしながら、美味いモノを喰う、美味い酒を呑んだって、モノを考える潤滑油にはなる訳も無い。

 その程度の話なら、大事だとも言えない。

 アルコールとともに蒸発する良い話なんて、巷には幾らでもゴロゴロある。

 むかしから洗脳宗教には、麻薬や酒は常にセットで付いてくる。

 そんな宗教は、奴隷売買と植民地開拓にセットになっておった。

 弱者の側の癒し、奪われる側の慰め、弱い者の都合の良い自己弁護や正当化には、酒は役に立っている。

 ほどほどに、しとき~や。

 酒に興味を失って、あらゆるギャンブルにも興味を失って、それから俺は扶養家族があちこちに増えて行った。

 子供らと一緒に遊び、育て、これを繰り返しながら、山や海で大笑いしてきてる。

 60歳を過ぎても、息子や娘たちが結婚して行っても、他にま~だ銀座の中学校に通ってる息子もいる。

 みな、それぞれに特性を生かして、色んなことを叩き込んでやる愉しみは、金では買えない愉しみだ。

 会社を大きくするくらいなら、子供を増やしてたくさん育て上げる。

 ガキの頃から想っていた色んなことを、今でも続けている。

 これ以上の愉しいことなど、他にはないわな。

 山の獣達や、高山植物と、おなじように生きて居る、そんだけのこと。

 

 報道されてる天気予報とは違って、俺の描いてる天気予報では、週末も山に登れそうだ。

 

激辛地獄ラーメンと、春の山歩き

2021-03-15 09:37:05 | オストメイトで登山と遠泳

 

 土曜日の午前中は銀座の店で仕事を終え、午後から息子の結婚相手の家族との会食で、せっかく銀座ではなくってソラマチ31階のオシャレなレストランを予約してやってご馳走して、景色も堪能しようと思っておったら、あいにくの雨。

 ・・・お前らの日ごろの行いが悪いからこうなる・・・

 そういうことだった。

 気圧のせいか眩暈もちょいと酷かったが、皆さん楽しい時間を過ごせたようで、良かったな~。

 酒を呑んでも呑まなくても、賑やかに喋っているのが俺の若い頃からの取柄でもあるから、まんずそうなるのが常。

 

 ということで、昨日はまたまたゆっくりと出発して、甲州アルプスからぶどうの郷のほうへと歩いて来た。

 前日に、オシャレなコース料理をナイフとフォークでガチャガチャ食べて、喋るのが忙しくて結局ナニを喰ったのかよく解らないいつもの調子だったから、山で大汗をかいて激辛地獄ラーメンを食べたいという目的もあった。

 おのずと、だいたいのコースは決まってしまって、あとは臨機応変適当にといういつもの感じ、まだ冬季閉鎖中の林道が多い山梨の山奥まで車を乗り入れるほうが、大変だった。

 普通の登山道には、鹿よけの金網があったりして、それを開けて通り閉めて行くということがあるが、昨日は狭い林道にそれがあり、車を降りて金網を開け、抜けてまた降りて閉めるというメンドクサイこともあった。

 荒れ放題、あちこちに落石・倒木、ガードレールの無い高所の未舗装路デコボコ道、対向車が来ればバイクであってもどっちかがバックする羽目になる狭い道、細く落ちそうな朽ちた橋、急こう配の瓦礫の山道をくねくね滑りながら登り、行き止まりに停めてから歩き出した。

 山は、登り始める前にこういう難儀な運転をこなせなければ、なかなか日帰りでは愉しめない。

 若い頃はテントを担いでということも出来たが、還暦を過ぎるとメンドクサイ。

 そもそも生きてること自体が、この頃はメンドクサイ。

 ナニを見ても、ナニをやっても、人間の世界のことはチンケな猿芝居。

 昨日は登り始めは杉林が主だったから、ひんやりと寒い中をトボトボとひたすらに掛け声かけて登ったが、都会で出てる鼻水や目のかゆみは、相変わらず山ではいっさい無い。

 調子の良い嘘ばかり、都会の常識だろう。

 空は晴れ渡って、富士山も見えるだろう。

 気温はグングン上がっていた。

 山では眩暈もおさまってる。

 都会の舗装路ばかりを歩いてるよりも大変な道ばかりなのに、なぜか眩暈も起きることも無い。

 東京湾に変なモノを注入して、都会の地下で変なことを始めてるから、俺の眩暈は起こってるのではないのか?

 そんなことを考えながら、なるべく苦しいと考えないように大汗をかき続けていた。

 降りたら、19丁目まである激辛地獄ラーメンは、何丁目を喰うか? 5丁目くらいにしとくか? そんな他愛も無いことばかり考えて、ぜ~ぜ~吐き出しながら登った。

 登り始めは、上ばかり見ているとゲッソリするから、足元を見て周囲を見て、なるべく上は見ないように心がける。

 山頂が雲の中にあったりすると・・・もう、やめて帰ろうか・・・いつも想う。

 そんな感じで1時間も息を切らして大汗かいてトボトボと登っていると、だんだんに良い感じになってくる。

 ・・・よっしゃ、行ったるで

 2時間を過ぎると麻酔でもかかったかのように、身体が勝手に動くようになる。

 俺のペースは、いつもそんな感じ。

 ガキの頃、水晶の露天掘りや、縄文の石器や土器を掘りに山に入っておった頃と、あんまり変わってない。

 人間に会わない山が好きだから、ただただ獣や植物と声を出して会話している。

 神々の生態、とも言える。

 いつも20キロチョイあるザックを背負って、丁度いいバランス。

 頭の中には登ってきた道と、周辺の地形や景色、道の位置が出来上がってくる。

 仕事柄もあり、一度通った道は忘れない。

 同行者がいると皆驚くほどの記憶力がある。

 今朝、ナニを喰ったかを忘れてしまっておっても、山では道を間違えない。

 長年の習慣なんだろう。

 たとえ間違えたとしても、頭に経験という地図が出来ておるから、別に困らない。

 違う道は幾らでもある。

 それなら、途中のあそこらへんで、休憩するか? そういうことになる。

 山火事の痕を見ながら、そこですでに青い芽を出してる植物のことを考え、体力が余った状態で降りて来た。

 時間が早かったから、降りて塩山の塩ノ山でも登っとくか? そう考えて登山靴を履いたまんまで向かったが、車を停める場所がなくって、メンドクサイからやめて店に向かった。

 電話したらまだ開店前だったが、どうぞ! というので、気持ちよく向かった。

 で、結局、俺が食べたのは梅と大葉のチャーハンと醤油ラーメンと餃子だった。

 なんだかな~、山で苦しいことを忘れる為に、自分に嘘をついていたことを反省し、多分また来週も違う嘘をつくことを苦笑いしながら思い、混んでる中央高速は使わずに、甲州街道で上野原まで走って、のんびり高速に乗って戻って来た。

 

 さ~、また朝から夜まで喋りまくっての仕事、メンドクサイこと、この上ない。


東北大震災からコロナ、人類の恥

2021-03-12 10:32:28 | 銀座の周旋屋

 

 東北大震災から10年になる。

 あのとき大船渡市で下宿していたひとりの大学院生が、被害にあったのに下宿と言う線引きだけで支援を受けられないでいるという話をお母さんから聞き・・・それはおかしい!!・・・と、以前に中央区議をやっていた仲の良かった同世代のおっさんに連絡をして、たまたま衆議院議員の政策秘書をやっておったので国会議事堂見学も兼ねて会いに行き・・・なんとかせいや!!・・・で、すぐに大船渡市長が動いてくれたことがあった。

 たくさんの苦学していた学生が助かった。

 この国は偏差値競争ばかりに走って、こと学問や研究を舐めくさっておるから、世界でもどんどん遅れた猿の国になって行ってる。

 その5年後に、俺は死にかかって、身体に障害を負って、また生まれ変わった。

 その間にも、いろんなことがあった。

 ただの周旋屋なのに、社会のいろんなことに首を突っ込んで来てるから、こういうことは普通の日常のこと。

 キレイごとの10年を報道してる深刻顔の大メディアに、眉間に皺を寄せて覗き見している善良なる庶民の皆様方、それぞれが個人として、ナニか現実生活で実際に東北の人たちに関わったのか? 

 素敵な感動話で暇つぶしか??

 遠目に眺めて、ただの自慰で満足か?

 原爆が投下された後の広島の街で生まれた俺には、慰霊式だとか、慰霊碑だとか、記念日と言う名の大勢の変態が集う後悔ゴッコなど、ガキの頃から興味がなかった。

 後悔しない生き方とは、今、自分にできることを即断即決してすぐにやって行くことだ。

 そこで金儲けをするとかはいっさい無く、すべて自腹を切ってやることだ。

 他には、ナニも無い。

 自作自演、自画自賛、自意識過剰な言葉遊びは、行動を起こしてからの暇な時間にやればエエ。

 俺はそう生きて来た。

 独りに出来ることは限られている、ただ大勢で金をかけてやれば嘘ばかり、ひとりひとりは虫けらのように扱われてる、だから俺はいつも独りで両手を拡げた範囲のいろんなことを続けて来たが、それも半世紀を超えて来ると相当な人たちに関わり合ってしまってる。

 ひとつ終われば、乾杯・拍手に慰労会ではなくって、すぐに黙って次へと向かってる。

 皆がそうすれば、国も豊かな国になるが、なかなかね、難しいだろうね。

 言葉にして、声をあげて、大メディアが取り上げない現実は、みな知らん顔、ガキの頃から見飽きてる。

 感動話を作るには、まず無くても良い悲劇を創造しなければならない。

 苦難から立ち直ったヒーローを作るには、まず無くても良い自作自演な苦難を創造しなければならない。

 その無駄の繰り返しが、愚かな人間社会の歴史というものだ。

 司馬遼太郎やらナニやらの英雄作りの嘘は、そんなことを応援してるようでもある。

 スターも、英雄も、勲章も、な~んもいらない世の中社会になって欲しい。

 屁が出てアクビが出るでよ。

 

 地球や宇宙の法則で、われわれ人類は生きて居る。

 人類の法則で、宇宙や地球をコントロールして、それで生きて居る訳ではない。

 地表の薄い部分だけを間借りして、人類は生きて居るというのに、自然破壊だの、温暖化だの、放射能だの、細菌だのと喧しい。

 そんな力を人類が持ってるとでも本気で思っているとしたら、すでにオツムは末期症状だろう。

 あくまでも人類の側の、人類だけの、人類同士の、都合の良い作り話さ。

 

 もっと大人たちが、しっかりと生きて見せてやってないと、子供や若者たちは未来が築けないだろうよ。

 みな自分のことだけ、自分が救われることだけ、あとは酒を飲んで時間潰し、くだらない生の時間を生きて居る。

 猿に自慰を教えると、死ぬまでやってるとは言うが、猿はそこまで馬鹿ではなくって、現代人が馬鹿ということだ。

 愚かな乳繰り合ってる幼児、そんだけのこと。

 昨年から続く嘘くさいコロナへの対応、日本人の9割9分が、間抜けな貴方任せ、自分のオツムで判断できない姿を見ていると、もう今後のお付き合いも考えてしまう、そういう笑い話にしかなってない。

 馬脚を現わしてる大人社会、恥ずかしくないのだろうか?

 そこのアンタのことだ。

 

 コロナ変異型で今度は大騒ぎだ。

 大笑いな、大メディア群を使った国民煽動型詐欺とも言う。

 日本並みに洗脳されてる国々を変異型の発祥地にして、深刻さを強調してる。

 ずっとやってなさい。

 俺は無視して自分の生を生きる。

 

 酷かった眩暈が、いよいよ良くなってきた。

 昨日の再検査でも、薬は一日1回になり、あとは俺が判断して止めれば良いという状況だと思ってる。

 雪山に登り、見晴らしの無い山に登り、ずっと安静にせずにハードに仕事や日常も過ごしておったが、大丈夫。

 昨夜から、3週間ぶりにバイクにも乗り始めた。

 そんなことさ。

 自分の身体の判断は、医者ではなく、俺が下すのが当たり前のことだ。

 医者も国家も、俺が生きて行く邪魔をするものならば、それは嘘、そういうことになってる。

 さ、またまた遠慮なく動き回るべよ。


ひとつ登ると、もっと険しい山が

2021-03-10 17:16:35 | 地球と生きる

 

 イギリスやアメリカでは、去年、インフルエンザに罹った患者はゼロになったという笑い話が出始めている。

 凄いね、絶滅したんだね。

 

 30年続けている銀座の周旋屋の小さな1階の店のトイレは、いまだに和式トイレの水洗で、そのトイレの掃除から狭いオフィスの室内の掃除まで、いつもこの俺がやっている。

 店先の花の管理や歩道の清掃も俺がやっており、すべて自分でやっている。

 素敵でお洒落なオフィスで、他人任せの仕事場で、ゴミは適当にポイポイして、ただ与えられるノルマだけをこなしている猿なサラリーマンには、その意味など解らないだろう。

 生きると言うことは、そのすべてを自分でこなすことを言う。

 他人や組織や社会をアテにして、外注に任せた時点で、自営とは言わない。

 自分ですべてを営むから、自営と言う。

 その生業の原資も、頭を下げたり媚を売ったりコソコソ仲間内で談合したりなどせずに、堂々と手にしている。

 広告や宣伝に頼った時点で、すでに自営ではない。

 自分の名前で、すべてをこなす、これを目標にして30年続け、20年くらいから成約数の9割以上がご紹介とリピーターになっている。

 費用対効果、これは圧倒的に無駄がない。

 広告費や宣伝費など、他に較べても微々たるもんだろう。

 借金・負債や貸し借りすらナニも無い。

 考えた通りにやってきて、考えた通りになっている。

 他者や社会の影響など、ナニも無い。

 見栄やハッタリもナニも無く、俺がいるから商売が成立する、そんだけの簡単な話。

 山に登って、海で遠泳して、あとはそれだけで食い扶持には困らない。

 しかもひとつの家庭で四苦八苦してる猿とは違って、幾つもの扶養家族を養ってきた。

 これをたった独りで30年、続けている。

 ひたすらに、自分の仕事をこなしてきてる。

 コロナな世の中でも、去年は当社だけのバブルを作り、今年もすでに読めている。

 呑気に気ままにやっているように見えるだろうが、真似など誰にも出来ないようになってる。

 俺にしか生きられない道、それを作りたかっただけ。

 

 プロフェッショナル仕事の流儀とか、いろんなスター・英雄の誕生誘導テレビ番組は多いが、そういう媒体に登場してるスターたちは、当社の顧客には多い。

 ただ仕事がら、その私生活の部分でのお付き合いになるから、守秘義務は固く守っている。

 普通のオジサンや、オバはんばかりだ。

 誰が見ても、俺の方がぶっ飛んで生きて居る。

 銀座の近所では、こういうぶっ飛んで生きてる者も多いが、まずメディアなど相手にはしてない。

 生きる価値観がぶっ飛んでいるから、番組にならない、整理がつかない、反社会勢力だったらややこしい、凄い仲間たちがドンドン登場したら面倒だ・・・イロイロと理由はあるだろうが、こっちにしても、別に情報難民なミーハーには用などない。

 そもそもテレビや新聞に出てるから正しいとか、良い奴だとか、そういう価値観がまるでなく、逆にそういう大メディアが持ち上げてる奴らにロクなのはおらん、そう思っているのが正直なとこだ。

 自分の名前だけで生きていけないお子ちゃまなトウヘンボク、そういうこと。

 嘘や詐欺が即座に解り、逆に仕掛けて遊んでやる、そういう手の大人には、他人の目などナニも気にならない。

 覗き見テレビに又聞き新聞、チンチクリンで醜い変態の集う場所には、クサイ汚物しか無いに決まってる。

 

 自然食や、無農薬、健康食品に栄養サプリメント・・・こういうブームを作って新しい人類の為のキレイごとの商売を始めたのは、予防医学が盛んになったのと歩を並べている。

 細菌がウジャウジャいる地球の上で、宇宙のたくさんの放射線を浴びながら暮らしている人類が、そこで小さな人間社会だけの理解と計算式だけで、人為的で特殊な隔離生活空間を作ったところでだ、じきに地球や宇宙の自然な影響から、免疫異常や抵抗力の無い身体をさんざんに弄ばれ、おかしな大人社会を作ってしまっているのは、笑い話の一つではある。

 安全を求めることは、一番に危険なこと。

 健康長寿を求めることは、一番に不健康で哀れな老後を迎えること。

 こういう当たり前のことが解ってないド阿呆ばかりが、大勢澄まして暮らしておるんだぜ。

 俺は在るがまんま、地球や宇宙とともに生きて居る。

 どの子供らにもおなじように在るがまんま、その時の宇宙や地球の影響をしっかりと受けとめて育てて来てる。

 進化とは、適応とも言う。

 そんな基本的なことも知らないで、大人を気取ってるのは、恥ずかしいことだ。

 ゼニカネ出して健康・長寿が買えるものならば、世界の資産家は200年でも生きて居るだろう。

 チンケな大人の知恵で、子供や孫が安全に健康に長生きできるようにと、余計なことばかりやって来たからこそ、金持ち資産家の家には、難病や奇病に罹る者が多くって、神経・精神までイカれてるのが増えて行ってる。

 大笑いだろう。

 ナニを無駄な時間を過ごしておるのか? そうやってボケ老人・認知症へと突き進んで行ってる。

 自宅や野山で老いて亡くなる、これが健康な死に方だ。

 病院や施設で、人体実験にされて玩具のように壊されて行く死に方は、哀れなもんだ。

 病院や施設が儲かるだけで、神社や寺が儲かるのとなんら変わらない、下らない習慣だ。

 ・・・わたしは老いたら誰の世話にもなりたくない・・・よく聞くセリフだが、ならば日常に足腰を鍛えて、肺活量を鍛えて、キチンと自分の足で歩ける状態を保って行こうと努力をしておるのか?

 栄養摂取ばかり、消化も消費も足りない栄養過多で、豚舎の豚のように、ぶ~ぶ~生きてるんとちゃうかいな?

 

 政治や経済、宗教や哲学を語る前に、あんたやることがあんだろう??